第十五話 望まぬ戦い

「あの、アニタさん。

 謝るって、どういうことですか?」

 開拓村であるデリベリック村の集会所にいるはずもない人物に思いがけない話をされて、フュリスは混乱しながら問いかけた。

「言葉通りよ。

 私はあなたに悪いことをしたから、謝りたいの。

 フュリスがシンディたち……いいえ、私たちにどんな目に遭わされてきたか、よくわかったからよ」

「待ってください。

 私、アニタさんから謝っていただくことなんて何も無いです。アニタさんはいつも私を気遣ってくれていました。

 ちょっと言葉が強くて怖い時はありましたけど」

「あなたが退学になったのは、私たちから仕事の邪魔とか、持ち物を隠すとか、偶然を装って転ばせるとか、そういう嫌がらせをされたからでしょう?

 それは悪いことなんだから、謝らせなさいよ」

 二人のやりとりに付き合わされ、ロディとネリーはカウンターを挟んで呆れたままだ。

「ガルトルード伯爵令嬢様。

 ひとまずその辺に座って話したらど……いかがですかね?」

 相手が自分を村の責任者に据えた貴族の娘とあって、ロディが渋面の目と口を引き攣らせながらカウンターの席を指し示した。

 自分たちとは反対側の端を示しているあたりも、彼の本音だ。そんな皮肉が通じる相手ではないとわかっていたが、しかしそうせずにはいられなかった。

「ありがとう。そうさせてもらうわ。

 それにしても、素直なくせにここぞと言うところは頑固なんだから。

 フュリスは相変わらずね」

「えっと、まだよくわかっていないんですけど、わかりました」

 アニタがカウンターへ向かうとフュリスも扉をくぐって奥の席へと向かい、椅子に腰かけてから再び同じようなやり取り。

 そんな2人の様子にロディがカウンターに肘付きして体重を預け、聞こえないよう愚痴を吐く。

「あんな高飛車な謝り方は、見たことねぇ」

「あら、そう?

 人生経験が足りないんじゃない?」

「お前と一緒にするな」

「ほらほら、自分の事になったらすぐに、そうやって言い返してくるじゃない」

 聖女として多くの人々に接してきたネリー。その経験に一介の騎士であったロディが敵うはずもない。

 ネリーは不貞腐れたロディを笑いながら、お盆に乗せたカップに香草茶を注ぐ。

「あんたたちも落ち着きなさいな。

 うるさくて酒が不味くなるわ」

 そしてカウンターの端で言い合いを続ける後輩たちのところに、左手にはお盆、右手にはジョッキを持って参戦した。



 エーデルリート神学校の学長室から南に設けられた大きなガラス板を用いた窓。

 その窓から王都の夜景を見下ろし、銀之聖者ことバーソロミュー・グレイズヴェルドは1人思案に耽っていた。

 窓の脇、重厚な本棚と壁に挟まれた隙間の暗がりに、微かな気配。

「バーソロミュー様」

 彼だけに聞こえる程度に絞り込まれた呼びかけに、バーソロミューは夜空を見上げた。

「3日前、南天の宝剣座はその切っ先を瞬かせながら雲に隠れた。

 これはいかなる兆しか」

 独白とも取れる言葉に、影に潜む者が報告する。

「ウォルトン将軍率いる聖剣騎士団が、壊滅いたしました。

 将軍とオルタヴィオ様は四天王が一人、万影のバーザックに本陣を襲われ立ち向かい、撤退のときを稼いだものの帰らぬ人となりました」

 銀之聖者は法力によって空の有様に世の動きと未来を見る。

 バーソロミューは己の予見もあって、部下の報告を事実と確信した。

「光雷の剣も逝ったか。

 残るはノルマイダス将軍のみとなったな」

「ノルマイダス将軍は王都守護の任を解かれ、明日にも前線へと赴く手筈です。

 その間の守りはガルトルード伯爵が指揮を執っており、援軍の到着を待って前線を押し返す予定となっております」

「北の貴族の動きは?」

「ヴィルターハウゼン公爵が中心となり軍を編成しております。

 しかし、バーソロミュー様が王都にいる間は危機とは呼べまいと、編成を遅らせているようです」

「ご令嬢の処分がお気に召さないようだな。

 となれば、私も赴くが必然か」

「ご推察のとおり、王より命令が下されました。

 今夜のうちに命令書が届くはずです」

「これが導きであるならば、従うのみ。だが……」

 バーソロミューは会話をやめて夜景のはるか彼方に起きた出来事を思い、それから、学び舎での気がかりに話題を変えた。

「フュリスをこの手に取り戻さねばならぬ」

 主の独白に、陰に潜む者が応える。

「フュリスは、ガルトルード伯爵領は東方の開拓地、デリベリック村にて居を構えたと報告がありました。

 アニタ・ガルトルードも向かったとのことです」

「南東の空に流星が2つ。なるほどな。

 あの下にフュリスがいるのであれば、我が元に戻るよう手を尽くさねばなるまい。

 待て、あの乱れた雲間に消えた流星は、何だ?」

「恐れながら関りがあると思われることを申し上げます。

 ディアナ・ヴィルターハウゼンが供を引き連れ南方へ向かったらしいとの報告を受けております」

 部下が心当たりを囁くと、バーソロミューは深く頷いた。

「ディアナか。

 あれの心の奥にあるは深き闇。

 素直に領地に封ぜられるはずもないと思っていたが、やはりと言うべきか。

 フュリスとアニタが一つ処にいるのであれば、あの娘が向かう先も同じ。

 あの娘を失うことは絶対に許されん。

 いかような手段を用いても構わん。フュリスを取り戻せ」

「承知いたしました。

 御身の勅命、使えるものは全て使うよう厳命し、わが身に代えても遂行いたします」

 その囁きを最後に、影から気配が消えた。

 直後、学長室の扉がノックされる。

「銀之聖者様、夜分に申し訳ございません。

 王より緊急の知らせが届いております」

 呼びかける声は息が乱れており、普段の作法も省かれている。

「入りたまえ」

 バーソロミューは窓から離れると、冷たく命じた。



「だから、私が悪かったって言っているじゃない。

 嫌がらせで仕事に失敗したあなたを叱りつけていたのよ。

 それって、嫌がらせをしていたのと同じでしょう?

 まったくもう。

 フュリスあなた、ずいぶんと口答えするようになったわね」

「謝られる筋合いもないのに謝られたら、気持ち悪いです。

 アニタさんに嫌がらせをされたことはなかったんですから、諦めてください」

「うんうん。フュリスの方がわかるわね。

 本人がされてないって言っているなら、されてないことになるんじゃない?。

 それでも謝るって言うなら、あなたが何をしたのかはっきりさせるのが筋かしら」

 アニタとフュリスが口論する隣で、ネリーが口を挟む。

 それは仲裁のように見えてその実、アニタやフュリスの反応を見ながら適度に双方を煽り立て、似たような話が繰り返されるようにちょっかいをかけているだけだった。

 そんな3人をカウンターの反対で眺めながら、ロディが自分で注いだ酒をちびりと飲む。

「ネリーの奴、面白がっているな。

 あれは夜までかかるぞ」

 疲れた独り言は彼以外の耳には届かない程度の小声だったが、唐突にフュリスが立ち上がり会話は止まった。

「フュリス?」

「血相変えてどうしたんだい?」

 アニタとネリーは目を見開いて壁の向こうを見つめるフュリスに驚いて問いかけるが、返事はない。

「どうしてあの方が? ううん、それより……あれは?」

 驚きに震える声を絞り出して、フュリスはふらりと足を運ぶ。

 見開かれた両目は壁の向こうへと向けられていて、彼女は村の外に整然と居並ぶ者たちを感じ取って“視て”いた。

「ちょっとフュリス、何をしているの?

 話の途中よ」

 アニタがフュリスを追って、肩に手を置いて引き留める。

 バン!

「大変だ。筆頭聖女様が来られた。

 それも、聖騎士を引き連れてだ」

 乱暴に扉を開けて現れたのは、キムだ。

「村の入り口で、フュリスを出せとおっしゃっている」

 そして息を乱したまま、緊張した面持ちで告げた。



「ごきげんよう、フュリスさん」

 わずかに顔を傾げ優美な微笑みを浮かべたディアナが、馬車を降りてフュリスに声をかけた。

 村へと降りる坂の上で、細い街道をはみ出して整然と居並ぶ騎士たち。

 前列には白い鎧をまとった聖騎士の姿があって、彼らの前に立つディアナは金糸の髪と白い法衣に天から射す陽光を浴びて輝き、神々しいとさえ感じるほどだ。

「お久しぶりです、ディアナ様」

 村から出てきたフュリスは、前からは筆頭聖女と騎士たちの威圧に、後ろからは村人たちの不信と好奇に押し挟まれて、それでも気丈に顔を上げてディアナに応えた。

 そこに割って入ったのはアニタだ。

 彼女は毅然とした振る舞いで前後の圧を撥ね退けると、ディアナに指先を突きつける。

「ディアナ・ヴィルターハウゼン公爵令嬢殿、あなたは銀之聖者様直々の命で筆頭聖女の任を解かれ、自領に謹慎となったはずよ。

 それに、エミリーがどうしてここに居るのかしら?

 フリスを陥れた実行犯として処罰を受けていたはずでしょう」

 堂々とした指摘に、村人たちはどよめいた。

「筆頭聖女様ではない、だと?」

「いや、俺は伝令の騎士からそう聞いたぞ」

「任を解かれているのに、そう名乗ったということか?」

「いやしかし、騎士たちを見てみろよ」

 村人たちがディアナと背後に隊列を組んだ騎士たちを見上げた。

 ディアナにも騎士たちにも一切動じた様子が無い。仮にディアナが任を解かれていたというなら、騎士たちの中には動揺する者がいてもいいのではないか?

「それは、誤解から生じたものです。

 アニタさんも、間違った話を信じ込んでしまわれたのですわ」

 村人たちの迷いを、清らかな声音が釘付けにした。

「誤解ですって?

 銀之聖者様が直々に調べ、審判法術まで使って確かめたことに誤解があるはずないわ」

「銀之聖者様といえども、人間です。

 この王国のみならず人間が住む北方大陸の守りを双肩に担われる重責たるや、余人には想像もつかぬことでございましょう。

 世界を担う勤めに比べるならば、神学校の一生徒の処遇は些細なもの。

 アニタさんには不満でしょうけれども、その重荷ゆえに判断を誤ることもございましょう」

 英雄として崇拝される男への不敬とも言える主張に、アニタだけでなく村人たちも息を飲む。

「事実バーソロミュー様はアニタさんの知らせのために、前線から神学校にお戻りになられましたわ。これはあのお方の口から直に聞いたことで、間違いございません。

 そして、その隙をついた魔族の軍勢によってウォルトン将軍と聖者オルタヴィオ様が討ち取られ、今はガルトルード伯爵が指揮を執るも猛攻に晒されて窮地に陥っておりますこと、アニタさんはご存じかしら」

 アニタの表情から血の気が引いた。

 父、ガルトルード伯爵が前線の指揮を執っていることは本人からの手紙や道中での話から知っていたが、それがどのような事情によるものか、ましてや自らの行いがきっかけとなったことなど、知る由もなかったからだ。

 それ故にアニタの心から、抗弁の言葉は失われた。

「このように、銀之聖者様であっても過ちはございます。

 わたくしたちが成すべきは、あのお方の過ちを責めるのではなく、王国を守るために過ちを正し誤解を解くべく務めることなのです」

「だったら何のためにあなたはここに来たの?

 誤解を解くために何が必要なのよ」

 潤ませた目で訴えられた清冽とした声音が領主の危機を知って動揺する村人たちの心に染みわたり、アニタもまた、ディアナの求めるところを問いかけてしまう。

「誤解を解くには、真実が必要なのです」

 涙をにじませた悲しげな目がフュリスに向けられ、フュリスはアニタの、そして騎士たちと村人たちの注目の的となったことを感じ取った。

(ああ、やっぱり、また……)

 フュリスの記憶の奥から幾度も繰り返された出来事が湧き出してきて、目の前が暗くなっていく。

「ハンプニー村のフュリス、同じ学び舎で学んだあなたが、魔女である証が」

 騎士たちが一糸乱れぬ動作で、剣を抜いた。

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