第19話:ガルガの決意

 朝の第一光が地平線を切り裂き、遠く広がる砂漠の上に金色の帯が差し込む。街外れにあるのは、獣人族帝国軍の陣営だった。

 規模は小さい。数十のテントがわずかに並ぶのみ。だが、大きな赤と金の旗が風になびき、太陽の光を浴びてきらめいている。


 本陣は中央に設けられていた。兵士たちが武器を手に、朝の訓練を始めていた。

 武器の金属同士がぶつかる音、そして鍛錬の掛け声が陣営の空気を活気づける。


 陣営の片隅には、火を囲んで朝食を取る兵士たちの姿も。彼らは夜通しの見回りやしようかいから戻ったばかりで、疲れた顔をしながらも仲間との団らんを楽しんでいた。


 名の響きばかりが立派な獣人族帝国軍。実態は、働き蟻だ。生きて王宮の外壁となれ、が使命である。


「ジェイバー卿、不祥事続きで大変ですなあ」


 本陣に戻ってきたガルガを待ち受けていたのは、猪族のブーバーであった。

 貴族と変わらぬ高級なガウンをまとい、大きな頭にターバンを巻いている。


 髭を撫でつつ鼻を鳴らすそんな態度に、ガルガの顔が険しくなった。


 メディナ帝国の獣人族で姓を名乗っているのは、ガルガのみである。

 名誉で与えられた姓ではない。

』王家の陰湿なしゆがえしによるものだ。


 猪族ブーバーは、嫌味でガルガを「ジェイバー卿」と呼ぶ。狼族を退けたい意図が丸見えの男であった。


 嫌らしく上から見下してくる猪族の長を、狼族の長が睨みつける。


 一発触発の不穏を切り裂いたのは、娼館から戻った紅一行だった。賑やかな声と共に本陣へ入ってくる。

 

 女兵士もいるが、獣人族帝国軍は基本、男所帯だ。

 娼館に行く為、珍しくめかし込んだ紅の姿は否が応でも目立つ。


 彼女のドレスは深いエメラルドグリーンのシルクで出来ており、腰のラインが美しく出るよう絞られていた。

 スカートの裾には金糸で複雑な文様が刺繍され、紅が歩く度にこうこうと揺らめく。

 頭には金の網で出来たベールがかけられ、その間を小さなダイヤモンドがちりばめられていた。


 どよめきの中、猪族ブーバーを見遣った紅は、極上の笑みを投げかけた。唇の端にはよだれを浮かべている。


「うわぁ、里では猪ってご馳走だったんだよねえ。娼館の食べ物、全部フォクスが食べちゃったからさ。お腹空いちゃったよ!」

「……噂に違わぬ失礼なヒトでございますな、紅どのは」

 

 紅と言えばがさつ、がさつと言えば紅だ。『今更、何を言ってるんだ』という白けた空気の中、下顎の牙で威嚇したブーバーは、ガウンをひるがえし陣営を去って行った。


「あら、嫌だ。美味しそうって褒め言葉なのに。ねえ、紅ちゃん?」

「お前のは別の意味だろう。しれっと紅に近づくな」


 ヘラヘラしているフォクスを、鼻に皺を寄せ睨んだガルガ。そんな彼に、黒いローブが興奮気味に声を掛けた。


「星詠みと接触できた。薬草と調合の方法も分かったよ」

「本当か!?」


 狼の耳が、ヒョコッと動いた。銀糸の尻尾は昂ぶりの余り、大きく膨らんでいる。

 腕を組んだオウルは、慎重に言葉を選び出した。何しろ、白銀のしやくとペリドットの故郷、スーベニア国には後ろ暗い因果がある。

 

「あくまで数百年前の話だ」


 そう前置きをしたオウルは、経緯をかいつまみつつ、薬草の特徴を告げた。

 一歩下がったところで話を聞いていた紅は、灼熱の眼を光らせていた。くノ一に染みついた険しさが、表情を通じて浮き彫りになる。


 ――こんなに兵士が集まってる場所で、大事な話をするなんて。


 見ればガルガも時折、全体を見渡しては鉱石の眼差しを光らせている。


 侍女のルルは獣人族、しかも雄だらけの場所など言語道断。どうにも立ったまま動けない彼女を思い遣った紅は「市場でお茶を飲んでいて」と諭し置いてきた。


 話を聞き終えたガルガが、紅の瞳を捉えた。視界に飛び込んできた獣人族の長は、朝の訓練で身体がまだ汗に濡れている。

 堪らず視線を彷徨わせた紅の頬が、自然と火照る。


 一方のガルガは、目を逸らそうとしなかった。決意の籠もった声が、テントに響き渡る。


「タカマガハールには私が行く。少数精鋭で行きたい。フォクス、来てくれるな?」

「えっ、ボク!? ごっつい王族警備隊相手に肉弾戦をやれっての? 無理でしょ……」

「私を連れて行ってよ、ガルガ!」


 それまで口を閉ざしていた紅が突然、語気を荒げた。プライドの高い眼差しで、射るように獣人族の長を見上げる。

 肉厚の手を、紅に差し伸べかけたガルガは、拳を強く握った。


「今回は私にやらせてくれ。けじめをつけさせて欲しい」

「それなら俺達も連れて行ってください、隊長」


 陣営の入り口に、男の集団が並んでいた。

 皆すらりとしており、頭の中央に髪を残して両側を剃っている。特徴的な髪型はたてがみ、そのものだ。


 最も立派なたてがみを持つ男が、ガルガに酷く真剣な声色で訴えた。


「獣人族は獣になっちゃいけねえってこの国で、俺らだけが乗り物にされてる。ブリキの乗り物が入ってきてからは、使い捨ての家畜だ」


 集団は、馬族であった。

 サレム家にとって肉の壁でしかない獣人族。その中でも彼らの扱いは、特にむごいものだった。

 

 暫く無精髭をさすっていたガルガは、集団を見据えると静かに頷いた。


「行こう。お前らのしゆんそくは心強い」

「……それじゃ、ボクはお留守番で良いよね?」

「いや、フォクスは来てくれ。お前の適当さは多分、役に立つ」

「冗談みたいな理由で連れて行くの、止めてくれない!?」


 話の輪から外れてしまった紅が、エメラルドグリーンのドレスをくしゃっと握った。肩を震わせ、唇を噛む。

 俯く彼女の手を、肉厚のてのひらが包み込んだ。金網のベールがきらりと揺れる。


「私を待っていてくれ、紅。必ず薬草を持って帰る」


 息を飲む、紅。

 白いてのひらには、大きく縦に亀裂の入ったルビーが載せられていた。


 

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