第9話 人間との接触 ※別視点あり

 イナリは困惑していた。自身の能力を使ってゴブリンに対処したのはいいが、現在周りにある景色は先ほどまでの自然溢れる森ではなく、日の光も殆ど遮られ、理屈はよくわからないが、元気に枝を動かし始めた木々たちの姿であった。


 イナリは全く理解していないが、一部の木が魔物化し始めているのだ。


「と、とりあえず成長促進度を元に戻して姿も消しておくのじゃ……」


 ゴブリンとの一件で警戒レベルが上がっているイナリは、元気になった木々の意識が自分のほうに向く前にまずは自身の姿を消すことにした。何となく、一部の木は少しイナリの方向に寄ってきているように見えたというのもあったが。


「さて、どっちの方角から走ってきたじゃろか……。うーむ、これは帰るのは一筋縄ではいかんのう……」


 先ほど草木に飲み込まれたゴブリンはもう完全に見えなくなってしまい、しかも周りの木の一部は非常にゆっくりではあるものの移動をするようになっているため、完全に来た方角を見失ってしまった。尤も、仮に来た方角がわかったとしても道中の様相も全く別になっているだろうから、どの道家に戻るのは難しいだろう。


「川にさえ辿りつければきっと戻れるはずじゃ。まずはそれを見つけるのじゃ」


 イナリの家は川の上流のほうで、木を切り倒して道を伸ばしていたので、川の地形からある程度の場所は割りだせると踏んだ。流石にイナリ自身の力の影響で川の流れが大幅に変わる事はないだろう。


「ともすればどちらに行くか決めるのじゃ。ここは……この木の枝に命運を託すとするかの」


 イナリはその辺に落ちていた真っすぐに伸びている枝を拾うと、地面にそれを立て、手を離した。


「……こっちじゃな」


 イナリは枝が倒れた方向に目をやって己が向かう方向を確認すると、倒した枝を拾いあげた。


「これが『相棒』ってやつじゃな。ふふ……」


 イナリは枝を手に歩き始め、後には木々の揺れる音だけが残った。




 イナリは急成長した草花をかき分け、木々を乗り越え、またある時は潜り抜けて進み続けたが、ついに川を見つけることなく夜を迎えてしまった。イナリは近くの岩に腰掛け、道中で運よく三粒ほど見つけた群青の実を一つ食べて疲労を回復する。


「帰って茶が飲みたいのじゃ……」


 今日はもうここで夜が明けるまで休むかとイナリは思案していたが、ふと周りを見ると、根の一部を使ってイナリの方にじわじわと寄ってきている木が何本か目に入った。


「うーむ。気のせいだと思いたかったのじゃが、こやつら、我のいる方向に寄ってきておらぬか?」


 イナリは移動している間、自分のいる方向へ進んでいるように見える木が妙に多かったと思っていた。


 姿を隠す術は発動させているので、少なくともイナリが襲われるということはないだろう。しかし、それはそれとして、自身のいる方向に寄ってきているというのは少々拙いと感じていた。もしイナリがここで寝たら、じわじわと寄ってきた木によってぺちゃんこにされてしまうかもしれない。


「気は進まぬが、移動を続けた方が良いかもしれんのう」


 イナリは手に持っていた群青の実をもう一つ口に放り込んで、腰かけていた岩から飛び降りて再び移動を始めようとしたところで、遠くに仄かに橙の光が見えた。色合いからするに、火の光である。


「もしかして誰かおるのかや?特にどこに向かっているわけでもあらで、見に行ってみる価値はあるじゃろうか。昼間のような輩でないと良いのじゃが」


 自身を今の状況へと追いやった元凶を想起しながら光の方角へ進んでいくと、四人の男女が火を囲んでいる様子が見えた。火に照らされた影のせいで若干わかりにくかったが、黒髪の男と銀髪の女、青い髪の男と赤い髪の少女であった。


「なんとも異国風な恰好じゃな。いや、異界じゃしそれはそうか……?」


 彼らは火を囲んで串に刺した肉を焼いているようだ。和気あいあいと談笑しているようだし、少なくとも昼間のゴブリンのように突然殴りかかってくることはなさそうだ。


「これは今度こそ人間に接触する時じゃな。まずは肉を分けてもらいたいのう……」


 イナリは流石に果物生活には飽きてきていて、そろそろ別の物を食べたいと思っていた。地球では、お供え物があったのでそこそこ食のバリエーションはあったのだ。尤も、周辺が都会化してからはそうでもなくなったが。


「術を解除して、いざ参るのじゃ!」




<ディル視点>


「そこの人間よ、我にその肉を捧げよ!我は植物を司りし豊穣神、イナリじゃ!……もし言葉が通じているなら、とりあえず殴り掛かるのはやめてほしいのじゃ。頼むから」


 ――変な奴が来た。


 恐らく俺たちは満場一致でそう思っただろう。自称神を名乗る謎の少女が、命乞いのような文言と共に高圧的に肉を要求してきたのだ。意味不明だ。


 俺たちのパーティは、ここ最近受け続けていたヒイデリの丘の調査の依頼を受けていたが、ヒイデリの丘の魔境化に巻き込まれ、本来であれば一日で往復する予定だったところを、時間をかけてメルモートの街まで戻っている最中であった。


 そこに登場した謎の少女に、この場にいる全員が固まっている。さっきまで笑顔でエリスと話していたリズですら困惑の表情をしている。


 俺は目の前にいるイナリと名乗った謎の少女を見る。見た目は大体リズと同じくらいの大きさの少女だが、小麦のような色の長髪を持ち、緑色の羽織もののような服を着ている少女の頭の上には、大きな狐の耳のように見えるものがついている。よく見ると背後には尻尾がついているのも見える。そして、暗闇の中でも赤く光る瞳はどこか普通ではないと感じさせるものであった。


「……えぇっと、人間よ。無言はちょっと困るのじゃが。言葉が通じておるなら何か言ってくれぬか?」


 俺は困惑した面持ちで返事を求めてくる自称神は一旦無視して、エリックを見る。ひとまずパーティリーダーの判断を仰ぐべきだろう。


 エリックは俺と視線を合わせてから、自称神に向き直った。


「えぇっと、イナリ……ちゃん、でいいのかな……?」


「おぉ、会話ができるだけの知能があるのじゃな!良かったのじゃ。呼び方はなんでもよいぞ。人間になんと呼ばれようと構わんのじゃ」


「そ、そっか……。僕はエリックっていうんだ。君はどこから来たんだい?」


「我は一月ほど前にこの地で暮らし始めたのじゃが、二足歩行で緑色の化け物に話しかけたら追い立てられてしもうてな。まあ木に囚われてくれたおかげで逃げられたのじゃが。それで、家の方角を見失ってしまったのじゃ」


 腕を組んでやれやれといった雰囲気を醸しているが、恐らくイナリが言っているのはゴブリンのことで、そいつらに追い掛け回されたところで幸か不幸か魔境化に巻き込まれて逃げ延びたということだろう。何故ゴブリンに話しかけたのかという疑問はあるが、ひとまず黙っておく。


「そっか、大変だったね……。とりあえずこっちに来て座りなよ。簡易結界も貼ってあるからそこにいるよりは安全だよ」


「うむ、くるしゅうないのじゃ」


 さっきから妙に上から目線なのが鼻につくが、エリックはイナリを無害と判断したらしく、こちら側に招き入れようとしている。


 現在ここにはエリスによって簡易結界が張られており、魔物は弾かれるようになっている。範囲が狭く動かせず、長時間保たない代わりに硬いのが特徴の簡易結界である。ついでに俺も周囲の警戒をしているので、こうして森の中で火を囲むことが出来るというわけだ。


 エリックに促されたイナリは、ニコニコと笑いながらこちらへと歩いてくる。


 そして、結界を通り抜けようかというところで、イナリはバチンという音と共に結界に弾かれ、ベチャっと地面に転がった。


「……はえ?」


 やはり、この少女は唯者ではないようだ。

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