第24話:黒龍

 タカマガハール湖畔。焼き尽くされた、白銀のしやく。その残骸近くで、ペリドットは鉄の檻に入れられていた。


「いやああああ! お許しください、お願いだから顔を焼かないで!」


 見せしめの為なのか。王族警備隊以外、ヒトなど居ないのに、彼女はわずかなぼろ切れをまとうのみ。

 白く豊かな身体はすすだらけで、美しかったブロンドも所々が焦げている。


 タカマガハールとは、この世の全てから遠く隔たった神秘の存在。シュクフクと砂漠の境界に位置するその湖は、不気味なまでに静かだ。


 湖の水は、普通の水とは異なり、純白と金色の輝きを放っていた。掛かるうすもやも相まって、内側から光を放っているように映る。


 そんな幻想的な場所で、ペリドットは汚れた顔をくしゃくしゃにしながら、ただ許しを請うていた。


 やたらといかつい女戦士たちは、彼女の身体を視線で舐め回してはニヤリと笑い、あざわらった。


「顔を焼けば、大王妃のお手つきでなくなるな」

「セイショクよりもヒトの方が良いと、身体で教えてやろうか?」

「やめっ……やめて……」


 檻の隅で縮こまったペリドットは、重たい手枷をじゃらりと持ち上げ、必死に胸を隠した。


 

 ◆

 


 大狼ダイアウルフとなったガルガにまたがった紅。彼女は、シュクフクに向かっていた。

 今や、忌まわしき存在でしかない白の花弁が月光を浴び、滴を落とす。


 ガルガは、力強く砂を蹴り上げながら疾走していた。白銀の毛皮が月明かりに照らされ、一層その輝きを増す。


 またがる紅は、砂漠の先の何かを追い求めるかのように、真っ直ぐ前を見据えていた。

 狼の足跡が砂に刻まれるたび、細かい砂塵が舞い上がる。


 月と星が瞬く夜空では、闇夜の色となったオウルが大羽根を広げていた。

 ガルガの後方を少し遅れて、九つの尾を持つフォクスも駆け抜ける。


「見えた、タカマガハールだ。白銀のしやくを全て焼き尽くしたのか!」


 狼特有の唸り声と共に、気を吐いたガルガ。

 紅は躍動するしろがねの身体から、遠くタカマガハールを見た。

 

 しやくの煙を吸い込んでしまったせいで、身体が酷く熱い。早くなる胸の鼓動に、湯気かと思うような吐息が漏れ出してくる。


 銀色のたてがみにしがみついた紅は、身体を低くとり耳元で囁いた。


「……王族警備隊が向かってくる」


 水面の神秘。砂地に月を宿す湖を背後に、拳銃を持った王族警備隊。彼女らの乗る蒸気自動車の群れが、アクセルを全開にしていた。


 見れば、別の方角からも、もうもうと水蒸気をあげた車が爆走してくる。


「こっちは任せて! クッソー、さっきのお返しをしてやるんだから!」


 フォクスが直角に進路を変え、蒸気自動車に向かっていった。黄金に薄いピンクの混ざった、ときいろの尾が大きく膨らむ。


「獣人を撃ち殺せ!」


 王族警備隊の声に、尻尾をうねらせた。鋭利な鋼を思わせる九つの尻尾は、それ自体が盾であり武器だ。


 キィン!


 警備隊の放った銃弾を跳ね返し、自らも勢いを付け飛び上がる。おののいて速度を緩めた蒸気自動車が、鋼の尾で真っ二つになった。


 一方。

 紅とガルガの上空を飛ぶオウルは、如実に焦りを見せていた。

 誰よりも遠くを見渡せるフクロウの瞳は、既にボロボロのペリドットを捉えている。


「ペリドット! 今、助けに行く!」


 大きな翼を旋回させ、速度をあげる。暗闇に紛れたオウルは、ペリドットを目指し、直滑降していった。


「攻撃されるぞ! 落ち着け、オウル!」


 耳を立てたガルガが、唸りに似た声を張り上げる。弓を構えた紅は、疾走する大狼にこんがんとも言える叫びを放った。


「オウルを行かせてあげて! !」


 瞬間、紅の頬を銃弾がさらっていった。火傷の痕から、一筋の血が滴る。

 どくどくと脈打つ心臓も、今は何故だか怖くない。


 親指で血を拭った紅は、唇に朱をまとった。口の端から煙の如き息を吐き、赤い瞳には炎が宿る。

 落ち着き払った紅は、弓をつがえた。

 

 湖からの風が、黒髪をさらう。


「忍法、蛇炎じゃえん


 呪文と共に、炎が弓矢を渦巻いた。鉛玉の詰まった長い銃口に、烈火の如く燃える矢を合わせ、強く弓を引き放つ。


 火矢を確認したと同時に、警備隊も発砲した。

 ぶつかり合う、れんの矢と銃弾。

 言葉の通り、蛇のようなとぐろを巻く炎は、鉛玉をあっという間に溶かしてしまった。


 己のへらと羽根をも焼き尽くした矢先が、凄まじい速さで銃口に命中する。爆発音を道連れに銃が爆ぜ、自動車が蛇行運転を始めた。

 その間にも紅は、別の自動車から発砲してくる銃に向かい、次々に紅蓮の矢を放っていった。

 

 縦横無尽に砂漠を駆け抜けるガルガは、よろけた蒸気自動車ごと大きな尻尾で薙ぎ払った。

 太く鋭い爪で車体を裂き、前足で猛々しく踏みつける。


 そうして、槍を持ち突進してくる女戦士達に、ほうこうを浴びせかくした。


「大王妃に伝えろ! こうえんのアイーシャは復活するとな!」

「……獣人風情が戯れ言を言うな。初代大王妃は我々に敗れた。何百年も前に死んだぞ!」


 超然とした面持ちの紅が、大狼の上に裸足で立ち上がる。

 胸元で印を結び、今一度「忍法、蛇炎」と唱えた。

 

 瞬間、女戦士の真後ろで横転していた蒸気自動車が、派手な爆発音を立てた。うねる炎柱で、自動車が一瞬にして爆ぜる。

 蛇さながらのとぐろを巻いた煙が、シュクフクめがけ立ち上っていった。


 刹那、爆風を浴びた紅の黒髪がなびき、額の刻印が露わになった。

 瞳に宿る紅焔の瞬きも相まって、苛烈な火の女神そのもの。


「初代大王妃……」


 腰を抜かしてしまった女戦士は、砂をき、みっともなく逃走を始めた。

 見れば、他の王族警備隊も続々と撤退を図っている。


 威厳のあるほうこうを、今度はシュクフクに浴びせたガルガが、鼻に皺を寄せた。紅も同じく、険しい顔でタカマガハールを見ている。


「……火薬の匂いだ。ペリドットの檻に何か仕掛けてる」

「オウルが危ない、行こう! ガルガ!」


 月に照らされた砂漠の中、疾走を始めたガルガ。彼の姿は、闇夜の流星のようだった。美しく鮮やかで、追い越すものは何もない。


 紅は、逞しいたてがみにしがみつくと、シュクフクの真下にあるタカマガハールへ向かっていった。


 

 ◆

 


 一足先に到着していたオウルは、ペリドットを前に地団駄を踏んでいた。


 近づくだけで、火炎装置が作動する。激しい火柱は、フクロウの羽を容赦なく焼いた。

 その度に、切り裂くようなペリドットの悲鳴が聞こえてくる。


「お願い、もうやめて……一生、逆らいません。大王妃の仰せのまま、ヒトを産み続けます。だからどうか……」

「ペリドット、しっかりしろ! 愛している男がいるんじゃないのか!」


 ペリドットにとって、彼はただの幼馴染み。どんなに想っても、獣人族と人間に子は成せない。

 けれども。オウルは募る想いを押し殺し、どうにか愛する人を助けようと翼を差し伸べた。


 炎が、彼の羽をどれだけ焼き尽くそうとも。


 その時、激しい地鳴りがタカマガハールにとどろいた。

 水面が津波の前兆を思わせるほどに、大きく揺れる。


 ペリドットの元へ向かうガルガも躍動をしながら、地響きに金色の深淵を光らせた。呼び起こされる太古の記憶に、耳が鋭く尖る。

 

 紅は額の刻印を輝かせ、まんじりともせずに白く輝く水面を見つめていた。


 次の瞬間、湖からあらわれたのは。

 両翼を広げ、巨大な水柱を引き連れた黒龍であった。

 


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