第一話 異界の記憶

 ――ドラゴン。

 ダンジョンに出現する無数のモンスターの中でも、最強と名高い種族である。

 東京を数日で焼き尽くしてしまったのも、このドラゴンの群れだったと言われている。

 砲弾を弾く強靭な鱗、ビルを切り裂く爪、そしてすべてを灰燼に帰すブレス。

 その戦闘力は一般人である俺はおろか上級討伐者をも凌ぐとされる。


「何でこんなところに……!?」


 いくら現代日本の治安が悪いとはいえ、街中に出るのはせいぜい強盗ぐらいのはずだ。

 なんだってまたこんな大物モンスターが……。

 そう考えた瞬間、赤井たちの姿が脳裏をよぎった。

 いくら討伐者と言えども、常に機動服を着て生活をしているわけではない。

 あの時は嫉妬でそれどころではなかったが、あの服装は付近にダンジョンが出現した証だろう。

 ああくそ、もっと警戒しておけばよかった……!!

 でも、普通はドラゴンなんて出たらスマホのアラートが鳴るはずだけど……。

 俺があれこれ思案しているうちに、寝そべっていたドラゴンは悠々と置き上がる。


「ひっ!!」


 全身を貫くような視線。

 たちまち、俺は腰が抜けて身動きが取れなくなってしまった。

 生物としての絶望的なまでの格の違い。

 本能が戦うことを拒絶し、ひたすらに逃げ場を求めて視線が彷徨う。

 ……殺される、殺される殺される殺される!

 たちまち恐怖が脳を支配し、全身が震える。


 ――グルルラァ。


 やがてそんな俺のあざ笑うかのようにドラゴンの口がこちらに近づいて来た。

 生暖かい吐息が、たちまち全身を撫でる。

 同時に、死肉を思わせる腐臭が周囲に満ちた。


「あ、あぁ……!!」


 生々しい臭いと感触に、俺は情けない声を漏らした。

 だがその瞬間、ドラゴンは興味をなくしたかのように俺から視線をそらせた。

 ……助かったのか?

 食われなかったことに安堵し、たちまち全身から力が抜けた。

 とにかく、一刻も早くここから逃げなくては。

 そう思った瞬間、俺はドラゴンの向かう方向に自宅アパートがあることに気付く。


「……なんで、よりにもよってそっちなんだよ!」


 この時間、既に妹の那美は学校から家に帰っているはずだ。

 俺は急いでスマホを取り出してラインを送るが、まったく出る気配がない。

 たぶん、夕飯を作るためにスマホを置いて台所にいるんだな……!

 このままだと、ドラゴンは数分のうちにアパートまでたどり着くだろう。

 そうなれば、いったいどうなるのか。

 都合よく那美のことを見逃してくれるとは限らない。


「…………やるしかない!」


 倒れる那美の姿が脳裏をよぎり、自然と体が動き始めた。

 硬く拳を握り締めると、小走りでドラゴンを追いかける。

 そしてドラゴンの背中に向かって、全力で鞄をフルスイングした。

 ――バゴンッ!!

 革の鞄はたちまち大きく変形し、中のタブレットが二つになって飛び出す。

 ああ、なけなしの貯金をはたいて買ったタブレットが……!!

 思わず目を見開くが、犠牲を払っただけのことはあった。

 一度は俺から興味を失ったドラゴンが、ゆっくりとこちらへ振り向く。


「はは、ははは……! こっちこいよ、俺が相手だ……!!」


 乾いた笑みを浮かべながら、俺は中指を突き立てた。

 そして転がっていたタブレットの残骸を掴むと、ドラゴンの眼をめがけて投げつける。

 無論、直撃したところでダメージが入るはずもない。

 だが、少なくとも俺のことを目障りだとは思ったのだろう。

 顔に一撃食らったドラゴンは気だるげに前脚を持ち上げると、蚊でも潰すように無造作に動かす。


「あがっ!?」


 ほんの軽い一撃。

 それが俺の身体をいともたやすく吹き飛ばした。

 なんだ、これ……!?

 衝撃で肺が押され、悲鳴を上げることすらままならない。

 そのままなすすべもなく地面に転がった俺を後目に、ドラゴンは再びアパートのある方に歩き出す。

 

「俺の命って……この程度かよ……!!」


 今ので一体、どれほどの時間を稼げただろう?

 十秒? いや、五秒にも満たなかったかもしれない。

 命を懸けたにしては、無にも等しい成果。

 あまりにも理不尽な結果に、俺は自分の無力さを痛感する。

 

「せめて、イデアがあればな……!」


 選ばれし者たちが目覚める特殊能力、イデア。

 時に物理法則を超越するそれは、人の意思によって現実を書き換える能力だと言われている。

 討伐者になるためには必須とされるその力に、俺はついに覚醒することはなかった。

 しかし、そのことについてはさほど落胆することはなかった。

 小市民根性と言うべきか、負け犬根性と言うべきか。

 現実はそんなものだという、諦めにも似た悪い意味で大人っぽい考えがあったのだ。


 ――けれど、今は違う。

 力が欲しい、あのドラゴンを足止めできる程度でいい。

 俺の手に……力を……!!

 命と引き換えだっていい、那美を助けなければ……!!

 イデアが人の意思で現実を書き換えるというならば、どうしていま発現しない!

 これほどまでに願っているというのに……!


「………………!?」


 薄れゆく意識の中で、ポンッと何かが弾けた。

 続いて、いきなり見覚えのない光景が浮かんでくる。

 これは……焼き払われた村か……?

 炎に煙る夕空を、巨大なドラゴンの群れが悠々と飛び回っている。

 一瞬、日本の光景かと思ったがそうではない。

 崩れ落ちた建物は古めかしい煉瓦造りで、逃げ回る人々は欧州系の人種に見える。


 なんだ、なんなんだこれは?

 俺は何を見せられている? 

 走馬灯なら、何で見覚えのないものが見える?

 混乱する思考をよそに、右手がすうっと前に伸びた。

 そこにどこか懐かしさを覚える不可視の力が収束し、唇が言葉を紡ぐ。


「インフェルノ」


 手のひらから放たれる炎。

 収束した紅炎が、巨大な弾となってドラゴンの鱗を貫く。

 ――ドグォン!!

 爆音とともに、黒光りする巨体に風穴が空いた。

 瞬く間に命を奪われたドラゴンは、ゆっくりとその場に崩れ落ちる。


「……思い出した。俺、魔導師だった」


 ドラゴンの亡骸を見ながら、茫然と呟く俺。

 その脳裏には、異世界で魔導師として生きた記憶がありありと蘇っていた。

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