第12話:サファイアの要求
次に目が覚めた時、紅の身体にはシルクのガウンがかけられていた。何事もなかったかのように、大理石は光り輝いている。
パン! パン!
手を叩く音に、紅はぼんやりと玉座を見上げた。誰もいない。直ぐ間近で、深海を思わせる瞳が
「素晴らしいものを見せて貰った。死ぬところだったと、宮廷医に念を押されてしまったよ」
大王妃は満足げに鼻を鳴らすと、前のめりに顔を近づけた。
滑らかな肌の上に形作られた顔は、生きた彫刻と呼ぶに相応しい。黒く長い
力の入らない紅の
「私はお前のようなヒトが大好きだ。血縁者であれ、中身が別人であれば問題なかろう。
「……意味が分からない。実の妹を
あくまで上から見下ろす大王妃は、紅の叫びに全く動じなかった。黒のガウンから、ジャスミンやサンダルウッドの混じった
得体の知れない深海色の瞳と薄い口元だけが嬉しそうに歪んだ。
「お前の心臓を根本から治癒する薬が存在するとしても、同じ言葉を吐けるか?」
結局、紅が解放されたのは、翌朝になってからだった。
「
大王妃サファイアはそれだけ言い残し、王の広間から去って行った。夜通し祈り続けていたと言う、ルルを迎えに行く。
腫れた目で
重たい扉が開き、黄金色に
「ガルガ……!」
外堀の直ぐ近くで、ガルガ達は野宿をしていた。
普段は喧嘩ばかりのオウルも、相当に心配していたのだろう。酷いクマが出来ている。黒いローブにもたれかかったフォクスは、寝ぼけ
「紅! 怪我をしてるじゃないか。暴力を振るわれたのか?」
一気に老け込んだ表情のガルガが、手を差し伸べる。迷わず胸に飛び込んだ紅は、涙を流し再会を喜んだ。
そこに、かつて異性から触れられるだけで硬直する、心の傷はなかった。
ギュウと抱きつき、逞しい胸元に唇を寄せる。
「紅……」
思わず狼狽してしまったガルガに、紅は
『
銀色の耳がピクリと動く。ごく自然な仕草で小さく
紅は、昇り来る太陽に顔を照らされながら、涙をグッと拭った。気丈な笑顔で明るく振る舞う。
「心配を掛けてごめんね……あ、でも。心臓を治す薬があるんだって!」
紅の無邪気な言葉に、オウルとフォクスが顔を見合わせた。適当野郎で名を馳せているフォクスが、珍しくこめかみを揉んだ。眼鏡の奥に困惑が
「それね……実は、スーベニアって国にあんのよ。紅ちゃん。大王妃から何か言われなかった?」
「ああ……
乾いた沈黙が束の間、
銀色の毛が、あっという間に全身を包み込んだ。口元から鋭い牙が伸び、鼻も狼そのものとなる。
いつもずるずると引きずっている黒いローブから、
「やめろ、ガルガ!
「止めるな、オウル。これ以上、私に獣人族の誇りを捨てろと言うのか」
「違う、落ち着けって。おい、紅! お前も止めてくれ!」
身体は今にも四つ足になりそうだ。人だった面影が消えかけている。唸り声と共に、金色の瞳が鋭い
「止めて、そんな事してもアイヤは喜ばないよ! 私だって嬉しくない!」
(ガルガ様。お願いです、留まってください!)
紅の声に、アイヤの思念が重なる。逆立っていた銀色のたてがみが勢いを失った。急速に狼の顔が人間のそれに戻ってゆく。
胸元で輝くルビーは、全員にアイヤのヴィジョンを見せていた。
顔に火傷を負わされる前の、黒髪が美しい、赤い瞳のアイヤ。
(私の持病で、皆さんが苦しむのは本当に辛いんです)
「アイヤ……」
(ガルガ様。私はいつでも貴方の笑顔を願っています。魂だけになって、分かった事があるんです)
全員の耳が、アイヤの次の言葉に集中した。
(薬は、この国にある薬草でも作れます)
「アイヤ様、それはどこに!」
堪らず大声になったオウルに、アイヤのヴィジョンが急速に
紅が無理に使った忍術のせいで、大粒のルビーがピシッと音を立てた。細かい亀裂が静脈のように広がる。
(星……詠み……タカマ……ガハ……ル)
「アイヤ!」
(ガ……ルガ様……紅……さ……)
人の姿に戻ったガルガの手を包み、紅に微笑んでからアイヤは消えていった。
眼鏡の中に手を突っ込んで、疲れた目を擦ったフォクスがぼやく。
「星詠みを探して、タカマガハールへ行けって事? 超絶命がけ案件じゃない」
肩を落としていたオウルが、ついに我慢しきれず
「取りあえず街に戻ろう。全員休んだ方が良い。情報整理はそれからだ。フォクスは仕事だろ」
「今から間に合うわけないでしょ。第一、
「とにかく帰ろう。済まなかったな、皆。さっきは取り乱して」
落ち着きを取り戻したガルガ。その腕の中では、紅がぐっすりと眠っている。皆、疲れているのだ。
ラクダに乗った一行は、朝日を浴びるシュクフクを眺めつつ、街に戻っていった。
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