第2話 帝国竜種研究所における研究員の勤務状況について
早朝、いつものように研究所に出勤して孵卵器を確認する。竜の卵はまだ孵る気配もなかった。
あれ? 何かがおかしい。
急いで確認する。孵卵器の保温装置が切れている。わたしは急ぎ設備を整え、保温を再開させる。そして夜勤担当のチャールストンを探す。だが、いない。
「……おはようざいます」
ぼそぼそとした聞き取り辛い男の声を、わたしは聞き逃さなかった。
「チャールストン! あなた、夜勤でしょ! なんで今出勤なの? 保温できてなかった! 孵化温度の影響を調べる実験が駄目になったじゃない!」
「ああ、アリスターさん。それはもういいってレノックス主任が。だから僕も昼勤です」
「はぁ? なんでレノックス主任が言うのよ。担当、違うでしょ?」
「でも、主任の命令ですから」
チャールストンは目も合わさずに答えた。
レノックス主任、なんて言っているけど、わたし達の上司じゃない。研究内容も違う。
こっちに口出しされるいわれはないのだ。
ついでに彼女に研究の実績があるわけでもない。『主任』の肩書は大貴族の娘だから貰えただけだ。
因みに何故そのような働かなくていい女性がこの帝国竜種研究所にいるかというと、流行だからだ。この間の戦争で男性貴族が出て行ったのも相まって、女性貴族が国の機関で国のために働く、というのがトレンドなのだ。竜種研究所の研究成果の利用者は主に竜騎士である貴族達で、彼らはここに出資もしている。
故に、縁故採用がまかり通るのだ。
そんな彼女らの研究内容は大抵、竜の医療や看護、育成だ。でもまともに研究している人は数えるほどしかいない。
そして主任は、数えられない方だ。
彼女は昼前にやってきた。
「レノックス主任! チャールストンはあなたの部下じゃありません。勝手に指示しないで下さい。そのせいで実験データが取れなくなったんですよ!」
「孵化の予定日は過ぎているのでしょう? 彼が言っていたわ。なら失敗よね? だからもういいんじゃないって言ってあげただけよ。指示したわけじゃないわ。でも個人的には無駄なことに時間を使うべきではないと思うわ」
「無駄? 孵化の日数には幅があります! まだ孵らないと決まったわけではありませんし、中止の判断が下ったわけでもありません。指示でないなら、余計な事は言うべきではありません!」
「でも、じきにそうなるわよ」
レノックス主任は訳知り顔でニヤリと笑った。
「じきに、って――」
「主任、ちょっといいですか? 新しい薬は、これで合っていますか?」
チャールストンが割り込んできた。憧れの主任の窮地を救うつもりなのだろうか。
「ええ、そうよ」
主任は食い下がるわたしを無視してチャールストンに答える。そしてそのまま二人でどこかへ行ってしまった。チャールストンは幸せいっぱいの顔で主任に張り付いている。
コイツは自分の研究そっちのけで……!
でも、仕方ないのかもしれない。
竜達が魔力でブレスを吐き、空を飛ぶように、人も『支配』という魔力を持っているらしい。
貴族や王族は強い魔力を持つために、持たない人々を支配している。
そしてその力で竜達をも支配し、彼らの強大な力を自分達のために使わせているのだ。
加えてレノックス主任は物凄い美人だからなあ。女性に全く縁のない研究員のチャールストンに抗うことなど出来ようか。
と、そんなことを考えている場合じゃなかった。そろそろ孵化した仔竜達のエサの時間だ。準備しなくては。
「キィ、キィ、キィ」
厩舎の中から、仔竜たちの騒ぐ声が聞こえてくる。なんだか様子がおかしい。
入ってみると、いつもは嬉しそうに寄ってくる彼らが怯えたようにさっと逃げ出した。
三匹の仔竜のうち二匹が、胴に包帯を巻いている。
なんだろう? 喧嘩でもしてケガして、誰かが治療した?
「キィ、キィ」
包帯を巻いた二匹の片方が、とても苦しそうに鳴いた。こっちの方がケガが酷かった?
いや……違う。様子がおかしい。
「もう少しだけ待ってて! 報告して、処置してもらうから!」
わたしは室長の執務室に急ぐ。
「ド・フィーネ室長。来てください。仔竜達がケガをしているんです。治療されているようですが、様子がおかしいです。……ケガを含めて、作為的なものかと」
「分かったわ。一緒に行きましょう」
体格の良い隻眼の壮年男性が執務机から立ち上がった。
怯えていた仔竜達も、室長を見ると幾分落ち着いたようだった。
凄い。さすが元竜騎士。
「ケガの確認をしましょう。アリスター、手伝って」
「はい。ちょっとごめんね。ケガしたところ、見せて。怖くないから」
仔竜を捕まえて、包帯を外す。
「何ですかねこの匂い。あれ? そっちは匂いがしませんね」
わたしの方はスッとするような刺激臭があり、室長の方は無臭だった。激しく騒いでいたのは刺激臭のする方をつけられた仔竜だ。傷口は……スパッと切られている。仔竜の爪や牙の跡じゃない。
「さっき、チャールストンとレノックス主任が新しい薬がどうとか言っていました。主任たちの実験かもしれません。念のため伺いますが、室長は許可を出されていませんよね?」
「そんなもん、出すはずがないわ」
良かった、こんな実験許可されていたらどうしようかと思った。
わたしは急いで薬を洗い流し、ちゃんとした薬をつけて包帯を巻く。そして薬のついた包帯を回収した。
「ごめんね、痛かったね、怖かったね」
室長と一緒だからか、仔竜たちも大人しく処置を受けてくれた。
「メアリーねえ……困ったわね。彼女の差し金なのは間違いないけど……十中八九逃げられるわね」
室長が首を振った。
室長は上司で、勲章をいくつも貰っている元竜騎士で、大貴族だ。だからレノックス主任が大貴族の娘と言ったってどうってことないのじゃないだろうか? 大貴族同士の力関係も何かあるのかもしれないけど。
「でも、とにかく注意しなくちゃ。行くわよ、アリスター。まあ、よく見ていなさい。アタシの言うことも、きっと分かるわ」
室長は居室に行って二人に声を掛け、執務室に連れていった。わたしも同行した。
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