第2話 異世界に降りる(物理)

 イナリを引き連れて亜空間を移動しながら、アルトは内心歓喜していた。


 正直なところ、世界の維持はかなり手いっぱいで、助けてくれる人員が欲しいと思い千里眼を通して適当に世界をまわって探していたところ、まさに今人間に捨てられていた神であるイナリを見つけることができたのだ。


 アルトが人員を求めていたことには理由があった。


 実のところ、世界の調整は、地上を切り捨てれば、できないこともなかった。しかし、調整が終わった後に歪みによって荒廃しきった地上を立て直すのは、それこそ世界を創り出す時と同じ程度に神の力を要するので、コスト的な観点から考えると現実的ではなかった。


 そのため、今まではそこまでコストのかからない神託や神器を授け、実体化した歪みを人間に対処させ、その間に世界の調整を進めていた。


 しかし、人間側の文明が発展するより先に歪みが地上を荒らしてしまうので、その都度アルトが間接的に介入していた。そのため、結局殆ど調整は進まず、対応が先延ばし先延ばしになってしまっている。


その様子を見たアルトはこのままでは埒が明かないと判断し、新たな人員を探すに至った。そしてイナリを見つけ出したというわけだ。




「さて、到着しました!こちらが私の世界です!……まあ、今は天界なので厳密にはちょっと違うかもしれませんが」


 イナリが案内されてたどり着いたのは、雲の上であった。辺りには神殿が建っていたり、用途不明、動力不明の歯車や時計のようなものがたくさん見えた。


「おぉ、何というか……異界という感じじゃな!」


 小学生のような感想を述べたイナリに対し、アルトは向き直る。


「狐神様、改めまして、今回は私の要望を承ってくださり誠にありがとうございます。そちらの穴から地上を見ることが出来ますので、そちらを見ながら詳細な説明をさせていただきます」


 イナリが近くにあった穴が開いている部分から下をのぞくと、草原や山が見えた。遠方には城のような影や、小規模な村などがいくつか見えた。


「下に見えるのが、この世界の地上部です。植物の種類や生物の違い等に関しては地球と比べると様々な違いがあります。えぇっと……狐神様は『ファンタジー』という概念をご存じですか……?」


「ふぁんたじー…?最近神社の前を歩く若いのが口にしてたのを何度か見たような気がするが、何なのかは全くわからんのじゃ。最近はすぐ新しい言葉が作られておるようで、辟易してたのじゃ」


「ふーむ、そうでしたか。となりますと、ちょっと説明が大変なのですが……。モンスターという怪物のような存在がいたり、人間型の生物の種族が複数あったり、といった具合ですかね……」


「まあ行けばわかるようなものであろ?なら問題ないのじゃ」


「そ、そうですか……?狐神様がそうおっしゃるのであれば問題ありませんかね。さて、狐神様には今見えている、丘の辺りに降りて頂こうと考えております。降りた後は、地球にいたころと同じようにしていただければ問題ありません。駆け足ではありますが、特に質問が無ければ早速降りていただきたいのですが、いかがでしょうか?」


「うむ、とりあえず二つほど聞かせてもらうとするかの。まず、お主との連絡手段はあるのかや?」


「ああ、大事な事なのに失念しておりました!少し気が早くなっていたかもしれません、失礼いたしました。連絡に関しては、狐神様にはこちらの指輪をお渡ししますので、何かあった際にはこれを使うことで私と通話をすることができます。私も同じものを持っているので、双方向で連絡が可能です」


「あいわかった。地上に降りてから何か話があったらこれを使って聞けばよいわけじゃな」


 イナリはもらった指輪を風呂敷の中に入れ直し、再びアルトに向き直った。


「二つ目の質問なのじゃが、歪みとやらについてもう少し詳しく聞いておきたいのじゃが?」


「歪みは簡単に言うと世界のバグみたいなものですね。例としては歪な状態で生成されたマナとかですかね。」


 「ばぐ……?まな……?」と呟き、首を傾げるイナリをよそに、アルトは続ける。


「最初に狐神様にお伺いした際に不安定な状態と申し上げましたが、そのようなものが集まって、実体化し、異形になって地上を荒らし始めるのが歪みです。地上の言語を解する生物の多くは『魔王』と呼称しています。歪みは実体化すると物理的に対処することが可能になるのですが、その前に歪みを潰すのが私の仕事です。ところで、狐神様は戦闘はお得意ですか?」


「いや、からきしじゃな。生まれてこのかた争いとは無縁じゃ」


「なるほど。でしたら、できるだけ神託等を使って人間らを使って歪みが狐神様に近づかないようにします。万が一歪みに遭遇した際には、とにかく逃亡に専念してください」


「あいわかった。ひとまず今聞きたいことはそれくらいかの。して、あとは地上へ行くだけなのじゃが……どのように降りればよいのじゃ?」


「この穴からそのまま落ちて頂きます」


「えっ」


「落ちていただきます。直接」


「……これ落ちても大丈夫なのかや?我こんな経験ないのじゃが?」


「多分大丈夫です!狐神様ならきっと!」


「本気で申しておるのか!?」


 アルトの口からは「多分」などとあいまいな言葉が飛び出てくるので、イナリは「もしかしてこいつ結構適当なこと言ってるんじゃないか」と疑いつつあった。


「はい、大丈夫ですからご安心ください!それではいってらっしゃいませー!!」


 アルトが指で地面(厳密には雲だが)を指さしぐるりとなぞると、イナリの立っていた場所にあった雲が消失し、イナリはフリーフォールを開始した。


「さて、こちらも仕事に取り掛かりますかね。まずは神託をださないと……」


 イナリの絶叫を聞きながらアルトは世界の調整の準備を開始した。




「――ぁぁぁあああああがっ、ぐふっ、ぐべっ」


 イナリは丘の森林の木の枝に引っかかりながら地面まで墜落した。木々のガサガサという音がやむと、しばらく静寂が訪れたのち、イナリは起き上がった。


「……このような痛みを感じるのは初めてじゃ……。あやつめ、今度一言くらい文句つけてやるのじゃ……」


 一般的な基準からすれば一言で済むようなレベルではないが、そこは流石神といったところだろうか。


「服とか破れてないじゃろうな?」


 イナリはパタパタと体についた土埃を叩き落とし、服や風呂敷が無事なことを確認した後、何をするべきか考えた。


「あやつは地球にいたころと同じようにしていればよいと言っておったが……まずは住む場所を決めねばの」


 住む場所を決めるにあたって、まずは辺りを確認してみる。自分が立っている場所は落下の衝撃で小さなクレーターのようになっており、少しだけ開けた場所になっている。この場所を中心として軽く辺りを歩いてみることにした。


 辺りの木々は地球と同様に緑の葉のついたものであるが、実っている果実は、柑橘類のものがいくつか目に付いた一方で、全く見たことが無いものが数多くあった。そこから目線を下に向けて草花を見てみると、これもまた見たことが無いような花や草ばかりであった。そして、木の実を啄む小鳥や、花の蜜に群がる虫も見たことのないものばかりで、地球とは違う世界に来たということをありありと感じることとなった。


 クレーターを基準にして辺りを探索していると、イナリの耳が水の音をとらえた。その音がする方向へ歩いていくと、そこには川があった。しかも、少し川をつたってみると水源と思われる場所も確認できた。ここまで歩いてきた感覚からすると、クレーターからまっすぐ歩いてきたら数分でたどり着く程度の距離だと思われる。


「この辺りに居を構えて良さそうじゃな!決まりじゃ!」


 幸い、この場所はなだらかな地形である。動物が川に水を飲みに来る可能性や、万が一、嵐などによる川の氾濫に巻き込まれないようにするために、結局イナリが墜落した場所に住むことにした。


 住む場所を決めればあとは早い。イナリは、遠い昔、地球で人の手によって神社を建てられる以前に、自力で小規模な社を組んでいたのだ。その時と同じように辺りの木を何本か使って社を組むだけである。


「あの時は確か10本くらいで何とかなったかの。久しぶりにこの術を使うときが来たのじゃ、腕がなるのう!」


 イナリは三つの能力を持っている。植物の成長を促す能力、姿を他者から認識できなくする術、そして風を操る力である。イナリは風を操ることで木を伐採することにしたのだ。


 イナリは近くにある建材として適していそうな木を見繕い、手を構えた。すると辺りが風によってにわかに騒ぎ出し、そしてイナリの手元に風が集まり、刃を形成した。


「いくのじゃ!」


 イナリが木の幹に狙いをつけ、その刃を振り下ろす。


 そしてその刃が木に直撃すると、ゴツッという鈍い音と共に刃が大体1割ほど入ったところで刃が霧散した。


「……のじゃ?」


 異世界の木は、地球の木の硬さとは比較にならなかった。イナリが住処を得る日は遠い。

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