最終話 追放聖女のぼっち暮らし

 たしたしたしっ

 にゃっ

 たしたしたしっ

 にゃっにゃっ

「もう少し寝かせて。あなたいつもお昼寝の邪魔して……?」

 黒猫によく似た不思議な生き物に頬を叩かれ続けて、フュリスは音を上げて目を開け

「ルーク?!」

 驚きのあまり飛び起きた。

 したっ

 ふみゃああああ

 肩の上に居座り顔を叩いていたルークは吹っ飛ばされてくるんと宙返り。見事に着地して怒りを顕わに唸り声を上げた。

「ルーク、ルーク。どうして? いたっ!」

 思わず駆け寄って手を伸ばし、思いっきり引っ掻かれて引っ込める。

「引っ搔くことないじゃない。

 それよりも、どうしてあなた……答えは一つしかないわね」

 ふ~~~~っ

 多少は落ち着いたようだがルークは変わらず不機嫌だ。

「変なところで茶目っ気があったのね。あの方」

 フュリスは寝かされていたマットレスの上に腰を下ろすと、そのうち勝手に直るであろう相棒の機嫌は放置することに決めた。

 周囲を覆う灰色の天蓋。うっすらと濃淡で魔法陣が描かれている天蓋を見上げて、フュリスはバタンと寝ころんで目を閉じる。

「素敵なプレゼントを、ありがとうございます」

 姿勢と心が落ち着くと、微かな眠気。

 しばらく微睡みを心地よく楽しんでいれば思った通り。

 たしたしたしっ

 にゃっ

 フュリスはゆっくりと目を開けて、相棒の頭に手を乗せた。

「おはよう、ルーク」

 ふやぁ

 相棒はまだちょっとご機嫌斜め。面白くなさそうに一声鳴いた。


「それにしても、変わった見た目になっちゃったわね」

 ぐるるるるるるる

 マットレスに座ったフュリスの膝の上に陣取って、ご機嫌よく喉を鳴らすルーク。

 喉をくすぐってやりながら、フュリスはルークの頭から尻尾までをそっと撫でた。

 撫でたところには一筋の銀毛。

 全身真っ黒だったはずのルークは、額にある宝石の周りから尻尾の先まで指2本くらいの太さで毛の色が銀に変わっていた。他にも尻尾の先や足の先も。

「銀之聖者様の髪の色のようだわ。

 これからはルーク、あなたのことを銀之黒猫様って呼ばないといけないかしら?」

 なあ~ん

 “様”がつくのが当然みたいに自慢げに、ルークは背筋を伸ばして鳴いた。

「ルークは気楽ね」

 撫でる手を止めてゆっくりと立ち上がる。

 その動きを察したルークはさっと飛び下りて足元でくるくる回る。

「そろそろ、ここから出ましょう。

 外が見えないし力を感じ取れないし、昼か夜かもわからないのは困るわ」

 フュリスは天蓋を見上げて、浮かび上がっている魔法陣を“読んだ”。バーソロミューの知識は確かに受け継がれていて、彼女には図形と文字の意味を読み解くことができた。

「念入りすぎるわ。内側から破らない限り絶対に壊れないわね」

 それから膝を折って足元のマットレスに触れた。

「それに、なんて“きちんと”しているのかしら。

 知識も気持ちも経験も、理路整然と整えられているわ。

 戦いの中で軽々と魔法陣を描いていたけれど納得。あの方は頭の作りから違っていたのね。

 慣れるまでは大変だわ」

 膨大な知識と経験は心の中にあって見事に整理整頓されていて、それでもあまりに多くの情報があって、フュリスはじっと目を閉じて目的のものを探す。

「きっと、こうね」

 白い輝きと黒い瘴気でマットレスの上に魔方陣を描いた。

 ルークが足元でみゃあみゃあうるさい。

「なんだか用意された道具を使っているみたいな変な気分。早く自分のものにしないと。

 ええと、行先はここね。丁寧に印があるわ」

 フュリスは魔法陣を起動して魔術を発現。物体の時間と空間と運動の諸条件を書き換える魔術が作用して、マットレスは像をぼやけさせてから消えた。

「上手くいったわ。できたはずよ。多分」

 バーソロミューが知識の中に残しておいた魔法陣のお手本をそのままに、記憶の中に印象を強められていた手掛かりに頼って使ったのだ。マットレスは間違いなく、南方大陸の秘境にある魔王の城に、マットレスが元々あった場所に移ったはず。

 それからフュリスは「練習用」と印象付けられたいくつかの魔術を練習し、十分慣れたと自信がついた。

「ルーク、出るわよ」

 灰色の天蓋に向けて魔法陣を描く。

 パリン、と軽い音を立てて天蓋は割れ、破片は宙にある間に光の粒となって散って消えた。

 心地よい風と日の光。朝の空気だ。

「あなた、フュリス?」

「え? アニタ、さん?」

 天蓋のすぐ向こうにいたのは、アニタ・ガルトルード。

 野営でもしていたのか荷物が置かれ、焚火には鍋がかけられ、軍の支援や旅に使う軍装法衣を着て鍋の中をかき回している。

「アニタさん、どうしてここに?」

 フュリスの問いかけにアニタはキッと険しく睨み返してきた。突然の出来事と怒りの視線に狼狽えるフュリス、立ち上がって歩み寄るアニタ。

 目の前で、アニタが右手を振りかぶる。

 バッチイイイィィィン!

 腰の入ったフルスイングの平手打ちが、フュリスの左の頬に炸裂した。


「今のは、この手紙の分よ。よくも騙してくれたわね」

 アニタが軍装法衣のポケットから見覚えのある手紙を取り出した。封筒ごと4つに破って捨てる。

「それで、これは」

 今度は左手を振り上げる。

「ネリーの分!」

 バチイイィィン!

「レベッカの分、キム、ロディ、それから村の人たちの分!」

 一言ごとの往復ビンタ。一発一発しっかりと体重が乗っている。

「それからこれが、セシルとベルの分! あの二人が泣き止むまで大変だったんだからね!」

 右左のワンツービンタ。フュリスの目の前に星が散った。

「えっと、あの、その」

 両手で頬を押さえると、痛みと共に涙が滲む。

「ご、ごめんなさい。

 みんなをだましてごめんなさい。

 急にいなくなってごめんなさいいぃ」

 頬の痛みにアニタの怒りと気持ちの激しさを感じ取り、フュリスは大声で泣いて謝った。

「わかればいいのよ。わかれば」

 地面に膝をついたフュリス。

 彼女を見下ろしたアニタが、両手を腰に胸を張った。


 気持ちが落ち着いた頃にアニタが「叩いたのは謝るわ」と一言言ってきて、それから2人は荒野に腰を下ろした。すぐに口を開いたのはフュリスだ。

「あの、アニタさんはどうしてこんなところに?」

「フュリスが南へ行くって言ったんでしょう?

 それでデリベリック村から馬を走らせたら、お父様の軍も王国軍もめちゃくちゃで、お父様は瀕死の重傷から目が覚めたばかりで。

 そこで、荒野で緑の竜巻が天を覆ったって聞かされたのよ。

 絶対あなたの仕業だと思ったから、飛び出してきたの」

「あの、1人で危険だって思わなかったんですか?」

「……そこまで考えなかったわ。

 そういえば後ろから騎士が追いかけてきていたわね。

 でも馬に法術をかけて走らせていたから引き離しちゃったわ。

 その後は馬も限界になったから放してしまって、歩いているうちにここに来たのよ。

 さっき壊れたあの壁。あれが見えたから、絶対にここに居るって思って待っていたの」

 赤みの残るほっぺたを両手で撫でながら、フュリスは目を丸くした。

 聖女の法術は癒しの技だ。

 怪我や疲労を癒すことができるから、馬にかければ常識外れの速さで進めるだろう。それに、鎧兜を身に着けた騎士と軍装法衣の彼女とでは重さが違う。

 だから引き離してしまったのは不思議ではない。

「アニタさんって、馬に乗れたんですね。だからデリベリック村にも馬で」

 ただ、女性でありながら乗馬ができると知ってフュリスは素直に感心し言葉にした。

「……小さい頃から体を動かすのは好きだったのよ。それにほら、うちはこういう土地柄でしょ」

 真っ直ぐな目から逃げるように、アニタは目を逸らした。

 幼少の頃から体を動かすのが好きだったのは本当だ。ただ、周りから「大変に活発なお嬢様」などと評されるほどにお転婆だったことは口に出さず、その気恥ずかしさを誤魔化すように話を変えた。

「それより、あなたのことよ。

 その髪の毛と目の色、どうしたの?

 ここで何があったの?

 さっきの壁は一体何?」

 矢継ぎ早に繰り出される質問。フュリスはその最初の問いかけで首を傾げた。

「髪の毛? ええと? あ……」

 自分の手で髪を摘まんで確かめてようやく、ルークと同じように髪の色が変わっていることに気が付いた。

「あの、色が変わっちゃったみたいです。どうなっているかはわかりませんが」

「こっちが銀でこっちが黒で他は前のままよ。

 目は右が黒で左が銀。

 アザも前より増えているし、どうしてこんな風になっちゃったのよ」

 アニタが言うにはフュリスの顔の横の髪が、右は銀で左は黒に。

 両目はその逆で右が黒で左が銀になってしまっているらしい。

 改めて髪を朝日で照らすと、バーソロミューの髪の色と同じに見える。

「これは聞いていません」

 思わず譲り主に文句を言った。

「何か言った?」

 アニタの声。

 まずは彼女への説明が先だと、フュリスは深呼吸。吐く息で契約違反への不満を吐き出し、気持ちを落ち着けた。

「ええと、長い話になりますから、お茶でも飲みながらゆっくりと」

 おずおずと前置きしつつ魔法陣を描き、赤紫の艶のあるテーブルと椅子を取り出す。

「え?」

 アニタがあんぐりと口を開けて目を丸くした。

 透明な天蓋が空を覆い、お茶会の用意を進めるフュリス。

「あの、このテーブルと椅子のセットは700年前の品ですごく貴重なもので、それからこのティーセットは……えっと、アニタさん、こちらへどうぞ」

 呆然と立ち尽くしているアニタ。

 自分の話が全く聞こえていないと気付いたフュリスは、そっと手を引いて席へと招いた。


 夜になって朝が来た。

「それでフュリス、あなたはこれから瘴気核を片付けて回るのね?

 何十年も」

「はい」

 あっさりすぎる答えにアニタは溜息を吐く。

「『はい』じゃないわ。こんなこと、他の人にはどう話したらいいのよ」

「ごめんなさい。私はいなかったって言ってもらうのが、一番話が通じやすいと思います」

「あなた、私に噓つきになれって言うのね」

「ごめんなさい」

 アニタはカップを摘まんで持ち上げると、茶色みのあるクリーム色の液体を一気に飲み干した。

「この眠気覚ましよりも苦々しい話だわ。

 でも、そうするしかないわね。それもわかったわ」

 自分の気持ちごと話を飲んで、アニタはカップを置いた。

「今から言うことを約束して。

 そうしたら、こっちは私が上手く収めてあげるわ」

 真摯な表情で告げられ、フュリスは一度目を閉じた。

 そして、ゆっくり目を開けて頷く。

「わかりました。お願いします」

「いい覚悟ね。安心して言いたいことが言えるわ」

 アニタはフュリスと同じように、穏やかに微笑んだ。


「まず、これは絶対に守りなさいよ。

 死んだり動けなくなったりしない。無理も無茶もしない。

 戦っているときの話、聞いているだけでも寒気がしたわ。

 絶対禁止!」

「はい」

 強く言い聞かされて、フュリスは固い声で返事をする。

 フュリス自身もあんな目に遭うのは2度とごめんだ。

 それに今の力では耐えられるかも怪しい。

「次に、そうね。近くに来た時でいいから、私のところには顔を出しなさい。

 私はこれから長生きするわ。あなたと違って結婚して子供も産むわ。

 だから家族を自慢させなさい」

「はい」

 思わず声がほころんだ。

「最後に、いい、一度しか言わないわよ。

 私はあなたの友達よ。これからもずっと、変わらない。

 この縁は絶対に切ることはできない。それを覚えておきなさい」

 胸の中からこみあげてくるもので、声が詰まった。

「ひゃいっ」

 涙と一緒になって変な声になったが、フュリスははっきりと答えを返した。

「じ、時間、あまりないんでしょう?」

「ひゃい。んぐ……核を片付けるには、すぐにでも始めないと。何しろたくさんあるから」

「だったら、早く行きなさい。私もすぐに帰るから」

 アニタがさっと背中を向けた。フュリスはその背中に語りかける。

「はい。

 アニタさん、本当に、ありがとうございます。

 どうか、これからも健やかに」

「そんなのは当然よ。あなたも、気を付けてね」

 背中を向けたままの声は震えていて、フュリスはその声に引きずられそうになる自分に気付いて振り返りアニタに背を向け、朝日を見上げた。

 気持ちが決まった。

 魔方陣を描いてテーブルと椅子を片付ける。

 天蓋を消すと、爽やかな風が頬を撫でた。

 もう一度振り返って、アニタを見る。

「それじゃあ、行きます」

 アニタが慌ててこちらを向いた。赤くはらした目を隠そうとしたが、その替わりに右手を振った。

「行ってらっしゃい。またね」

「はい。行ってきます」

 フュリスは、軍馬の如く猛々しく、荒野に向けて駆け出した。

 ルークが額に緑の光を灯し、風を纏って後を追う。

「そうだ! 1年に1度は手紙をよこしなさい! やりようはあるでしょ?

 どこにいるかとか、何をしたとか。

 それから、あの眠気覚まし、どこで手に入るのか教えて!」

 遠ざかるアニタの、名残惜しそうな声。

「すぐに送ります!」

 走りながら振り返り手を振るフュリス。

 その姿が荒野の小山の影に消えた。



 ここから先は一人と一匹

 自らを人の世から遠ざけて

 一つ所に留まることもせず

 いつまで続くかもわからない

 世間に知られることもない

 世界を癒す勤めを背負い

 ぼっち暮らしが始まった。


 柊乃巫女止銀之聖者〜追放聖女のぼっち暮らし〜

 終わり

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