第11話:大王妃サファイア

 王宮は無数の明かりで照らされており、ランプ一つとっても、セイショクが10年は食べていけるのではないかと思われるけんらんさだった。


 高いドームのあちこちに作ってある小さな格子窓から、月明かりが差し込む。光の加減によって、文様が変わるように出来ているらしい。


 王族の誰かが宴でもしているのか。羊や鶏の焼ける匂いに混ざって、香辛料が鼻腔をくすぐる。

 弦楽器と太鼓の音。踊り子の影が、連行される紅に重なって揺れた。


 王宮の最奥、とりわけ厳重な扉の鍵を内外同時にかいじようする。「侍女はここで待て」ギィと音を立て、屈強な女戦士二人がかりで扉が開いた。

 真っ白いドームには大理石の階段が伸び、その上をじゆうたんが彩っている。


 頂点に輝くはまさしく鉄の玉座。メディナ帝国の象徴であった。


「久しぶりだな、アイヤ……いや。今は紅、か」


 かせめられた紅が堪らず顔を上げる。


 玉座の主は、全身黒ずくめだった。ターバンから、ガウン、腰布に至るまで。がっしりとした体型に王族を象徴する白い肌。ゾッとするほど美しい顔で瞬く、深海のような瞳。

 

 紅は、頂点にいる者が男性にしか見えず困惑していた。自分を知っていた事実など、何処かに吹き飛んでしまったほどだ。


 玉座で脚を組んだ、大王妃サファイアの瞳がえつに歪んだ。


「私がセイショクにしか見えなくて混乱しているのだろう? 安心すると良い、私はヒトだ」

「……スラム街に行きたいと言ったのは私です。ガルガ達は、悪くありません」


 サファイアの群青が、紅の赤を捉えた。瞳同士が混じり合う。


「私は断罪をするために呼んだのではない。今日は挨拶、と言った所だ。


 最後の言葉に里の長を見た紅が、一息でけんのんな目つきになった。奥歯を噛み、鋭い眼差しで射る。


 不意に耳元を風の切る音がして、紅は身を低くした。脚の付け根から回転し、身をねじる。


 女戦士が、手縄のついた棍棒を振り回していた。


「貴様は、国の忍者と聞いた。腕前を見せて貰おうと思ってな」


 磨き上げられた大理石の床は、勢いをつけるのに十分であった。シルクのドレスに身を任せ、一気に滑って距離を取る。

 

 心臓の持病にかせ。不利にも程がある。戦士の振り回す棍棒は、音と大きさから判断しても当たれば頭を潰されて即死だ。


 無機質なまでに何もない王の広間には、赤を基調とした金糸刺繍のじゆうたんがあるのみ。


 玉座に続く階段、すぐ脇の扉が放たれた。黒曜石を思わせるうろこの中から、深紅の瞳がのぞいている。その大きさたるや。紅の身体を軽く越えているではないか。


「黒龍……」


 高い知能を伺わせる細い瞳孔が、じっと紅を捉えた。

 

「余計な事をすれば、黒龍が貴様を焼き殺す。さあ、戦え」


 大王妃サファイアの言葉に、紅はつるりとした壁を見た。ランプを取ろうにも、かせが大きすぎる。

 

 飛んでは跳ね、跳ねては壁を蹴って、棍棒を回避するくらいしかやり過ごせない。直ぐに心臓が根を上げて、不穏に脈打ち始めた。


「なんだ……猿芸ではないか。もっと私を喜ばせろ」

「クソッ! 心臓の持病を知ってるくせに!」


 反応してしまったせいで、顔面すれすれを棍棒がよぎった。真白な肌に赤い花が咲く。 

 バランスを崩した紅は、転倒してしまった。女戦士がかぶとの下から口角だけを上げる。


 ――考えろ、何かあるはず!


 ふと、屋敷を出る直前のやり取りが紅の脳裏でまたたいた。


『気付け薬を持っていけ、脳筋』


 オウルの言葉だ。

 

 発作時にのみ使用する、気付け薬。発作を起こしてない今であれば、一時的に心臓の機能を上げられるかもしれない。


 降りかかる棍棒を転がり避けた紅が、薬袋の所在を確認した。ドレスにはない。転倒した拍子に落としたのか。素早く、王の広間に視線を這わせる。


 ――あった! じゆうたんの上だ!


 色合いで分かりにくかったが、薬袋は確かに落ちていた。再び、両足を旋回させて勢いをつけ、跳ね起きる。


 棍棒を振り回し、突進してくる女戦士に正面から突っ込んでいった。戦士の身体に巻き付いた鎖を駆け上り、かぶとを蹴って、薬袋の真横に落ちる。


 薬袋を食いちぎった紅は、気付け薬を一息で飲み込んだ。


 ドン!


 棍棒の音だろうか。いや、違う。心臓の脈動が、直に鼓膜を刺激しているのだ。紅は、けいれんの始まった身体を大きく反らせた。


 ――痛い……意識が飛ぶ!


 そうしている間にも怒声が近づいてくる。

 頭を潰されるのと、意識が飛ぶのどちらが早いか。どちらにせよ、間に合わない。


 目を瞑った刹那、胸元のルビーが大きく震えた。


 幻影のアイヤが紅を抱きしめていた。必死な顔で紅を守ろうとしている。彼女もまた、宝石の中で戦っていたのだ。


 震える身体に一本の芯が通る。

 歯を食いしばった紅が気を吐いた。


「……ここで死ぬのだけは、絶対に嫌」


 一か八かの賭け。棍棒を振り上げた一瞬の隙を縫って、紅は再び身体を駆け上がった。

 脚で首を締め上げ、かせで視界を奪う。心臓は、今にも壊れてしまいそうだ。脈がどくどくと鼓膜を突く。


 瞬間、紅にアイヤの魂が重なった。


 見開かれた紅の瞳が一際、赤い輝きを放つ。


「忍法、焔龍火えんりゅうか


 稲光と見まがう閃光を引き連れ、紅の身体が一気に燃え上がった。激しく立ち上る炎柱に、大王妃の瞳がかすかに見開かれる。

 火は瞬く間に女戦士を焼き尽くした。鉄のよろいが溶け、溶岩さながらの様相を見せる。



 扉の奥にいた黒龍は「ゴゥ……」と息を吐き、燃えさかる紅をただじっと見ていた。深紅の瞳に、新しく生まれた炎を焼き付けるかの如く。


 阿鼻叫喚の業火から、ドレスはおろかかせまでも焼き尽くした紅が姿をあらわす。


 ルビーのネックレスだけをまとった彼女は、その場で意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る