第二話 決意

 異世界ヴェノリンド。

 かつて俺は、そこで万法の賢者と呼ばれる大魔導師であった。

 魔導の探求に励んだ日々、強敵との戦い、仲間との想い出。

 瞼を閉じれば、すべてが昨日の出来事のようにありありと思い起こすことができる。

 どうしてこのことをすっかり忘れていたのだろうか。

 今となってはそう思えるほど前世の記憶は鮮明だった。

 唯一、死の間際の記憶だけはすっぽりと抜け落ちているが……。

 よほど耐えられないような死に方でもしてしまったのだろうか?


「……っと! 今はそれどころじゃなかった!」


 思い出に浸るのをやめて、我に返る。

 これだけの騒ぎだ、すぐに近くの警察や討伐者が駆けつけてくるだろう。

 さっさと逃げないとめんどくさいことになるな。

 幸いなことに、モンスターは特殊な機材でなければ撮影することができない。

 この場さえ逃げ切れば、記録が残っている可能性は低いだろう。


「イクスヒール。これでいいな」


 治癒魔法をかけて、身体が動くようにする。

 身体全体がほのかに温まり、全身の激痛があっという間に溶けていった。

 念のためかなり強めの魔法を使ったが、ちょっとやりすぎたかな?

 肋骨が折れていたはずだが、それさえも綺麗に治ってしまった。


「あとは……」


 俺は散らばっていたタブレットの残骸をしっかりと回収すると、すぐに家に向かって走り出した。

 後のことはじっくり家で考えることにしよう。

 那美にもいろいろ相談したいことがあるしな。


――〇●〇――


 こうして思案しながら走ること数分。

 俺はあっという間にアパートの前へとたどり着いた。

 築四十年の木造二階建て。

 今の時代には非常に珍しい、外階段式の物件である。

 本当は那美の安全を考えて、もっとセキュリティの良い物件に住みたいところなのだが。

 あいにくこの辺りで家賃四万円を切るのは、もうこの物件ぐらいしかない。

 外通路に置かれた洗濯機を避けながら部屋の前に着くと、とんとんとノックをして鍵を開ける。


「ただいまー」

「おかえりー。……って、なにその恰好!?」


 ドアを開けるとすぐに、台所で料理をしている那美の姿が見えた。

 すっかりぼろぼろになった俺を見て、彼女はたちまち目を丸くする。

 そして俺に抱き着くと、全身をペタペタと触り出した。


「モンスターにでもあったの!? 大丈夫!?」

「ああ、平気平気。それよりごめん、服ボロボロにしちゃって」

「そんなのいいよ! お兄ちゃんが大丈夫ならそれで!」


 微笑みを浮かべた俺に、那美は心底安心したようにほっと胸を撫で下ろした。

 すっかり心配をかけてしまったなぁ。

 けれど、これからはもう安心だ。


「那美、ちょっと聞いてくれ」

「……また面接落ちたの?」

「そうだけど、そうじゃなくて。俺さ…………討伐者になろうと思うんだ」


 俺が至って真面目な顔でそういうと、那美は怪訝な顔をした。

 思考が追い付いていないのか、そのまましばらく静止してしまう。

 そして数十秒後、猛烈な勢いで俺に接近して来た。


「お兄ちゃん、事故にあったんだね! 病院行こう!」

「いやいや、どこも悪くないから!」

「じゃあ、何で急にそんなこと言うの? 諦めたんでしょ?」


 呆れたような顔で言う那美。

 討伐者になるために必須とされるイデア。

 これは、十五歳になるまでに発現するものとされている。

 十八歳になってしまった俺にはおよそ縁遠いものだ。

 しかし、今は少しばかり事情が違う。


「イデアがな、発現したんだよ」

「またまた。就活が上手く行かないからって、現実逃避は良くないよ」

「本当だって。ほら」


 魔力を集中させて指先に小さな光を灯す。

 それを見た途端、那美はすごい勢いで俺に詰め寄ってきた。

 そして腕を掴むと、幽霊でも見たような顔をする。

 か細い光であろうと、物理的に説明のつかないそれはイデア以外にはありえなかった。

 ……俺のは魔法で作った偽イデアなんだけど。


「うっそ!? お兄ちゃんがイデアを!?」

「これで俺も何とか討伐者に――」

「お祝いしなきゃ! お赤飯? ううん、お寿司頼もう!」


 俺がイデアに目覚めたと聞いて、俺以上に喜ぶ那美。

 本当はイデアではないのだけれど、まあ似たようなことはできるし問題ないか。

 正直に前世の記憶を思い出して魔法が使えるようになったと言っても、絶対に信じないだろうし。

 実の妹に不審者を見るような眼で見られることは避けたいからな。


「まだお金あんまりないんだから、お祝いは稼いでからな」

「わかった、待ってる!」

「ああ。ガッツリ稼いでくるから期待してくれよ」

「うん! でも無理はしないでよ? お兄ちゃんの身体が一番大事なんだからね。お兄ちゃんまでいなくなったら、私……」


 不意に、寂しげな顔をする那美。

 俺はその表情に後ろ髪を引かれる様な思いがしたが、すぐに彼女を抱き寄せて背中をさすってやる。


「わかってるよ。けど、お前の学費を確保しなきゃいけないからな」

「うん……」


 那美はとても成績優秀だ。

 いい大学へ行くこともできるだろう。

 だからこそ、それまでの学費と生活費を何としてでも俺が稼がねばならない。

 可愛い那美に俺のような苦労はさせたくないからな。

 そのためなら多少の危険ぐらい、喜んで背負おうじゃないか。

 

「……本当に気を付けてね」

「もちろん。那美のためにも無茶はしない」

「ん、じゃあご飯持ってくるね!」


 俺の返事を聞いて、いくらか安心したのだろう。

 木を取り直すようにふんふんっとリズムを取りながら、那美は台所へと移動した。

 やがて彼女は大きな土鍋を持って部屋に戻ってくる。


「はーい、もやしごはん! うちで育ったモヤシがいっぱいだよ~!!」

「お、今日は全然水が入ってない!」

「ふふーん、モヤシが順調に育ったからね! 自然の恵みに感謝だよ!」


 こうしてこの日の夜は、穏やかに過ぎていくのだった。

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