第18話:ガルガとアイヤ

 紅達が夜の娼館に赴いた頃。ガルガは人気のない屋敷を一人、歩いていた。ほのぐらいランプが廊下を照らす。はたと気づいて、歩みを止めた。

 

 気づけば紅の寝室まで来ていた。つい、いつもの癖で中を覗いてしまう。


 紅は、暇さえあれば身体作りに励んでいた。陽もまだ昇らないうちから、腹筋や腕立て伏せを始める。

 

 最初こそ、生い立ちがそうさせているのだと、ガルガは思っていた。

 けれども違った。

 彼女はいつだって、前向きであろうとしている。


 朝食を済ませた後は、使用人の仕事を進んで手伝った。そんな彼女の明るさに、屋敷の者は徐々に笑顔を取り戻した。

 息子レオの失踪と、アイヤが受けた罰で、よどんだおりが常にゆたっていたガルガの屋敷。

 

 流石に、修行の一環と火に飛び込もうとした時は、全員で止めたけれども。


「無茶をしてなきゃ良いんだがな」


 無精髭をさすったガルガは、気づかぬうちに笑っていた。がらんとした部屋に一抹の寂しさを覚える。


 紅のいない屋敷がやけに広く感じる。

 太い二の腕をギュッと掴んだガルガは、ひっそりと部屋を後にした。




 賑わいの恋しさを打ち消すかのように、ベッドに入ったガルガ。彼は、夢を見ていた。


 まるで鏡かと見まがうほどに、光り輝く湖。うっすらと波を立てる湖畔にガルガは立っていた。空を見上げれば、真っ白い花びらがどこまでも続いている。

 獣人族の立ち入りが禁じられているタカマガハールだと、ガルガは直ぐに気づいた。


 子供の頃から一度たりとも見たことがないのに、不思議だ。懐かしさすら感じる。


「ガルガ様」


 顔を焼かれたその日から、何度望んだ事か。

 もう一度話したいと思っていたアイヤが、湖畔に佇んでいた。


「……アイヤ!」


 堪らず駆け寄ったガルガは、逞しい二の腕でアイヤの細い身体を抱きしめた。アイヤも全身で褐色の筋肉に身を預けた。笑顔の赤い瞳から、涙が零れ落ちる。


 しばし抱き合っていた二人。最初に口を開いたのはアイヤであった。


「今日は、ガルガ様に大事なお話があって参りました」

「参ったって……もうルビーに魂はいないのか?」


 ガルガから身を離したアイヤ。彼女は、フッと困り笑いを浮かべた。そこに、かつての痛々しさはない。吹っ切れた横顔は、神々しくさえあった。


「紅さんが輪廻したように、私にも輪廻の時が近づいています」


 アイヤの言葉に、彫りの深い顔で光る、金砂の窓が悲しく揺れた。タカマガハールの水面から風が吹き、銀色の長い髪がたなびく。


「二度と会えないのか。私は、お前を幸せに出来なかった」

「いいえ、ガルガ様。私達は時空を通して繋がっています。貴方と過ごした時間は私の宝でした。レオさんが戻ってきても、決して責めたりしないで」


 気づくと、ガルガはどす黒い鎖で、ぐるぐる巻きにされていた。どうにも身動きがとれない。

 敢えて言葉にしないでも、夫婦であった二人には分かる。これは、ガルガの抱える自責のくさびなのだと。


「最初の妻が病で苦しんでいたのに、私は仕事ばかりだった。息子は、私が嫌いだったんだよ」

「反抗する気持ちはあったと思います。けれども、レオさんは貴方が大好きでしたよ」

「……最初の妻を失って、お前が嫁いで来てくれた。それなのに、私は同じ事を繰り返してばかりだ」


 自責の鎖が、大柄な身体を締め上げる。もんの表情を浮かべるガルガに、アイヤが改めて身を寄せた。

 そっと、唇を重ねる。

 柔らかな唇は、惜しみつつも直ぐに離れた。


「ガルガ様には紅さんがいます。彼女を大切にしてあげて」

「あれは子供のようなものだ。無邪気なのは良いが、無鉄砲も半端ない」


 アイヤの顔から困り笑いが消える。

 湖の光を浴びた彼女は、本当に笑っていた。


「フフッ、愛らしい人ですものね。大丈夫。二人なら、この国を変えられます」

「……行かないでくれ、アイヤ」

「いつ何処に輪廻しても、貴方の幸せを願っています。私は、ガルガ様の笑い皺が大好きでした。最後に贈り物をさせてください。


 真っ白い花びらの隙間から、太陽が顔を覗かせる。余りの眩しさに、ガルガは堪らず目を閉じてしまった。

 瞼を開いた時、アイヤは光り輝く水面をふわりと浮いていた。何処からか漂ってきたかすみが、彼女の身体を包み込む。


「紅さんの笑顔を愛してあげて。ね? ガルガ様」


 金色の瞳から大粒の涙が一筋、頬を伝う。瞬間、ガルガの脳裏を、まさに太陽のような紅の笑顔がよぎっていった。自責の鎖が、ボロボロと音を立て崩れ落ちる。


「アイヤ!」


 胸の前で手を組んだ彼女は、もう一度、笑顔を浮かべるとそのまま霞の中へと消えていった。




「……!」


 ベッドから飛び起きたガルガは、ベッドサイドに置いてあった大粒のルビーを手に取った。

 アイヤがずっと身につけていたルビー。既に色褪せた宝石の亡骸に、新たな亀裂がピシリと入る。


 隙間を覗き込んだガルガは思わず息を飲んだ。

 何時からそこにあったのか。小さなルビーがさんさんと輝きを放っていた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る