豊穣神イナリの受難

岬葉

豊穣神、異世界へ

第1話 豊穣神、住むところが無くなる

「今日も暇じゃなあ……」


 高く聳え立つビルに挟まれた寂れた小さな神社で、金色の狐の耳と尻尾を持つ少女が呟いた。


 彼女は周囲の植物の成長を促す力をもつ神であり、その力を用いて、はるか昔からこの地の植物を成長させ、自然を豊かなものにしてきた。その恩恵はこの土地で畑を耕して暮らす人々に繁栄をもたらし、これに気がついた人々は彼女に対していたく感謝し、小規模の神社を建て、祀るようになった。


そして少女は、彼らがお供え物を持ってきて「稲荷様」と祈っている姿をしばしば見ていたことから、自分のことを「イナリ」と認識した。


 神社が建てられた後、イナリは積極的に力を発揮し、ますますこの地域は発展を遂げた。そして今では車や電車が行き交い、多くの人々で賑わう国内でも有数の大都会にまで発展した。


 しかし、これはイナリにとっては良いことではなかった。イナリが持つ植物を成長させる力の恩恵があるのは農業の話であって、植物の代わりにビルが生えてくるような時代になった現在では、全くその力の影響を及ぼすことができないからだ。


 大都市となっても尚イナリは力を発揮していたものの、当然ビル群の中で農業をするような人はいないので、今この地で暮らす人々にとっては雑草がやたらと生えるとか、ちょっとマリモやサボテンの飼育がしやすいぐらいの意味しかなくなってしまった。


 それに、かつては代々管理者が置かれしっかりと境内の清掃や手入れがされていたが、現在の管理者はイナリが最後に目撃したのがいつかもはっきりしないことを考えると、管理者はこの神社の管理を放棄しているようである。


 都会のビル群の中に紛れ込んだ、ご利益的な意味での存在意義もイマイチで、見た目がボロボロになった神社には、今では誰も寄り付かなくなってしまった。


「誰か来ないものじゃろうか。果たして最後に人を見たのはいつじゃったか……」


 イナリは神であるが、信仰を集める必要は特になかった。そのため、長い時を生きてきたにもかかわらず、イナリは人前に姿を見せたのはわずか数回程度であるし、祈りをささげた人に対して直接何らかの恩恵を与えることもなかった。尤も、姿を見せた数少ない数回というのも、厳密には見せたというよりかは見られたというほうが正しく、自発的に姿を見せたことは一度もなかったのだが。


にもかかわらずイナリが人が来ることを待ちわびている理由は、ビルに囲まれ人もいない、代わり映えのない景色に飽きたことと、ついでに、あわよくば誰かがお供え物でも持ってくるのではないかという淡い期待からであった。イナリは普段、その辺に生っている実などをほぼそのままの状態で食べているので、人間が加工した食品はそれなりに楽しみにしているのだ。


「……ぬ?」


 イナリは今日も社の横で一日中空を眺めて終わるのかと半ば諦観していると、外から二人、誰かが歩いてきていることに気がついた。片方は二十代から三十代くらいのスーツを着た若者で、もう片方は還暦は迎えているであろうといった容貌の男性であった。


「な、なんと……。このような場所に成り果てても来てくれる者がおろうとは……」


 イナリが久々に見る人間に衝撃を受け、感動している間に、二人組は拝殿の前まで歩いてきた。


「一体何の用であろうか?もし何か願い事でもするのであれば、久々の人間ということで特別に願いを聞いてやることも検討するのじゃ、この街一帯森にするぐらいは容易いことであるしの!」


 彼らにイナリの声は届かないが、彼女は久々に見る人間の姿に舞い上がった。今まで個人の願い事など聞き流していたものだが、今回ばかりは久々の来訪者に喜び、何らかの形で力になってやるかどうかはさておき、願い事の少しぐらいは聞いてやろうと、今か今かと彼らが祈るのを待ちわびた。


 すると男のうち若い方が口を開いた。


「本当にこの土地を手放してしまってよろしかったのですか?」


「いいんだ。もう管理できる者もいないし、地税が負担になってもう維持することも難しいんだ」


「……んんん??」


 何やら不穏な会話が聞こえた。彼らはイナリの力を借りるべく参拝しに来たのではなく、どうやら彼らのうち年配の方がこの土地の法的な所有者で、ここの処分について話しているようだ。


 年配の男性が続ける。


「明日にはこの社の解体作業が始まるんだし、最後に一度見ておくぐらいはしておかないとな。ここの神様には申し訳ないことをしたとは思っているのだが……」


「大変な決断だったとお察しします。しかし、ここは立地的にも非常に良い場所ですから、我が社が都市開発計画に沿ってしっかり活用させていただきます。ご安心ください」


「安心できる要素などあるか、我に断りの一つすらなく解体じゃと!?一体どういうことなのじゃ!そもそも我は昔からこの地にいただけなのに勝手に祀り上げてきたのは人間の方ではなかったか!それが時代に合わなくなったからと言って突然切り捨てるとはどういう了見か!」


 イナリは怒りの声をあげるも、やはり届かない。


確かに、イナリにとっては自然と共にゆったりと暮らしていたら、そこに人間がやってきて、突然担ぎ上げられたと思ったら、ある日突然手放されてしまったという形だ。しかし、そもそも大半の人間は神を認識していないので、実際は若者が言っていたように、ただこの土地の価値が目に留まり、ちょうど都合よく殆ど活用されていなさそうで、しかも手放してくれるようだから買い取ったというだけの話なのである。


 その後、二人組は数分程度殆ど会話せずに境内を歩いてまわった、イナリはその間もずっと文句を言い続けていたものの、努力も虚しく、彼らは立ち去っていった。


 その後は茫然自失になり、そのまま夜を迎えた。




「……一体どうしてこのようなことになってしまったのじゃろうか……」


 彼らの会話によれば明日からこの神社は解体されてしまうようだ。未だかつて、イナリの住む土地に何らかの脅威が迫ったことはなかった。ここが解体されてしまったら、その後一体どうなってしまうのだろうか。どのようになるかはわからないが、少なくともろくなことにはならないだろうというのがイナリの予想であった。


「専門外ではあるが、何か呪いでも試してみるか……?神社のどこかに一つくらいそれらしいものを書いた書物があったりするじゃろか……。もしそれができたらあやつらを何とかできるかもしらんし、或いはそうでなくても恨みの一つくらいぶつけても良いじゃろ……」


 夜になって気分が完全にどん底になり、邪神への転職を検討していると、ふと自身の隣に光が現れた。


「ななな、なんじゃ!?」


 イナリが突然のことに慌てふためいていると、光の中から全体的に白い服に身を包んだ、十七歳前後に見える、銀の髪を持つ少年が現れた。


光が収まると、少年が口を開いた。


「お初にお目にかかります、狐神様。私はこことは別の世界を管理する神である、アルトと申します。この度は突然伺ってしまい大変申し訳ございません」


「う、うむ。我はイナリと呼ばれておる。して、その異界の神とやらが一体何用であろうか?我は今明日以降のことを考えるので精いっぱいなのじゃが」


「ええ、狐神様の状況に関しては私の千里眼を通じて存じております。人間というのも全くひどい連中ですよね、誰のおかげで幸福を享受できているのかも知らずに、それどころか力を貸した神の住まいを打ち壊すなどというとんでもない仕打ちまで受けさせるとは。もし私がこの世界の神だったら直接天罰を下した上でここら一帯に塩でも撒いてやりますがね!」


「そ、そうか……」


 アルトがあまりにも一気にまくし立てたので、イナリはすこし引き気味だ。確かに人間に対して思うところはあったし、先ほど呪ってやろうかと検討こそしたが、実際のところイナリにそのようなことはできないだろう。それに彼らにも何らかの事情があることは察せられたし、何もそこまで言うことはないのではとイナリは思った。


「……失礼しました。用件についてお話させていただきます。単刀直入に申し上げさせていただきますと、貴方様の、この土地をこれほど文明の発達した場所にまで導いたそのお力をお借りしたいのです」


「はて、力とな?やってたことと言えばここにいただけなのじゃがな?」


「またまたご謙遜を。もともとただの草原だった土地を大都市にまで発展させるなど容易なことではございませんよ」


 手をパタパタと振りながらアルトは続ける。


「私が未熟なばかりに、私が管理している世界は現在不安定な状態でして、定期的に世界に歪みが生じ、その歪みが集まって実体となって地上の生物を襲ってしまっているのです。私が神託を下したり、いろいろな手段をもって人間らに力を与えて何とか持ちこたえてきたのですが、そちらにかかりきりになってしまうと世界の調整に手が回らなくなってしまい、悪循環に陥ってしまっているのです」


「なるほど、つまり我にはお主の代わりに地上で彼らの支援をしてほしいということじゃな?」


「はい、簡単に言えばそういうことになります。狐神様のお力があれば、人間の文明が発展して歪みに対抗することも容易になりましょう。そうすれば私も世界の調整に集中でき、歪みを無くすことができるのです。いかがでしょうか?」


「うむ、良いじゃろう。恐らくここにいても先はなさそうじゃし、お主の世界に力を貸すのはやぶさかではない」


「本当ですか!ありがとうございます!では早速、あちらの世界へ移動しましょう!ささ、こちらにどうぞ」


 アルトがそう言うと、彼の右側に亜空間が生成された。


「うむ、だがしばし待たれよ、運ばねばならぬものがいくつかあるでな」


 イナリは一度社に戻り、いくつかの物を風呂敷に包んできて、亜空間に入った。次いでアルトが追って入ると、そこには誰もいなくなった。




 イナリがこの世界から去った直後、神社は急速に劣化が進み、音を立てて崩れ落ちた。翌日、一夜にして廃墟と化した神社に訪れた作業員らは、狐につままれたような様相であったという。

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