第3話:異国の香り

 ガルガはベッドサイドまで歩くと、ポットを手に取った。深い青と赤のコントラストが花柄を描いており、それ自体が宝石のように美しい。


 振り向きざま、香油がぽたりと落ちた。

 ミルラと呼ばれる砂漠地帯特有の精油に、ジャコウがほんの数滴ブレンドしてある。

 

 苦味と甘さが混じり合ったスモーキーな香り。それでいて、こうには微かな清涼感が残る。

 極東育ちの紅には酷く神秘的に感じられた。やはり、ここは遠い異国なのだと。

 

「さあ、座って」


 ぺたんと座り込んだ紅に、大柄の筋肉が寄り添った。どうしても、醸し出される中年の色気に父親を見てしまう。

 

「この香油は、古代から愛されてきたものでな。消炎作用がある。アイヤはコイツが好きだった」

 

 ガルガはそう言って、オイルを手に取った。緊張する紅のてのひらをそっと包む。肉厚の手が無骨に揉みほぐした。


「足も嫌でなければ。すねまでしか触らんから安心しろ」


 細くて白い足を投げ出した紅がガルガの用意した、金のたらいに足をつける。

 温め直した香油が心地いい。他国から取り寄せたというゼラニウムの精油が追加され、シクラメンの花びらが浮かんだ。


 どちらも、疲れを取る作用があると説明したガルガは、足の裏とふくらはぎを痛気持ちいい強さでマッサージをした。

 

 紅は、頭がふわりと軽くなるのを感じていた。張り詰めきった糸がゆるゆるとほどけてゆく。


「さて、塗り薬だ」

 

 ポーッとしていた紅が我に返った。胸元のルビーをギュッと握る。薬を塗って貰いながら、努めて明るい声色で語りかけた。


「しっかし、アイヤはどうしてこんな怪我をしちゃったのかね」


 刹那、不器用に動いていた指がピタリと止まった。分かりやすく、耳と尻尾が垂れ下がる。ついでに肩まで落とした大男が、ふんまんやるかたない顔で紅を見た。


「私のせいなんだ。

「……アイヤとガルガの息子?」

「いや。人間と獣人族に子は成せない。病で亡くなった先妻との子だよ」

「ん? それとこの怪我に何の関係があるの?」


 薬を塗り終えたガルガが、決まり悪そうに立ち上がった。

 近くに湖でもあるのか、熱風に紛れ心地よい風が石造りの部屋を吹き抜ける。


「……罰を下したのは、大王妃だ。我が国の頂点であり、アイヤの姉だ。身内の出した汚点は、身内に償わせる。それが、この国のやり方なんだよ」


 ぽかーんとガルガの告白を聞いていた紅は、窓の外に広がる異国の砂漠を見た。


「そんな酷い事をする、お姉さんもいるんだ」

「えっ」

「私は、妹を殺されてほんを起こしたの。妹……かえでってんだけどさ。産み子だったんだ。里を抜けられないように、おさから顔を焼かれて。まだ二つの時だよ」


 ガルガの銀髪が風に吹かれて、たてがみのように揺れる。金色の瞳に、怒りの炎が灯った。


「私は今から王都へおもむく。事のてんまつも含めて報告せねばならん。私の息子が起こした不始末を、お前に背負わせて本当に申し訳ない。


 深いしわを刻んだ大男が呼び間違えた、名前。しかし、彼女は敢えて訂正をしなかった。

 代わりに、痛み止めの煎じ薬をわざと苦そうに飲んでみせる。舌を出す紅に、強ばっていたガルガの表情が和らいだ。


「一週間ほど留守にする。輪廻転生の件は内々に留めておこう。身の回りは、ルルに。それから、分からない事はオウルに聞くといい」

「オウルって、さっきの黒ずくめ? アイツ、全然喋らないじゃん」

「アレはプライドが高い。オウルはフクロウ族でな。頭の良さは、メディナ帝国一だよ」


 笑顔を向けたガルガは、いつもの癖で艶のある黒髪を撫でてしまった。

 里での記憶がふいによみがえり、白く滑らかな肌があわつ。平然を装っても、赤い瞳は恐怖で瞳孔が細くなっていた。


「……すまなかった、紅。かつに触らぬよう気をつける。戻ったら街へ出よう、それまでゆっくり休むと良い」


 心底申し訳なさそうに言って、ガルガは部屋を去って行った。

 


 一週間後――



 王都で報告を済ませたガルガ一行が、獣人族の街バスラに帰還。

 屋敷に戻ったガルガは、ルルの悲鳴に堪らず走り出していた。


 屋敷中央のドームを一気に駆け抜け、狼特有の爪痕が残る。太陽の光が窓から差し込み、虹色の光を放っていた。


「ヒィ! 奥様、お止め下さいまし!」

「どうした、ルル!」


 暇を持て余した紅が、てんがいベッドにぶら下がって、けんすいに勤しんでいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る