第20話:鴉

 大王妃サファイアの部屋。

 

 天井は高く、大きなアーチ型の窓からは柔らかな日光が差し込んでいる。

 窓の上には彩色ガラスがめられており、光が虹の彩りを投げかけていた。


 部屋の中央には立派な金色のベッドが置いてある。天蓋からは黒の繊細なレースが垂れ落ちていた。枕元にも、同様の刺繍を施したクッションがたっぷりと鎮座している。

 

 部屋の隅にある大理石のテーブルでサファイアは、カラスからの手紙を読んでいた。

 

 テーブルの先にあるのは、宮殿の庭を一望できる広大なバルコニー。はまなすの香りに混ざって、砂漠の熱風が流れ込む。

 円環を成して飛ぶカラスを見ていた彼女は、侍女の声に振り向いた。


「大王妃、第二妃に赤子が産まれました」

「で?」

「……セイショクにございます」


 サファイアは柔らかな絨毯を裸足で歩くと、バルコニーへ向かった。


「これからは、ヒトが産まれた時にのみ報告をしろ」

「はっ、かしこまりました」


 バルコニーから見える部屋では、婚約者ペリドットが結婚式の準備に追われている。


 群青の瞳にスウッと影が落ちた。


「さて、困ったものだ。世継ぎを産めるとお墨付きの皇女は、どうにも我が国が嫌で仕方ないらしい」


 現在、大王妃サファイアには二人の妻がいる。しかし、未だ世継ぎの誕生はない。第一妃は、身ごもる度に母性本能が牙を剥いた。セイショクであろうと、可愛い我が子なのだ。

 十人出産して全員奪われた第一妃は、部屋に閉じこもったまま。ブツブツと独り言を口にするだけの生きる屍となってしまった。


「ペリドットには、一人になって考える時間が必要のようだ。彼女を例の場所へ連れて行け」

「はっ!」


 一切の迷いなく、頭を垂れる侍女。そんな彼女の去り際に、サファイアは一つ注文を付け加えた。


「王族警備隊に伝えろ。

「はっ、直ぐに申し伝えます」


 黄金の皿からイチジクをつまんだサファイアは、果実の香りをこういっぱいに吸い込んだ。

 バルコニー越しに、王族警備隊に取り囲まれ泣き叫ぶペリドットを眺めつつ、甘い果肉にかぶりつく。


「さて、私の紅はどう反応するかな?」


 深海の眼に濁りが淀む。小さな額縁に視線を落としたサファイアは、せた肖像画を指でなぞった。


 肖像画の女性は、愛らしさと強さを兼ね備えた見目をしていた。

 額に赤い刻印を持ち、威風堂々とした様は、かすんだ色合いからもヒリヒリと伝わってくる。


「……初代大王妃」


 そう呟いたサファイアは、金の扇子を開き、口元を隠した。 


 

 ◆



 獣人族帝国軍、本陣営。


 夕日の落ちかけた空を見つめる、紅の姿があった。いつ、どこに居てもシュクフクは決して忘れるなと映り込んでくる。

 不気味なまでに集まったカラスが、上空を旋回していた。


 今にも割れてしまうそうなルビーに視線を戻し、溜め息をつく。


 あれから、ガルガとフォクス、馬族達は直ぐにタカマガハールへと向かって行った。


 サレム家にとって馬族は、所有物という認識。闇に紛れ込むより、馬族の立場を利用してしまった方が良い、と言うのがガルガの案であった。

 

 王族警備隊の気を逸らし、その隙にガルガとフォクスが白銀の石楠花シャクナゲを採取する。

 砂に潜り込むのが得意な狐族。適当を体現したような男は、この任務に最適であった。


 ギュッと砂を踏む音がして、紅は振り返った。ランタンと分厚い本を抱えたオウルが、眉間に皺を寄せ立っている。


「アイツら、無事に帰ってこれるといいんだが」

「馬族がタカマガハールを知っていて良かった。獣人族は、立ち入り禁止なんでしょ?」

「ああ。正確には『王族以外立ち入り禁止』だ。セイショクと同じだな」

「……セイショク、か」

 

 帝国軍陣営に、明かりが点々と灯りだした。仄暗い光が砂を照らす。

 すっかり陽の落ちた砂漠は静寂に包まれ、今にも星が降り注いできそうだった。


 テントの内部からは、残った兵士の声が聞こえてきた。煮炊きをする湯気がそこかしこに漂う。


 何時までも去ろうとしないカラスの群れ。紅が、オウルの瞳をじっと捉えた。ランタンの明かりが、夜風に揺れる。


「梟、アンタさ。私に何か隠し事してない?」

「は? お前が話を聞いてないだけだろ。記憶力も雑魚だし」


 紅は、いつも通りのオウルに目を逸らした。俯いて、まつを伏せる。

 その顔は、どこか物憂げであった。唇を小さく開く。


「……ねえ、なんで瑠璃国を隠すの? 地図を見せてよ。何処かにあるんでしょ」


 ヘーゼルの瞳がランタンに照らされ、影を落とした。無意識に、本を強く掴んでいる。


「その話だけどな。実は……」


 刹那、どこからか花の香りがフワッと漂ってきた。瞬時に警戒した二人が、周囲を見渡す。

 膝をガクガクと震わせたルルが、獣人族帝国軍陣営で紅を探していた。


「ルル!」

「おっ奥様!」


 駆け寄ったルルが、慌てて砂の上に転倒してしまった。

 よほど心配をして焦っていたのだろうか。ピンクグレーのドレスは裾がボロボロで、ピアスも片方が消えている。


「獣人族に頼んで、ラクダに乗せて貰えば良かったのに……」


 手を差し出した紅に、ルルは頑なに首を振った。


「獣人族にとって、ヒトは敵にございます。奥様あってこその私。居なければ、何をされるか分かったものではありません」

「ルル……」


 言葉を失ってしまった紅の代わりに、オウルの冷徹とも呼べる声が、風に乗り夜空に散っていった。


「シュクフク信仰もここまで来ると病だな。ルル。お前の発言は、アイヤ様をも侮辱していると分からないのか」


 確かに、と紅は思った。アイヤは、獣人族を愛した。だからこそ、この街で歓迎され慕われてきたのだ。

 それは、娼館で話をしたペリドットの態度から見ても、明らかな事であった。


 うなれたベールの奥に、獣人族への嫌悪が滲む。


 ランタンを取り囲んだ三人はそれきり、黙り込んでしまった。


 いつまでも戻らないガルガたちへの不安を胸に、紅は再び月明かりの照らすシュクフクを見上げた。


 その時、遠くからひづめの音が響き始めた。紅の心臓が、不穏なまでにドクンと脈打つ。鉛のような痛みが走り、ランタンの灯りがかすかに揺れた。


 それでも紅は、ガルガを迎えるために駆け出した。オウルも黒いローブを引きずって、後を追う。

 テントからは、待機していた兵士が続々と姿をあらわした。


 砂漠の向こうから、砂埃を引き連れた馬が走ってくる。タカマガハールに向かったのは、11人の馬族とガルガ、フォクスだ。


 戻ってきたのは、たった三頭の馬と酷い怪我を負ったフォクス。

 そして、ぐったりとして動かないガルガだけだった。




【第二章:完 次で最終章になります

 最終章は10月19日(金)8:05スタート】

 

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