リストラ研究員の再就職先は竜騎士様
須藤 晴人
第1話 婚約破棄に恋敵を同席させる必要性について
「ラーヴァグルート、突然婚約破棄だなんて、どういうことなの?」
「メアリー、私はアリスターと結婚する。だから君との婚約は破棄する」
淡々と告げる男の澄んだ青い瞳からは何も読み取れなかった。
「どうして? わたくし、何かあなたの気に入らないことをしたかしら?」
「……君に不満があるわけではない。ただ私は私の思うように生きたい。それだけだ。君もそうするといい」
『なら、私は貴方を追いかけます。そんな女との結婚は認めません!』とでも言われたらどうするつもりだろう?
もうすっかり決めてしまって、落ち着き払ったこの男も少しは慌てるだろうか?
だが、そんなことは言うまい。
「フロリバンダ家はどうするおつもりなの?」
「私は家を捨てる。レノックス家への賠償に関しても、もう話はついているはずだ」
こんなことで、婚約破棄を納得できるはずもない。
たとえ彼をさほど愛していないにしても、他に好きな男がいるとしても、プライドというものがある。
結婚相手は美しくもない平民の女。
そんな自分よりはるかに劣る女に婚約相手を奪われて平気でいられようか。
平気でないのなら?
表向きわたしに怒りは向いていない。というよりわたしはすっかり蚊帳の外だ。
だがそれは、自分よりはるかに劣る相手に腹を立てるなど高貴な者にとっては自分を貶める行為だからだろう。
怒りがないわけでも、許したわけでもない。
メアリー・レノックス主任は極めて高慢な女性だ。
どんな時でも、誰の中でも、自分が一番でなければ許せない。
そのことは研究所で一緒に仕事をしていたから知っている。
「分かったわ。もう話のついていることなら、それで進めて頂ければ結構」
彼女は感情を押し殺してそれだけ言うと、さっと席を立った。
ティールーム内の張り詰めた空気も、彼女と共に抜けていった。
「はあ……なんで呼び出したんですかね? 何がしたかったのかさっぱり分からない。律儀に付き合うことも無かったのでは?」
誰も飲まなかった紅茶を一口含み、わたしは尋ねた。
「君には嫌な思いをさせてしまったね」
ラーヴァグルート様が申し訳なそうに言う。
「いえ、別にわたしが嫌だから言ったんじゃありません。ただ疑問だっただけです」
会って話して何としても婚約破棄を止める、という感じでもなかった。そもそも、彼女にとってはむしろ破棄された方が都合が良いはずだ。
敢えてわたしを呼んだのに、わたしに恨み言をぶつけるということも無かった。完全無視だ。
会って話して増えた情報など一つもない。全て事前に書面で通告済みで、両家で話はついているはずだ。
わざわざ呼びつけたのは何のためだったのか。それが分からない。何故そんな益の無いことをしたのだろう? 他に何か狙いが……?
「重要な話だ。会って顔を見て直接話したいということもあるさ。今回のことは私の我儘だから、せめて彼女の希望は聞いておきたかったんだ。君を巻き込んですまない」
「いえ、良いんです。わたしだって自分の興味から来るのを了承したんですからね。巻き込まれたんじゃないんです。だから謝らないで下さい」
貴族から頭を下げられると逆に恐縮する。
でも、本当にこれで終わりなのだろうか? 彼女はこれから復讐に走ったりしないだろうか?
そう思ったけれど、それは口には出さなかった。聞かれたところでラーヴァグルート様も困るだけだ。
「これで帝都での用は済んだ。そろそろ行こうか」
「待って下さい。お茶とお菓子が済んでません。もったいないです。駅竜車の時間まで、まだ少しあるでしょう?」
「……そう、だね」
ラーヴァグルート様は戸惑いながらも付き合ってくれた。
貴族からしたら形式上頼んだだけで、要らないから食べない、でいいんだろうけど。
庶民のわたしとしては頼んだのに手を付けないなど言語道断である。
スコーンをお腹から二つに割って、クロテッドクリームとジャムをこんもり盛って、口に運ぶ。
うん、口の中の水分が全部持っていかれる。紅茶が捗る。おいしいなあ。幸せ。
もぐもぐ食べていたら、優雅に紅茶を飲んでいたラーヴァグルート様が目を細めた。ちょっと恥ずかしい。
これからは一応貴族の妻なのだから、もっとお淑やかにしないとダメかなあ。
これから帝都を離れ、ラーヴァグルート様の所有する別荘に向かう。彼とわたしは、そこで新婚生活を送ることになる。
正直に言えば、何でしがない元研究員で平民のわたしが、竜星勲章持ちの竜騎士で貴族のラーヴァグルート様と結婚することになったのか未だに分からない。
確かに、この結婚の目的は聞いた。利害が一致したから受け入れもした。だけど、納得はできていない。
「アリスター、足元に気を付けて」
そんな風にぼんやり考え事をしていたら、先に竜車に乗り込んだラーヴァグルート様がわたしの手を引いた。
他の乗客が微笑まし気に見ている。何だか気恥ずかしい。
御者が鞭を入れる。どっしりとした四足の亜竜がゆっくりと動きだす。
竜車に揺られながら、わたしはこの結婚に至る過程を思い出していた。
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