第26話:ドラゴンライダー

 黒龍アイヤに乗った紅一行。


 夜空に浮かぶ月は特別、明るく輝いて見えた。 

 紅の赤い瞳が月の光を浴びて輝く。黒い髪は、輪廻したアイヤと同じ煌めきを伴って、風に舞った。


 黒龍アイヤの首筋に手を添え、力強い背中に身を任せる。

 二人は昔、一人の人間だった。

 それを証明するかの如く、雲の間を縫ってゆく。


 漆黒の両翼が飛翔する度に、下に広がる砂の海が、星屑で出来た絨毯さながらの瞬きを見せる。

 紅たちは余りの美しさに息を飲みながら、闇夜にすら黄金に輝く王宮を見遣った。


 王都では上空を旋回する見慣れぬ黒龍に、市民が一気にざわめきだしていた。


「あれは誰?」

「ジェイバー卿のバカ息子でしょ」

「いや、違う。乗ってるのは……アイヤ様だ!」


 紅達を乗せた黒龍アイヤは、翼をはためかせ、街を大きく旋回した。


 王宮中央。最も巨大なドームが、花弁の開きを思わせる動きをなし、開け放たれる。


「ガァーッ!」


 大王妃が黒龍に乗り、紅たちの前にゆうぜんと現れた。大王妃が直々に出てくるとはすなわち、ここメディナ帝国において有事と同意義。


 王族警備隊が即座に戦闘態勢に入る。が、しかし。対する獣人帝国軍――王都で従軍していた彼らは、決して武器を取り出そうとしなかった。

 

 彼らの眼にあるのは『希望』ただそれだけだ。


 王族警備隊の銃口は、獣人帝国軍に向けられた。かけ声と共に、一斉に引き金に手を掛け、発砲体勢を取る。

 

 そんな地上での騒ぎを黒龍の炎でいさめたのは、意外にも大王妃サファイアであった。


 黒いターバンとガウンから、ゾッとするほど美しい群青の瞳が覗く。織り込まれた金糸が、月の光を浴びて輝いていた。


「会いたかったぞ、紅。貴様なら、ドラゴンライダーになれると信じていた」


 黒曜こくよう石を思わせるうろこの上に立ち、パン! パン! とおうような拍手を送る。

 ガウンに手を入れた大王妃は、金の扇子を取り出し、ザッと開いた。

 うやうやしく、口元を隠してみせる。


 同じく黒龍アイヤの背に立った紅。彼女は以前のように、激昂する事もなく、ただじっとサファイアの群青を捉えていた。

 黒いターバンのサファイアが、金の扇子から口元を覗かせる。


 メディナ帝国の頂点は、見たこともないような笑みを浮かべていた。


「紅よ。妾の件、取り下げだ。匂いで分かる。貴様は身体の熱で、子が成せるようになったな。


 紅の背後で銀色のたてがみが、ざわりと逆立つ。立ち上がった大男は、紅の肩を抱き寄せ、サファイアに牙を剥いた。狼の瞳に激しい光が宿る。


「断る。。王族であろうと決して、渡したりしない」

「ガルガ……」

「……私が戻るわ。皆、助けてくれてありがとう」


 二人の間から、見事なブロンドのペリドットが姿をあらわした。

 殆ど裸だと言うのにぜんと立ち、大王妃に強い眼差しを送っている。


 振り返ったペリドットは、手に持っていたローブをオウルに返し、頭を下げた。


「私も戦う事に決めたわ。私のやり方でね。だけど、約束して。いつか必ず皆で迎えに来るって」

「行くな、ペリドット!」


 頭を振り、翡翠の瞳で優しく微笑みかけた彼女は、大王妃の乗る黒龍に飛び移っていった。


「ゴゥ……」と息を吐いた黒龍アイヤ。その眼が、対に浮かぶもう一頭の黒龍を見る。

 雄であろう黒龍は、縦長の瞳孔を更に細く狭めて、生まれ変わったアイヤを瞬ぎもせずに見ていた。


「大王妃サファイア。私は貴方の妃にはならない。王族であり、黒龍に乗る私には王位継承権がある」


 砂漠の風が、紅の黒髪を浚ってゆく。

 

 瞬間、隠れていた額の刻印が姿を顕した。

 胸元のルビーを伝い、黒龍アイヤの深紅にもこうえんの瞬きを灯す。


 サファイアの瞳がわずかに、きようがくの色合いを帯びる。そうして影を纏った口元は、再び金の扇子で覆われた。

 

「ほう……貴様は茨の道を選び、玉座を求めるか。ようかろう、紅。私は貴様を手に入れてみせる。精々、励む事だ」


 サファイアとペリドットを乗せた漆黒の龍は「ギィーッ!」と一際大きく鳴いたかと思うと、ゆったりと翼を羽ばたかせ、王宮へと戻っていった。



 ◆

 


 遠ざかる黒龍を見ていた紅が、突然、ガルガの逞しい二の腕にギュッとしがみついた。

 更に熱くなった身体に、ガルガが目を見開く。心配でたまらない、と耳を下げ、堪らず抱きしめた。


「大丈夫か、紅」

「……大丈夫じゃない。ガルガの妻って、その……どういう意味?」


 見れば、紅の頬が薔薇色に染まっている。

 腕の中にある潤んだ瞳に、ガルガも顔が火照って、赤く染まった。


「紅……」


 褐色肌の大男が、口づけを落とそうと顔を近づけてくる。紅は、小さく震えながらも瞳を閉じた。

 

 その時、やたらと軽薄な笑い声が響いて、二人はうんざりした溜め息を思い切り漏らしてしまった。フォクスも乗っていた事に、今更気づいたのである。


「恋愛指南だったら、ボクに任せて! とろけるキスの仕方とか。いつだって相談に乗るから!」

「お前は自分が思っているほど、モテないぞ。手が早いだけだ。見境がないとも言うがな」


 ペリドットが王宮に戻ってしまい、消沈していたオウル。黒いローブから覗くヘーゼルの瞳が、キッと軽薄狐を睨みつける。


「ひっどい! 一回、試してみる? オウルだったら大歓迎よ」

「くだらん。鏡相手に一人でやってろ」

「止めないか、お前達。下で部下達が見てるんだ、示しがつかない」

 

 ギャーギャーやり始めた獣人族を、呆れ顔で見ていた紅。しゃがんだ彼女は、とびっきりの笑顔で、黒龍アイヤに抱きついた。


 輪廻する直前。アイヤの贈った、胸元の小さなルビーがキラリと光る。


「強い身体に生まれ変わって、本当に良かった。お帰り、アイヤ」


 長い睫毛をそっと閉じた黒龍アイヤは「ギィーヤァー!」と無数の星に向かって鳴き声を上げると、両翼を大きく羽ばたかせ、天高く飛んでいった。


 紅たちを乗せ、月の先にある、真の自由を求めるかのように。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る