閑話 社長と討伐者

 時は遡り、天人たちが打ち上げを始める一時間ほど前。

 神南紗由はナイトゴーンズ本部の最上階にある執務室へと呼び出されていた。


「報告書を見させてもらった。これは事実かね?」


 白いスーツに身を包んだ初老の男。

 年の頃は、五十代後半から六十歳と言ったところであろうか。

 髪の大半は白く、目尻にはしわが刻まれている。

 一方で、しっかりと伸びた背筋と鋭いまなざしは年齢的な衰えを感じさせない。

 彼の名は天堂宗次郎てんどうそうじろう、このナイトゴーンズの代表であった。


「事実と言いますと?」

「君はこの人型迷宮主を自身の手で倒したとしているが……。私にはそうは思えない」


 そういうと、天堂は手を顔の前で組んでやや前のめりな姿勢を取った。

 その眼は紗由の顔をまっすぐに見据え、些細な変化も見逃すまいとする。

 明らかに、紗油のことを疑っている様子だ。

 しかし、彼女もこうなることは事前にある程度予想していた。

 軽く息を吸うと、落ち着いた顔で答える。


「間違いなく私が倒しました」

「どうやって? 敵の迷宮主は一度受けたイデアを無効化する能力があったそうだが?」

「はい、非常に強力な能力でした。ですが、強力であるが故に弱点があったのです」

「というと?」

「制限時間です。敵が能力を無効化できるのは、数分間だけでした」


 まったくのでたらめを、さも真実のように語る紗由。

 これは天人の能力を隠すと決めた際、彼女が考えた嘘であった。

 しかし、フェムドゥスは倒されダンジョン自体も消滅してしまっている。

 嘘を嘘だと証明するような証拠は絶対に出てくることはない。


「再使用はすぐにできない能力だったのかね?」

「そのようです。戦闘中に、急に敵が姿を隠そうとしたため能力の概要に気付きました」

「ふむ……」


 紗由の説明に、これと言って不審な点はなかった。

 しかし、言葉の端々にわずかなためらいのようなものがある。

 天堂はそこに少なからぬ疑念を抱いたが、今となっては追及のしようがない。

 変わって、今度は赤井のことを尋ねる。


「ひとまず、迷宮主のことについては置いておこう。それよりも、問題は赤井の件だ」

「はい。最後に彼が目撃されたのが、初ヶ瀬ダンジョン消滅から三十分後。自宅マンションのエントランスで住民に挨拶をしたそうです」

「時間的に、ダンジョン消滅からすぐに自宅へ直行しているな」

「ええ。そのおよそ二十分後にうちの職員が彼の家を訪問したのですが、既にもぬけの殻でした。あらかじめ、荷物を持ち出せるようにしていたようです」

「完全に計画的な犯行というわけか……」


 ふぅっと大きなため息をつく天堂。

 自らの組織に裏切り者が混じっていたことは、彼にとって何よりも許し難いことであった。

 紗由も赤井に対しては思うところがあり、天堂の手前、できる限り平静を保っているが眼には怒りが浮かんでいる。


「警察とも共同で調べていますが、自宅マンションを出て以降の足取りは全く不明。推測ですが、かなり大きな組織が彼を匿っているのではないかと」

「今の日本は高度な監視社会だ。それを掻い潜れる組織となると……ごく限られてくる」


 名前を出すことは避けたが、天堂も紗由もそのような組織には一つしか心当たりがない。

 日本国防総軍――通称、国防。

 国内の急速な治安悪化とモンスターの脅威を背景に、ここ三十年で急拡大した組織である。

 その規模は米軍に匹敵するほどにまで膨れ上がり、権力も絶大。

 総理の首を挿げ替えるほどの力があるとすら言われている。

 彼らはダンジョン攻略を事実上独占している討伐者を快く思っておらず、隙あれば潰そうと活動を続けていた。


「いずれにせよ、今回の一件で我々は出鼻をくじかれた。今後の高難易度ダンジョン攻略、ひいては第二次首都奪還作戦の発動は大幅に遅れるだろう」

「……責任は痛感しております」

「君は赤井君の教育担当でもあっただろう?」

「そのとおりです」


 唇を強く噛みしめる紗由。

 赤井がナイトゴーンズに入った際、教育担当を任されたのが彼女であった。

 それだけに、彼の本質を見抜けなかったことへの悔恨は並大抵のものではない。

 強く握りしめた拳が、震える。


「今回の件の責任を取って、君には一か月の謹慎処分を下す。この間、ダンジョン探索は一切禁止だ」

「……天堂社長、それではぬるいです」

「どういうことかね?」


 紗由はいささかぎこちない動作で、懐から封筒を取り出した。

 その表には大きく「辞表」と記されている。

 たちまち、天堂の目が大きく見開かれた。


「……本気か?」

「はい。組織を危険に晒した責任は取ります」

「君はまだ若く優秀だ。ナイトゴーンズには、君のような人材が必要なのだよ」

「けじめはきちんとつけさせて下さい」

「この私の判断に従えないというのかね?」


 天堂の表情がにわかに険しさを増した。

 日本有数の大手カンパニーを束ねる支配者としての一面が、表に出たのだ。

 その帝王を思わせる威圧に、紗油は物理的な圧迫感すら覚えつつも反論する。


「従えません」

「なぜだ、どうして辞める? 今回の件で居心地が悪くなったというなら、すぐに異動させてやる」

「……そういうところが嫌なんです」

「嫌だと?」


 冷静さを捨て、感情をあらわにし始めた天堂。

 一方の紗由も、すぐさま負けじと言い返す。


「今回、亡くなった方のお葬式に社長は出られましたか?」

「忙しかったので秘書に代行させた。何か問題でもあるかね?」

「いいえ。ですが、私が病院で検査を受けた際には時間を割いて見舞いに来ましたよね?」

「ああ、君はこのカンパニーにとって重要な人材だからな」


 当たり前だと言わんばかりに、悪びれる様子もない天堂。

 情の通わない徹底した実力主義。

 それが彼の強みであり、また畏れられる要因でもあった。


「私は社長のことを人間的に好きになれません。今までもうすうす感じていましたが、今回の件ではっきりしました。もう、着いていけません」


 辞表を執務机の上に叩きつける紗由。

 ドンッと音がして、しばしの沈黙があった。

 やがて天堂はそれにゆっくりと手を伸ばすと、改めて紗由の顔を睨みつける。


「……ナイトゴーンズを辞めるということは、討伐者を続けられなくなるということだと思え。私が手を回せば、君を締め出すなど簡単なことだ」

「ご随意に」


 そういうと、紗由は深々と礼をして執務室を後にした。

 後に残された天堂は、苛立ちを露わにしながらも辞表を胸元に収める。

 鏡花たちに天堂から連絡が回されたのは、そのすぐあとのことであった。

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