第5話:紅とアイヤ

 とても静かだ。うっすらと目を開けた紅は、光に包まれた空間を見渡した。薄もやのかかる世界は、ガラス細工のようだった。軽く赤みがかっている。


「紅さん?」


 柔らな声色に紅が振り向いた。

 そこには、困ったように笑うアイヤがいた。


 ――火傷をする前のアイヤは、こんなにキレイな人だったんだ。


 スッと通った鼻筋、花のつぼみを思わせる唇。この国の正装であるベールが、とても良く似合っている。腰の飾りが、美しい身体のラインを強調していた。


 姿を見つめる紅の目に、切なさが宿った。


「ごめんね、アイヤ。身体を乗っ取ってしまって」


 俯いたアイヤは、優しくかぶりを振った。


「私が悪いんです。レオさんは、後妻の私が苦手でしたから」

「レオ……ガルガの息子? あかしを盗んで行方不明になったとかいう」

「ええ。なのです」

「証……」


 屋敷の長であるガルガの不在。その間中、彼の息子が起こした不祥事を、誰一人として語ろうとしなかった。紅は不満をつのらせ、同時に孤立感も生んだ。

 

 自分はここに居てはいけないのだ、と言う思い。

 

 顔を曇らせた紅に、アイヤが手を差し出した。てのひらに水晶玉が浮かんでいる。


あかしは、軍事機密でもあるのです。屋敷の者をどうか許してあげて下さい。私から説明します。さあ、こちらを。これがあかしです」

 

 中をのぞき込んだ紅は、余りのそうごんさに息を飲んだ。


 こくようせきかと見まがうような、光り輝く大羽。大きなかぎつめと、燃えさかる赤い目。

 あかしは、惚れ惚れするほどに美しい黒龍であった。


「紅さん、驚かないんですね」

「獣人族がいる国だもん。今更、驚かないよ。黒龍、すんごくキレイだね……私の国にも龍の伝説があるんだよ。ちょっと形は違うけど」


 アイヤの表情がフッと和らぐ。赤い瞳が桃のように薄らいだ。


「私は王族でありながら、黒龍に乗れませんでした。レオさんは、獣人族初のドラゴンライダーだったんです」

「……王族ってのは人間なんだよね」

「はい」

「ふうん、なるほどね。獣人族が龍に乗ったから、罰を受けたって訳か」


 里ではよくある話だ、と紅は思った。どれだけ実力主義をうたおうが、結局は血統が全て。

 長の直系である紅と、父親の違うかえでには待遇に雲泥の差があった。同じ腹から生まれたのに、妹の楓は生まれた時から産み子。ただ、それだけの人生だった。


 口元に手をやったアイヤが眉を下げ、話を繋ぐ。

 

「紅さんの仰る通りです。レオさんがヒトであれば大事には至ってません。私とガルガ様は、政略結婚でした。『獣人族の監視をせよ』姉様から受けた命です。レオさんを止められなかった、私が悪いんです」

「……だとしても、お姉さんは酷いと思う。実の妹に死ぬ程の火傷を負わせるなんて」


 そうするのが癖なのだろう。アイヤは自信なさげに、ベールの端をギュッと握った。張り付いた困り笑いが痛々しい。


「私、サレム家王家の末っ子なんです。上の姉様方は皆、結婚をして子を成しています。黒龍に乗れない、子を成せない。そんな私をガルガ様は大切にしてくださいました。だから……縁を導いてくださった姉様にも、感謝をしないと」


 オドオドするアイヤに妹のかえでを見た紅。彼女は気づいたらアイヤを抱きしめていた。


「身分やおきてがどうであろうと、アンタが殺されていい理由にはなんないよ」

「紅さん……」


 不意に視界がぼやけ、アイヤのヴィジョンが遠ざかっていった。間もなく意識が戻る。


 アイヤは、手を伸ばすと光の粒を手渡した。


「これは紅さんの欠片です。少しは身体が動くようになると思います。元のようにはいきませんが。受け取って下さい。これは、貴方自身なのですから」


「アイヤ……!」

 

 束の間、意識が途切れる。最早、見慣れたと言って良い幾何学模様の天井。

 アイヤは、夫を愛していた。痛いほどに伝わってきた、切なる愛情。


 頬に大粒の涙がぽたりと落ちてきて、紅は金色の瞳を見た。夫もまた、アイヤを心から愛していたのだ。


 たとえ、それが政略結婚だとしても。


「心臓の発作を起こしたんだ。苦しくないか? 紅」

「気付け薬が効いたな。ちょっとは俺の言う事を聞けよ、脳筋。アイヤ様には、心臓の持病があるんだ」


 はらはらと涙を零した紅が、ガルガを見つめる。

 苦悩に刻まれたしわではない。優しい笑いしわが獣人族の長には、良く似合う。


 ――きっと、アイヤもそんなガルガを愛したんだ。

 

「心配を掛けて、ごめんなさい」


 子供のような泣き声が響き渡った。


 気まずさを打ち消すかのように、改めて腕組みをしたオウルが、街の外に目を向けた。


「この一週間、シュクフクに行くんだって大騒ぎだったんだ。この女に安静は無理だろ。好奇心の塊だぞ」


 ゆっくりと紅を抱き起こしたガルガは、彼女を連れて窓辺に出た。

 高台にある屋敷からは、こぢんまりした街が一望出来る。獣人族たちの賑わいと、風に乗って漂い込んでくる香辛料の匂い。


 街の終わりから延々と続く砂漠。

 視界の先に、直径5kmはあろうかという巨大な花が咲いていた。


 メディナ帝国の象徴『シュクフク』


 紅の瞳は、その白い花びらを一心に見つめていた。


「花の名前は『シュクフク』って言うんだよね。えっと、五千年雨が降り続いて……」

「記憶力がホント雑魚だな。雨期は50年だ」

「黙れ、ネチネチフクロウ。シュクフクは、この国の神様なんでしょ?」


 ガルガとオウルが微かに顔を強ばらせた。

 一方のルルは、うっとりと笑みを浮かべている。

 

「奥様は王家の血筋。魂が紅様となっても変わりません。シュクフクの神子です。私からもお願いします。どうか、街へ」


 瞬間、紅の落ち着き払った声が室内を過った。

 発作を起こした時のアイヤを彼女は、噛み締めていた。


 ――私は、この国を知らなくちゃいけない。


「お願い、街に連れて行って。ガルガ」


 全員の視線が、それまでと様子のがらりと変わった紅に集中する。

 赤い瞳に決意が滲んだのを、アイヤの夫は確かに見た。


「……分かった。次の休みに行こう」


 ガルガは紅の胸元で光るルビーに目を落とすと、静かにうなずいた。

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