第16話:星詠み黒百合

 大理石の床に倒れてしまったペリドット。美しいブロンドが、白い床に反射して輝いた。

 里でいつもしているように、冷や水をたらいに取った紅。その手をオウルが慌てて掴んだ。


レオガルガの息子は、ペリドットの黒龍に乗って消えたんだ! これ以上、騒ぎを大きくするな!」

「アンタの声の方が、よっぽどうるさいっての! だったら……このまま二人をさらう?」

「紅ちゃんったら、物騒。彼女は、スーベニア国のお姫様なの。あの国とは揉めたくないのよねえ。あ、そうだ! ターバンの君、キスで起こしてあげて」


 眼鏡を掛けていないフォクスは、更に無駄なイケメンである。胡散臭さは最早、詐欺師ばり。

 そんな彼のウィンクに、黒百合がおずおずと豊満な身体に近寄った。薔薇のつぼみかのような唇に口づけを落とす。


 ピクリとまぶたが動いて、ブロンドの睫毛が思惑ありげに動く。近づこうとした紅に「フォクスの眼鏡を探してくれ」とオウルがさりげなく指示を出した。


 結局、眼鏡が見つかるまでの間、ペリドットは黒百合の唇を堪能しつくしたのだった。


 紅は、この場にガルガが居なくて良かったと溜め息をついていた。彼の息子が盗んだ黒龍の飼い主だ。何をされるか分かったものではない。


 大王妃サファイアから、めかけになれと言われた記憶がよみがえる。粟立つ肌を無意識に擦っていた。


「紅ちゃん、眼鏡を返してくれる?」

「あ、うん。蒸留酒で洗った方が良いよ。油でベタベタだから」


 鼻をヒクッと動かして、アルコールの場所を探すフォクス。その後ろでは、裸体にガウンをかけたペリドットが、黒百合にしなだれかかっていた。

 黒いローブを引きずったオウルが、赤ワインをグラスに注ぎすい色の瞳に手渡す。ひったくった皇女は、ブスッとした顔で一気に飲み干してしまった。


「私達の話を何処まで盗み聞きしていたの? 本当に獣人族は卑しい生き物だわ。大王妃に密告するつもりでしょ」

「……俺達の前ではメディナの人であろうとしなくても良いよ、ペリドット。子供の頃からの付き合いじゃないか」


 美しいけれど、きつい。そんな印象の顔がみるみるうちに、生来のものへと変貌を遂げていった。今にも泣き出しそうな顔で、黒百合の二の腕にギュウッとしがみつく。


 紅は、背中を向けたまま二人の会話に耳をそばだてた。


「レオを憐れに思った君が、こっそりと黒龍に乗せていた事も知ってる。政略結婚とは言え、同性との婚姻は辛いだろう。君は、恋愛対象が異性だからな」

「……黒龍になど乗れなければ良かった。何度、思ったか分からないわ。私は、アイヤが羨ましかった。彼女は、こんなしがらみに囚われず、自由だったから」


 アイヤの境遇を自由だと思うヒトが、この国にいる。紅は里の掟にがんがらめだった、かつての自分に想いを馳せた。

 どうしてもっと早くに、楓と逃げ出さなかったのだろう、という後悔と共に。


 重苦しい空気が垂れ込める中、眼鏡を洗い終えたフォクスが戻ってきた。「酔いそう」ブツクサ言いながら、眼鏡を掛ける。


 狐の瞳は、直ぐさま黒百合に向けられた。改めて浮かべる胡散臭い笑顔に、セイショクがビクリと肩を震わせる。


「星詠みって、君? ボクたちが探していたのは、黒百合くん、君なの。ドットちゃんは本当に偶然だったのよ」


 それまでずっと俯いていた黒百合が、ようやく顔を上げた。紫の瞳と中性的な顔立ちが浅黒い肌に良く映えている。

 流石は最も高価な娼館で従事するだけの事はある。なんとも美しいセイショクだ。

 

 怯えた様子で周囲を見渡した黒百合は、消え入るような声で話し始めた。


「皆様の思うような星詠みに当てはまるかは分かりませんが。私には、ここではない場所を見る力があります」

「……瑠璃国の様子は分かる?」


 かたまりから離れて、里の事ばかり考えていた紅がつい、口を開いてしまった。思わず振り返ってしまい、ペリドットのすいと眼差しが交差する。

 彼女は紅の火傷を見て、こうなった責任は自分にもあると、自覚している様子だった。


 紅の言葉を受けた黒百合は、胸の前で手を合わせると、紫の瞳をさまわせだした。まるで、ここにはない風景をみているかのよう。

 

 湯船に溜められたオイルが、ゆっくりと渦を巻く。照明がゆらりと揺れて影を落とした。


「赤に金糸を縫い込んだ布を幾重にも羽織った、長い黒髪の女性が見えます。珍しい太鼓と笛の音。木の家が連なる街。海に囲まれた国でしょうか。潮の香りがします。人々は楽しそうに笑っていて……あれ? 大潮が」


 オウルとフォクスが目を見合わせ、サッと顔を強ばらせた。一方の紅は、望郷の念から黒百合の方へ、にじり寄っている。


 その時、目を丸くして聞いていたペリドットが、ポロリと口にした。


「黒百合の能力は時をまたぐの? だって、瑠璃国は……」

「その話はいい。俺達が見て欲しいのは、タカマガハールだ」


 急に割って入った黒いローブに、赤い瞳がげんになった。見ればフォクスも、紅から顔を背けている。


内通者はお前を常に見ている』


 大王妃サファイアの言葉が脳裏をよぎって、紅は睫毛を伏せた。

 

 部屋の外には、ペリドットの警護に当たっている獣人族が待機している。王族警備隊にすら知られたくない密会。そのチャンスを逃すわけにはいかない。


 内通者を一端、頭の隅においやった紅は、改めてペリドットに手を差し出した。


「びっくりさせちゃってごめんね。けれども、私がアイヤでない事は貴方も知っているんでしょ?」

「……協力ならしないわよ。貴方みたいに顔を焼かれたくないもの」


 紅は、差し出した手を引っ込めなかった。ただ優しく、すいの瞳を見つめ続けている。

 その慈悲深い姿に、全員がアイヤの面影を見ていた。

 


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