第17話:薬草の場所

 ペリドットはわずか六歳の時に、スーベニア国から、この国へ渡った。大王妃サファイアの妃候補として。

 セイショクなど当然、存在しない。人間と獣人族が共存する文明国から、半ば人質として差し出された彼女は、たんに暮れ泣いてばかりいる子供だった。


 メディナ帝国で、弱いヒトは生きるに値しない。誰もがこの少女の未来を諦めていた頃、手を差し伸べたのがアイヤだった。

 彼女は、自らが虐げられる身でありながら、ペリドットをずっとかばってきた。

 

 獣人族の街に、こっそりと連れて行ったのもアイヤだ。


 鳥籠としか例えようのない王都に比べ、その街にはまだ自由があった。獣人族はよく笑い、幼いペリドットを可愛がった。

 ガルガの息子レオとオウルとは、この時に知り合っている。謂わば、幼馴染み。


 大して歳も変わらないのに、いつだってアイヤはペリドットを気に掛けていた。

 そんな彼女は、自分の婚約者によって顔を焼かれ、命を落としてしまった。


 死にたくない。ヘドロのようにまとわりく恐怖。美しいすいの瞳は漆黒に染まる決心をした、はずだった。


 目の前に居るのは、紅という極東の女だ。けれども彼女には、二人が入れ替わるだけの理由があるように思えた。女の勘と言われてしまえばそれまでだけれども。


 ぎこちなく紅の人差し指を握ったペリドットは、ツンと顔を背けた。耳だけが赤く染まっている。


「レオに黒龍の乗り方を教えた事、後悔してないわ。だって黒龍は、乗る人を選ぶもの。アイヤは、身体が弱すぎたのよ」

「私も一回、間近で見た。とっても崇高な生き物だと思う。だからこそ、アイヤの身体を気遣ったんじゃないかな」

 

 紅の純粋な笑顔に、ペリドットはついに『仕方がない』と息を吐いた。

 

「……黒百合。彼らに力を貸してあげて」


 幼馴染みのオウルが、見たこともない柔らかな笑みを浮かべる。

 隣に立つフォクスは、ニヤニヤと笑いながら黒いローブの横顔を見遣った。

 

 黒百合は、娼館で働ける身分とは言えセイショクだ。この中では誰よりも命が軽い。怯える美青年に近づいたフォクスは、背中をねっとりした手つきでさすった。


「大丈夫。ドットちゃんには、これから強大な権力が与えられるんだから。第二妃なんて、四人も愛人を囲っているのよ? 無理だったら、ボクの所に来れば良いじゃない! 黒百合くんってば、顔が好み……」

「「フォクス!」」


 ナチュラルゲス狐の余計な一言に、紅とオウルが青筋を立てる。ペリドットなどは、瞼がピクピクとけいれんしているではないか。「あら」口元に手を当てたフォクスは、全く反省していない様子で黒百合から離れた。





「心臓の薬って、この国にある薬草でも作れるの?」


 ガウンを羽織ったペリドットが、黒百合の膝に頭を載せていた。若い胸板を見つめ、指を咥える。

 知っている情報と言えば、大王妃サファイアの寝物語くらいのものだろう。オウルがこれまでの経緯を改めて説明した。


 ペリドットの祖国、スーベニアには心臓の薬が存在する。アイヤの事もあり、彼女の理解は早かった。


「ふうん。サレム家の独裁に、敢えて王族のアイヤをぶつける。悪くない話ね」

「そうなんだよ! 持病を克服出来れば、俺ら獣人族にもチャンスが訪れる。君だって、国に帰る事が出来るかもしれない」

 

 説明をしている時のオウルは、いつにもまして声に熱が籠もっている。紅はそんなオウルを見て、何故だかガルガの顔を思い浮かべていた。


 瞬間、紫の瞳をずっとさまわせていた黒百合が、両手を広げた。スーッと姿をあらわした、七つの水晶が彼を取り囲む。

 水晶はひとつひとつに色があった。赤・橙・黄・緑・青・藍・紫。


 黒百合の周囲を急旋回し始めたそれは、色味が重なりあって、虹そのものだ。良く通る声が、呪文を唱える。


ペトレス マギケス魔法石よエントロティテ  シギ集まれ


 遙か遠くを見ているような紫の瞳に光が宿る。

 ついに一つとなった水晶をてのひらに浮かべた黒百合が、中を覗き込んだ。


 紅たちには、七色に光る水晶がどうにも眩しく感じられた。選ばれし紫の瞳のみが、ハッキリと瞳孔を広げる。


「スーベニアの医療が発展したのは、タカマガハールに自生する薬草を持ち帰った事が始まりのようです。大王妃の祖祖母、でしょうか。とても怒っている姿が見えます」

「メディナから見れば、神の水ドリブンウォーターを盗んだに等しい行為なのかもな」


 オウルは無意識に、分厚い本を抱える仕草を取った。紅とペリドットも神妙な面持ちで、耳を傾けている。


 一人、皿にある鶏肉を勝手に食べていたフォクスが、うんざりした顔で骨を皿に戻した。


「もうやだ……薬草採取は、黒龍をもう一度盗みますって言ってるようなもんじゃない」

「どういう事? というか、神の水ドリブンウォーターって何?」


 初めての言葉に、紅が首を傾げる。腕組みをして言葉を選んだオウルが「瑠璃国で言う炭みたいなものだ」と伝えた。赤い瞳が大きく見開かれる。


「刀鍛冶は炭がないと、武器を作れない。武器がなければ、武士や忍者は困る。なるほどね! 私、初めてアンタを賢いと思ったわ」

「今までは何だと思ってたんだよ! メディナにとって神の水ドリブンウォーターは、黒龍と同じくらい独占しておきたいものなんだ。周辺国に力を誇示出来るからな」


 紅達のやり取りを聞いていたペリドットが、酷く深刻な顔をしてぽつりと呟いた。


「問題は独占の中に薬草も入ってたって事よ。メディナが医薬の禁輸に厳しい理由って、私の国が原因だったのね」

「とは言え、いつだってサレム家だけは特別なのよね。自分達は、スーベニアから好き放題輸入してるじゃない。そのくせ、アイヤさんには薬を与えない。ホンット、いけ好かないわ」


 ふんがいした黄金の獣耳が、キュッと角を立てる。その間にも、黒百合は紫の瞳で七色の水晶を覗き続けた。


「……白銀の石楠花シャクナゲです。何百年前の記憶か分かりませんが。心臓の病で死にかけた男が、白銀の石楠花シャクナゲを口にする姿が見えます。花は、今でもタカマガハールの湖畔に自生しています」

石楠花シャクナゲなんて、こんな砂漠地帯で咲くの!?」


 堪らず大声を出した紅に、全員がシィーッと指を当てた。部屋の外では、ペリドットの警護が待機しているのだ。

 髪をシルクの布で包んだペリドットは、確信を得たとばかりに語気を強めた。


「薬草は、白銀の石楠花シャクナゲよ。父上が大変珍しいと当時の大王妃に献上して、その場で焼かれたの。酷く嘆いていたから、よく覚えてる」


 そこまで話を聞けば十分だ。黒いローブからオウルが顔を出した。しかと瞳を捉え、幼馴染みの手を優しく包む。


「お前はここまでだ。ありがとうな、ペリドット。今は、大王妃との結婚式をつつがなく終える事だけを考えろ」

「えっ……いやよっ! 私と黒百合をこの国から連れ出して!」


 普段は仏頂面しか見せないヘーゼルの瞳に、切なさと恋慕が入り交じる。紅はまだ、その感情を上手く把握が出来ない。


 けれども彼女は、情熱の源泉かのように瞳を輝かせ、力強く言い放った。

 

「私とガルガで終わらせてみせる。だから、安心して」


 

 

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