025:対峙2/退却

 父親。

 私にとっては畏怖の対象であるその人を目の前に、私は顔を引きつらせていた。

 低い声で名前を呼ばれる不安。怒られるのではないのかという恐怖。それらすべてを含めて、畏怖しているのは間違いない。


「帰ったのか」


 その一言に、背筋が震える。はい、という一言さえも声にならない。


「テオドール、お前はどうするんだ」


 その一言に、きつく目を閉じる。何回も聞いたその言葉に、両手をきつく握りしめる。血の気が引いたその手を、この人はどう見ているんだろう。


「……まあいい。今日はゆっくり休むように」


 諦めの言葉に、唇を噛みしめる。かろうじて感謝の言葉を伝え、部屋を出ようとしていた時だ。


「ああそうだ。ディーデリヒもお前に会いたがっていたな」


 その言葉に、足を止める。振り返れば、片側の口角を上げてこちらを見ていたのを見て、慌てて部屋を出る。


「……っ、はっ……、……」


 ……心臓は、未だうるさいままだった。

 廊下へと出た私は、覚束ない足取りで子供のころの自室へと移動する。西棟、二階の一番奥の部屋。

 扉に手をかけ、ゆっくりと開ければそこだけと気が止まっていたかのような感覚を覚える。ベッドに、机。本に――窓の外の隣の家まで。

 心臓はうるさいままだったが、整えられていたベッドに腰を掛けた。靴を脱ぎ捨て、倒れるように横になれば、心臓の音も、次第にゆっくりと落ち着いていく。

 そうしている間に、何時間たったのだろう。扉のノックとともに目を開ければ、赤く染まっていた部屋はもう暗くなっていた。


「テオドール、起きてるか」


 聞こえてきた声に慌てて起き上がる。靴を素早く履き、扉をゆっくりと開けた。父親と似た声と顔の、だが若い顔つきの男性。


「兄さん、」

「やあ、テオ。……寝てたのかい?」


 にこりと笑う男性――兄である、ディーデリヒが私の頭に手を伸ばす。それに、肩を震わせると兄は手を引っ込めた。兄は気まずそうにした後、思い出したかのように私に向かって告げる。


「ああ、夕飯がもうじきだから呼びに来ただけなんだ。……先に行ってるな、」


 待ってくれという暇もなくドアを優しく閉められ、行き場を失った手が下がる。苦しさと、申し訳なさと……感情の洪水に溺れそうになって、顔を上げた時だった。目の前の窓がゆっくりと開いたのは。


「よう、テオ。……テオ?」


 月明かりが逆光になり顔はよく見えないが、赤い髪に白色のメッシュがかろうじて見えた。声からしても、この窓の外の家に住んでいた、


「――オスク、さん」


 なんでそこから。なんでここに。

 言いたいことは山ほどあったが、それどころではない。自分の感情の蓋を閉じるのに精いっぱいな時に、なんでこの人は来るのか。

 よじ登り、窓から入ってくる彼に、私は駆け寄る。できる限り、足音を小さくして。


「オスクさん、」


 すぐ手を伸ばせば触れられそうになると、彼の服をつかむ。

 ――逃げるわけではない。逃げたくはない。対峙したい。……だが、それは今じゃなくてもいい。

 そう思う、きっかけを作ってくれた人。


「私を――僕を、連れだしてください」


 このステーション、星系。帝国領内から。

 確信があるわけではない。が、この男は誰かから命令を受けて僕をこの星系から引き離そうとしていた。それが父上か、兄さんのどちらかは分からない。ただ、この彼なら、


「僕を、パイロットに引き戻してくれるんですよね、」


 その一言に呆れたような、諦めたような表情で呟く。


「……お見通し、って訳か」


 片手で頭を掻き一つため息を吐きながらそう言う彼は、窓の縁に足をかけ、手を伸ばしてくる。その手を取り、縁に足をかければ彼――オスクさんはこっちを見てニヤリと笑う。

 ――同じ笑い方なのに、こんなにも違うものなのか。

 オスクさんが、どこかへ一通メッセージを送信した後一足先に窓の外へと器用に降りていく。それに続いて降り、静かに家を後にした。

 住居区を出るころ、生家の方を見ればそれは……とても小さいものに見えた。

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