第9話:スラム街の人々

 薄汚いランプが、所々で灯る無駄に広い区画。男たちは最低限のぼろ切れをまとい、痩せ細っていた。

 酷い匂いが鼻を突く。汚物だらけの街でセイショクは生活をしていた。


 市場で見た、新鮮な果物や野菜が何一つない。じゆうたんや陶器などはもってのほかだった。


 まだ赤ん坊もそこには居て、老いた男が何かを飲ませている。


「あれは人間のお乳?」


 鉄格子の奥。ほのぐらい光を受けたガルガの瞳が切なく揺れた。


「羊の乳だ」

「種子を採取できるセイショクには、ヒトのお乳が与えられるのよね」

「フォクス……!」


 金色の瞳に睨まれた、透き通る薄茶の瞳が『だって本当の事じゃない』と言わんばかりに肩をすくめた。


 まんじりともせず、スラムの様子を見ていた紅は疑問を感じて鼻にしわを寄せた。


「ガルガってさ。さっきから、すごく当たり前の反応をしてる。……もしかして、こんなのはメディナ帝国だけなの?」


 ガルガの代わりに答えたのは、ルルだった。汚れた顔を歪ませ、嫌悪感を隠そうともしない。


「シュクフクのご意志です。幾ら奥様でも、神に逆らう発言はお控えください。シュクフクのご加護があるから、私達はこうして暮らせるのですよ」

「……フクロウ、シュクフクが咲いて何年だっけ」

「四百年だ。最早、文化で済ませられない。メディナ帝国そのものだ」


 鉄格子の外には、小さな階段が続いている。厳重な鍵を掛けられているとは言え、仮にも相手は男だ。数が集まれば、いとも容易く破れるだろう。


 肉も野菜も殆ど入っていない。何なら、傷んでいるであろうケバブに子供がかぶり付いた。大人たちは皆、優しい笑顔でそれを見ている。


 かたわらで、朽ちかけた骸が放置されていた。


 思わず鉄格子の向こうに手を伸ばしてしまった紅を、ガルガの逞しい腕が止めた。


「人間の男は、風土病で攻撃性を失っている。スラムから出る気がないんだ。彼らにはこの生活が常識なんだよ」

「えっ!? それじゃあ、変装はなんのためだったの?」

「見てごらん、アイツらの目を誤魔化す為だ。今日はやけに警備が厳重だな。これではスラムに入れない」


 褐色肌の指が、スラムの奥を指差す。鉄の肩当てを装備し、さらしの上から鎖を巻き付けた人間の兵士達が、槍を持って練り歩いている。


 その姿に紅は目を見開いた。男たちを管理する兵隊は、やけに筋肉の発達した女性たちだったからである。


 ――これじゃ丸っきり、男女の逆転した里じゃない。


 紅は、ただ絶句するしかなかった。ヒトと呼ばれない帝国のセイショク、人間と呼ばれない里の産み子。一体、何が違うのか。

 涙が頬を伝う。顔をくしゃくしゃにした赤い瞳は、力なくぬかるみに手を落とした。


「輪廻転生をして、私は極楽に来たんだって思ってた。王族が酷いのは分かってる。だけど、里に比べりゃずっとマシだって。そう思ってたけど……こんなの別の地獄に来ただけじゃない!」


 少年の面持ちをしたオウルが、やけに大人びた表情を浮かべ、涙する紅を見た。長いまつを伏せ、唇を噛む。


「アイヤ様も苦しんでおられたよ。彼女はドラゴンライダーになれなかったから、王族を追われたんじゃない。真っ当な感性の持ち主だったからだと、俺は思ってる」


 瞬間、胸元のルビーが微かに振るえ始めた。力ない光を何度も放つ。まるで、アイヤも泣いているように一行には映った。


 肩を落とした紅が、それきり来た道を帰り始めた。白くて滑らかな肌を、汚い手で何度もっている。ガルガたちは、誰も何も言わなかった。

 獣人族は帝国軍として、他国と交流がある。外の世界を知っているのだ。だからこそ、真実の開示をためった。

 

 何ともいえない沈黙の中、ここしか知らないルルが心底不思議そうな声を上げた。


「……奥様が健康でしたら、きっと我が国の習わしにも疑問を抱かなかった筈です。私には、本当に残念でなりません」

「んー、ルルさんにとってはそうかもねえ。でも、風土病がもたらした価値観ってのは、君も知ってるんでしょ?」


 ターバンを早々に剥ぎ取ったフォクスが、耳を立てた。口をすぼめ、眼鏡をかけ直す。


「風土病もシュクフクのご加護です」


 珍しく強気の視線を送ったルルは一言、そう言っただけだった。

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