第二章:シュクフク

第13話:他国とメディナ帝国

 ガルガは、ヒビの入った大粒のルビーを両手に包み溜め息をついていた。


 ここはメディナ帝国の港。白い石灰岩が波に削られてできた巨大な岬は、まるで古代の神殿のようだ。


 こんぺきの空と海が広がり、密度の濃い泡が打ち寄せるがんしようや小島。


 もうもうと蒸気の立ち上る黒鉄船からは、人間と獣人族が各々積み荷を抱え、忙しく働いている。


 真っ白いドーム型のテントから、遠く水平線を見つめていたガルガ。彼は、訪れた人影に耳を動かした。


「タイガル大佐」

「ワシらの間で、かしこまった敬称を使うとは。さては、また何かあったな。アイヤはどうしている。無事なのか?」


 タイガルとは、虎の獣人族である。そして彼は、海を挟んだスーベニア国海軍大佐でもあった。

 上半身裸のガルガと違い、立派な将校服に燦然と大佐のバッチが輝いている。


 年配者のガルガにとって、頼れる兄貴分。それがタイガルであった。「暑い」と笑う虎族に、褐色の目尻が緩んだ。せいかんな顔つきをした人間の青年兵も、大佐の背後で微笑んでいる。


 額の汗を拭いつつ、いつもの愚痴といった調子でタイガルが不満を露わにした。


「国王夫妻も、アイヤの件には胸を痛めておる。自分の娘をお前の国に差し出しているからな。列国だってメディナのやり方にはうんざり……」


 言い終える前にさりげなく近寄ったガルガが、腰元を指差した。まばたきを三回、繰り返す。


。相変わらず立派な懐中時計じゃないか、タイガル」


 クロウズフレイムと呼ばれる懐中時計。そして、三回のまばたき。これは二人で内密な話をする時の合い言葉である。

 だいだいに黒の縞模様が美しい虎の尻尾がゆらりと揺れた。振り返り、護衛を務める青年兵士を見遣る。


「お前、この国は初めてだったな」

「はい、大佐」


 タイガルは、硬貨の入った袋を取り出すと兵士に渡してよこした。


「これで、お袋さんに土産でも買ってやれ」

「……え、良いんですか? ありがとうございます!」


 本来ならば地下で暮らすセイショクにも、青年兵士と同等の権利がある。太陽の差し込む場所で、ささやかな贅沢を楽しむ。彼らは、同じ人間の男性なのだから。

 メディナ帝国の暗部をまだ知らぬ若い兵士は、小銭を受け取ると笑顔でテントを後にした。


「ガルガは、ワシの持ち物というと羨ましがりおる。懐中時計は特に好きだな」

「文明国スーベニアの物ならなんだって、羨ましいし、珍しいさ」


 談笑に顔をほころばせたガルガが、羊のミルクをインクにした手紙を差し出した。受け取ったタイガルは、周囲に誰も居ないのを確認してから、ランプに手紙をかざした。


 浮かび出た文字に視線を落とす。


 そこには、紅とアイヤの入れ替わりから始まった一連の経緯がしたためてあった。虎の口が、読み終えた紙をくしゃりと丸め飲み込む。


「我々の船がこうして動いているのも、シュクフクのご加護があってこそだからな。神の水ドリブンウォーターは貴重な動力資源だ。おまけに黒龍の独占。全く、素晴らしい国だよ。メディナ帝国は」

 

 タイガルは普段通りの会話をしつつ、足先で砂に字を書いた。


(仲間と妻を連れて亡命してこい。心臓の薬もある。我々と共に、サレム家を倒そう)


 兄貴分からの提案は、これが初めてではない。てのひらのルビーに落ちた金色の瞳が悲痛に染まった。


 ガルガが首を縦に振っていれば、彼の息子が行方不明になる事はなかった。そして、アイヤが大やけどを負わされ命を落とす必要もなかった。


 外の世界は男女がつがいを成し、獣人族も人間と対等な立場で共存を果たしていた。現にスーベニア国は、国王と女王で統治をしている。列国も同様だ。獣人族が国王を治める国もある。

 

 メディナ帝国だけが異様なのだ。

 シュクフクの産み出す、様々なが国民に災いをもたらしているが故に。


 サレム家王族のみが、何百年にも渡ってシュクフクの恩恵を独占している。


 だがしかし。狼族が代々、獣人族の長を務める帝国において、亡命と祖国への反旗はガルガを常にためわせた。

 彫りの深い顔に、苦悩のしわが刻まれる。


 砂に書いた文字を尻尾で払いながら、タイガルが『お前の立場は、十分に分かっている』と言いたげな笑顔を浮かべた。一抹の切なさが瞳に宿る。

 そうしてきびすかえし、自由の象徴であるこんぺきの空と海を見上げた。


「我が国のペリドット皇女は、お元気か。大王妃の第三妃となるお方だ。くれぐれも大事がないよう頼むよ」

「その皇女の黒龍に乗って、行方不明になった息子を持つ私に言う事か」

「ハハッ、それもそうだ」


()


 タイガルの足下に、砂で書いた文字が浮かび上がる。金色の瞳がかすかに動いたのを確認してから、その上を歩いた。


「近いうちに、また寄らせてもらうよ」

「たまには私にも土産を持って来てくれ」


 無理におどけるガルガの肩を叩いて、タイガルはテントを去って行った。

 ガルガは人気のなくなったテントで再び、亀裂の入ったルビーに視線を落とした。

 

 大王妃サファイアとの一件以来、アイヤは紅の前にすら現れなくなってしまった。宝石に魂が入っていたのだ。消えてしまう日も近いのかもしれない。


 妻への喪失感と獣人族の長としての立場。

 そして、息子の犯した罪と紅の存在。


 誰もいないテントの中、弱気な溜め息を潮風がさらう。


 ――私に姿を見せてくれないか、アイヤ。何が正解なのか、教えてほしい。


 テントを出たガルガは一人、岬に立った。長い銀髪が潮風にたなびく。港で和気あいあいと賑わう、人間の男女と獣人族たちを、何時までも何時までも眺めていた。


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