第3話 持ち物確認

 とある森の中に、小さなクレーターのそばで、大の字で地面に寝転がっている少女がいた。


「はぁ……ふぅ……なんじゃこれ、硬すぎじゃろ……」


 それはイナリであった。近くには真っすぐに伸びた木が一本倒れている。


 イナリは一度風の刃を叩きこんだ後、その硬さに半ば絶望しながら、続けて四回ほど切りつけた。するとようやく幹の六割程度切込みが入ったので、そこからは体当たりしたり、蹴ったりしてようやく木を切り倒すことが出来た。


「流石に長いこと使っていない能力であったし、多少の鈍りはあったかもしれぬが、それにしたって硬すぎるのじゃ……。もう今日は休むとするかの……」


 イナリの風を操る力は、一見強そうであるが、かなりのデメリットがある。


 まず、この力を刃として運用する場合、ものすごく疲れる。五、六回打ったら目に見えて疲弊し、十回以上連続で撃とうものなら、翌日は体中が悲鳴を上げることになるだろう。そもそも風の刃の形成自体が本来の用途から逸れていて、無理があるのである。


 そんなわけもあって、発動までにそこそこの時間がかかる。さらに回数を重ねていくほど疲弊して、そのせいでさらに発動に要する時間が延びてしまう悪循環もあるのだ。とても強い能力とは言えない。


 現にもう日が沈みかけており、辺りは木々の間から差す、若干紫がかった夕焼けに照らされている。


 イナリは疲労困憊になりながら、先ほど倒した木に座った。そして、はたと気づく。


「そういえば、風呂敷が破れてないのは見たが、中身は無事かの……?」


 中身の無事を確認すべく、背負っていた風呂敷を一度下ろそうとしたところで、イナリは何者かの気配を感じた。辺りを見回すと、そこには緑色の肌を持ち、如何にも狡猾そうな顔つきの、耳が長い人影があった。手にはこん棒のようなものを持ち、藁か何かでできたさらしのような物を身に着けている。これは所謂ゴブリンである。


「おぉ!世界が違うとこうも色々と違うのじゃな!見たところ碌な文明を持っていないと見える。これではあやつが文明の発展を願うのも肯けるというものじゃな。」


 幸運にも、現在、イナリは他者から認識されない能力を発動している。故に、ゴブリンがイナリに襲い掛かることもなかったし、イナリもまじまじとゴブリンを観察していた。


 この世界において、ゴブリンは人間あるいはそれに類する種族ではなく、魔物に分類される生物であった。しかし、イナリはゴブリンが二足歩行で活動している様子から、これを人類として認識してしまった。そのため、イナリの中におけるこの世界の文明レベルは相当低いものとして認識されてしまった。


 ゴブリンが立ち去っていくのを見届けると、イナリは再び荷物の確認に戻った。


「さて、完全に暗くなる前に確認を終わらせるかの」


 まずはじめに取り出したのは、お供え物として人間に捧げられた茶葉を基に、イナリの植物を成長させる能力を使って力技で生み出した、イナリのお気に入りの茶の木の苗であった。本来茶の違いは工程に左右されるものであるが、この茶の木はかなり特殊な生まれ方をしたためか、通常の茶の木とは別の、ただ一つの品種になっている。


「よかったのじゃ、我の茶の木は無事そうじゃな!」


 この茶の木から作った茶は普段からイナリが愛飲しており、安らぎを得るために非常に重要な物になっている。わざわざ別世界に行くのに持ち込むものの一つとして選ぶところに、その入れ込みようが窺える。


 とはいえ、普通であれば植物をこのように扱ったら一発でアウトだが、そこはイナリの能力のなせる業である。イナリの能力があれば、枯れとは無縁だ。


「住居が出来た後またどこかに植えねばの。さて次は…」


 次に取り出したのは、若干青みがかった、スイカより少し小さいほどの大きさの、少し縦長い石であった。一体いつから社にあったのか定かではないが、これを抱えていると若干自身の疲労が取れやすくなる感じがするので持ってきたものだ。見た目はそれなりの重厚感を醸し出しているが、実際に持ってみるとそこまで重くないので、イナリはこちらの世界に持ち込む際にこの石を持ち上げた時に拍子抜けした。


 「これも見た感じ問題なさそうじゃの」


 イナリは、石をぐるぐると手元で回し様々な角度から眺めつつ、この石に特にヒビが入ったりはしていないことを確かめた。


 その後も、社にあった短剣や湯呑などの小さな雑貨を見て、天から落下したにもかかわらず、奇跡的に無傷であったことを確認した。


 そして最後に、アルトから受け取った指輪を手に取った。


「そういえばこれ、どうやって使うのじゃ……?」


 もらった時には特に観察せずそのまま仕舞ってしまったが、貰った指輪は銀色で、小さな青色の宝石がはめられている。よく見ると、幾何学的な模様に紛れて、何かよくわからない言語の刻印がされている。


 適当に触っているうちに、宝石を押し込んでみると、宝石が赤色に変化した。


「おぉっ!?色が変わったのじゃ!」


 イナリが変化に喜んでいると、指輪からアルトの声が聞こえ始めた。


「狐神様!何かご質問でしょうか?」


「あぁ、えぇっと、普通に話したら伝わるのかの……?ど、動作確認じゃ!決してこれの使い方がわからで、適当に触っておったら何かつながったとかではないのじゃ!」


「そ、そうでしたか。確かに使い方について詳しく説明していなかったですね、失礼しました」


「ま、まあ良いのじゃ。ついでに近況報告もしておくかの。こちらは今住む場所を定めたところでな、明日から住居を建てる予定じゃ」


 イナリは、木が硬すぎて進捗が芳しくないことは伏せておくことにした。


「そうでしたか、順調に進んでいるようで何よりです!こちらも先ほど教会のほうに神託を下しましたので、じきに人間らも動くことでしょう。今後は予定通り世界の調整に注力します」


「うむ。お互い問題はなさそうじゃの。突然連絡してすまんのじゃ」


「いえいえ、ご丁寧に近況報告まで下さってありがたい限りです。また何かございましたらご連絡ください」


「うむ。ではまたの。……これを押し込んだら切れるのかや?」


 イナリが宝石をもう一度押し込むと、宝石の色が青色に戻った。操作のタイミングからして、恐らく最後のイナリの呟きはアルト側に聞こえていただろう。


 荷物の確認が終わると、すっかり夜になっていた。空にはこの世界における月のような役割を果たしていると思われる星が浮かんでいる。


 環がついているし、サイズも結構大きいので絶対に月じゃない。イナリはそう思った。


「……明日に備えて今日は休むとするかの」


 かつて地球で散々見慣れた月が見られないというのは、意外と寂しく感じるのだと新たな気づきを得つつ、イナリは切り倒した木の上に寝そべり、異世界での初日を終えた。

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