第23話:紅焔のアイーシャ

「アイヤ! お前なのか!」


 突如放たれたガルガの叫びに、残りの兵士も続々と集合した。

 ふらついた褐色肌が膝を崩し、さんさんと輝く小粒のルビーを捉えようと、手を差し伸べる。


 その間にも粉々になってしまった紅玉の亡骸は、寄せては返すを繰り返し、小さなルビーの周りで脈動を刻んでいる。


 ――まるで、生命いのちそのものだ。

 

 きんしやの瞳はまんじりともせずに、宝石の動きを捉え続けた。


 紅は、意識を失ったまま動かない。

 ガルガの肩を掴んだオウルが語気を荒げた。


「アイヤ様がどうしたんだ、ガルガ!」

「……お前達が娼館に赴いた時、夢に現れたんだ。直に輪廻すると。あのルビーは、アイヤの残した最後の贈り物だ」


 満天の星に花弁を開かせるシュクフクは、ビクともしない。どこからか、黒龍の鳴き声が聞こえてきて、獣人族達は一斉に耳をそばだてた。


 しかし、黒龍の姿はどこにもない。


 眉間に皺を寄せたオウルが眼光鋭く、動かない紅にしつを浴びせた。


「何が起きてるんだ? おい、起きろ! 紅」


 刹那、またしてもどこからか黒龍の鳴き声がこだました。小さなルビーの周囲で脈打っていた、宝石の亡骸が目で追えぬ速さで鼓動を刻む。


「見ろ! 星が落ちてくる!」


 兵士の一人が、大声を張り上げ夜空を指差した。見れば、流星の大群が意志を持っているかのように、降り注いで来ているではないか。


 流星の大群は、渦を巻いたかと思うと、紅の上空で一塊になった。

 その様はさながら、もう一つの宇宙だ。星屑の雲の中に、いくつもの星雲が渦巻いている。


 ピシャ!


 雷鳴をとどろかす閃光が、流星の雲から放たれた。光を受けた小さなルビーが一気に燃え上がる。


 その時、意識を失っていた紅がゆらりと立ち上がった。燃え上がる紅玉の真下、スーッと宙を浮く。

 脈動を刻んでいた宝石の亡骸たちは、ルビー中心に時計回りを始めた。


 項垂れていた紅の瞳に、ルビーと同じ炎が灯る。

 顔を上げた彼女の額には、真っ赤な刻印が刻まれていた。


 唖然とする獣人族たちを、一人一人丁寧に見つめた紅は、眼差しに閃光を宿した。粉々になったルビーの亡骸にも、炎が灯る。


 蕾の様な唇が開き、熱い蒸気が溢れ出る。

 気高い声色が、夜の砂漠に響き渡った。


「我が名は、紅焔こうえんのアイーシャ」


 紅でもアイヤでもない声に、獣人族はただ、困惑するしかなかった。

 けれども何故だろう。

 余りの荘厳さに、自然と頭を垂れてしまう。まるで祖先の記憶が、そうさせているとしか思えぬように。


「アイーシャ……初代大王妃の名前だ」


 震えるオウルが、頭を垂れ呟いた。


 かしずく獣人族を見遣った紅焔こうえんのアイーシャと名乗る者は、両手を大きく広げてみせた。腕の周りをくるくると炎が絡みつく。額の刻印が眩いばかりの輝きを放った。


「シュクフク咲きし後、国は北と南に分かれた。人間の男をセイショクと区別し、地下に閉じ込めようとした北の者と我は戦った。百日戦争。我と共に戦いし始まりのけんぞく、狼族の長。顔を上げよ」


 名を呼ばれたガルガが、おずおずと顔を上げる。宙を厳かに歩くアイーシャは、その佇まいとは対照的に柔和な笑みを浮かべていた。


「あの時の事、礼を言う。獣人族を束ね、率いてくれた」

「はっ!」


 燃えさかる手を差し伸べたアイーシャ。てのひらから伸びた炎がガルガを包み込む。火は、大怪我をしていたフォクスをも包み込んだ。

 

 だが不思議な事に、他の獣人族には一切燃え移らない。

 炎に包まれた二人は、ぼうぜんと内側から初代大王妃を見つめていた。


 火が燃え尽きた時、ガルガは大きなてのひらで自らの顔を覆った。金色の瞳が大きく見開かれる。


「毒が……消えた」


 フォクスも、きようがくの眼差しを初代大王妃へ向けずには居られなかった。

 肩の傷が跡形もなく消え去っている。


 もう一度、ガルガに微笑みかけたアイーシャは、改めて全員を見渡した。崇高な声色が夜の砂漠を突き抜けてゆく。


「戦いに敗れた我の魂は、二つに分かたれた。輪廻を繰り返し、今この時、魂は再びこの地に集った」

「……初代大王妃。それは、アイヤ様と紅にございますか」


 頭を垂れたままのオウルが問いかける。紅焔こうえんの瞳を黒いローブに差し向けたアイーシャは、静かに頷いた。


「さよう。二つの魂は、今なお未完成である。二つが一つとなった時、紅焔こうえんのアイーシャは復活を果たすだろう。獣人族は、戦いに備えよ。時は、遠からず訪れる」


 アイーシャの声に、その場に居た全員が更に頭を深く垂れた。湧き上がる畏怖の念がおのずとそうさせているのだ。


 初代大王妃は深く息を吸い込み、両手を天に向け上げた。指先から小さな火花が舞い上がり、空中で踊る。紫と金の炎が、頭上で燃える小さなルビーを包み込んだ。


「我には7人のけんぞくがいた。狼族の長、それからフクロウ族の者よ。そなたも我の眷属であった。隣にいる狐族、そなたもだ。残る四人をどうか見つけ出して欲しい」


 アイーシャが言葉を紡ぎ終えた時、ガルガ、オウル、フォクスの身体を、月をも溶かすほどの光が包んでいった。

 光の中で、陽炎かのように揺らめき、その姿を変えてゆく。


 ガルガは、銀色に輝く大狼ダイアウルフに。

 オウルは、大羽根を広げる涅色くりいろの梟に。

 そしてフォクスは、九つの尾を持つ鴇色ときいろの狐に。


「行け、眷属達よ。紅と共に、タカマガハールへ向かえ」


 額の刻印を残したまま、アイーシャは姿を消した。意識の戻った紅に、小さなルビーを残して。


 静寂と暗闇の戻った陣営で、紅が掌のルビーをギュッと握り締める。


「私……」


 たてがみをたなびかせたガルガが、瞳に宿る黄金の深淵を輝かせた。


 深い銀の毛が夜の闇と混ざり合う。風が吹き抜ける度に、大狼ダイアウルフの毛並みを揺らし、砂粒が舞い上がった。

 

 ガルガは、蹴るように一歩を踏み出し、ゆっくりと紅に歩み寄った。

 その後ろ姿は、砂漠の中の幻影、闇夜の守護者だ。


 まさしく紅焔こうえんのアイーシャが選んだ、始まりの眷属。


「私に乗れ、紅。ペリドットがタカマガハールで拘束されている。助けに行くぞ」


 白銀のしやくは手に入らなかった。

 心臓の持病に、今は打つ手がない。

 

 けれども弓を手に取った紅は、ガルガの瞳に向かって力強く頷いた。


 

 

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