第7話 新生活におけるローストハム及び愛称の重要性ついて
「ようやくヒルトゥラに着いたね。ここが最寄りの街だ」
ラーヴァグルート様が駅馬車を降りながら言った。
「ヒルトゥラって、離宮がある高級温泉保養地ですよね? わぁ、素敵」
その近くに別荘があるなんて、さすが大貴族。
「ここからまだもう少し、うちはもっと森の奥だけれどね」
ラーヴァグルート様が少し困ったように笑った。
「家まで送ってくれる竜車を探そう」
すぐにそれは見つかった。わたし達は小さな竜車に乗り込む。
街の中心には古代ガリカ帝国時代に建てられたという歴史ある温浴施設が聳えていた。
遠くには、皇帝の離宮が見える。
「あれ、竜……?」
竜が離宮の方へ飛んでいくのが見えた。あれ? 陛下は帝都にいらっしゃるはずだけど、どうして竜が?
「皇太子殿下がここで静養中だから、その警護だろうね」
ああ、例の病気の皇子様。こんなところにいたんだ。
歴史ある落ち着いた街並みを抜け、町の門を出ると、今度は畑が広がっていた。家もまばらに建っている。
畑では亜竜が犂を引いている。あんまり状態が良くないな。栄養不足かな? 働かせすぎかな?
いけない。どうにも竜や亜竜がいると気になってしまう。
まもなく畑が途切れた。
夕日に赤く染まる森の中を進んでいく。少しして館が見えた。
「着いたよ。ここだ」
「わあ、素敵なお屋敷!」
一度だけ行った――そして当然の如く冷たい目を向けられた――帝都のフロリバンダ邸とは比ぶべくもないけれど、それでもわたしには立派なお屋敷だ。
「お帰りなさいませ、坊ちゃ……旦那様。長旅でお疲れでしょう。お部屋へどうぞ」
背の高い初老の紳士が招き入れてくれた。執事さんかな?
「奥様はこちらのお部屋をお使い下さい」
与えられた二階の部屋は広くてきれいだった。官舎の二倍はある。
ラーヴァグルート様の部屋は隣らしい。隣の部屋に続くドアがある。まあ、残念ながら使うことはないんだろうけど。
そんなふうに部屋の中をうろうろしていたら、メイドさんらしきふくよかな中年女性がお茶を持ってきてくれた。
それからお湯も運んできてくれて、お風呂で旅の疲れを癒すことができた。至れり尽くせりだ。
晩御飯は……貴族の食卓としては随分質素だ。
でもハニーソースのローストハムなんてあったから今までよりはずっと豪華だ。味もおいしかったし、満足。
ああ、お腹いっぱいになったら眠くなってきた。
しかし旅というのはどうしてこう疲れるのだろう? わたしは座っていただけなのに。
もう寝よう。
「良かったら、家の中を案内しようか」
朝食後にラーヴァグルート様が声を掛けてくれた。
「ありがとうございます、ラーヴァグルート様」
うっかり開けてはいけない扉を開けて酷い目に遭うのも嫌だからね、助かる。
「ねえ、アリスター。その、『ラーヴァグルート様』はやめてくれないか? ラーヴァでいい。あと敬語もだ。その……私達は夫婦なのだし、遠慮はいらないよ」
「わかりまし……分かったよ、ラーヴァ」
なんだか気恥ずかしい。でも実はちょっと距離が縮まったようで嬉しい。
「ここが図書室だ。気に入る本があるかは分からないが、自由に使っていい」
凄い、壁一面に本が並んでいる!
竜に関する伝説の本、竜医学や飼育方法の本、あ、竜種研究所発行の論文集もある。どれもこれも、竜に関する本ばかりだ。
「隣がおじい様の実験室だ。この部屋には鍵を掛けているから、使うときは声を掛けてくれ」
ラーヴァが鍵を開けながら言った。
中にはビーカーにフラスコ、計測機器に蒸留装置にろ過装置、色々な器具が並んでいる。何に使っていたんだろう?
「一階は後はさっきまでいた食堂、厨房と使用人室、二階は私達の部屋と客室だから、建物の中はこのくらいだな。次は庭だ」
わたし達は庭に出た。朝の爽やかな光と、澄んだ空気が気持ちいい。
「あれ? 昨日は気づかなかったけど、もう一つ建物がある」
「ああ、竜のための厩舎だよ。それでは、少し庭を散歩しようか」
庭は手入れが行き届いているとは言い難かった。荒れているというほどではないけれど、人手が足りないのだろう。
でも、色々な種類の植物が育てられている。少し離れたところに果樹も見える。
「これ……全部竜の薬用植物だ。あっちの果樹も竜の好物ばっかり」
さっきの実験器具は、きっとこれらの植物から成分を抽出して薬を作るためのものだ。
「本来は狩猟用の館だからね。滞在中の竜達のためだよ」
竜騎士だからってこと以上に、竜に関わるものが沢山集められている。ということは、この館の前の持ち主、つまりラーヴァのおじい様はよっぽど竜が好きだったんだろうな。そしてお父上は健在なのに、この館は直接ラーヴァに相続された。多分それは、ラーヴァがおじい様と同じく竜が大好きだからだ。
だけどラーヴァは竜騎士を辞めてしまったし、この家には竜がいない。
何だか寂しい気がした。
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