第十四話 逆恨み

 街道を行く馬車は4頭引きに加えて4輪に板バネのサスペンションまで備えた豪華なもので、周りを固める護衛の騎士たちの数からも扉の紋章からも、乗っているのは高貴な身分の方だと旅人たちが道の外へとよけて見送っている。

 黒塗りのそこかしこを金で装飾された車体にはガラスをはめられた窓。薄いカーテンがかけられているが、それを透かして中に居る3人の女性らしいシルエットが見えた。

「ディアナ様、こんなことになってしまって、私はなんとお詫びをするべきかわかりません」

 向かい合わせの馬車の中で真っ青な顔をしたエミリーが、数えきれないほど繰り返した言葉と共に、伏せた顔をさらに膝に沈めた。

 繰り返されるやり取りに同行している女性、キンバリー卿から同行を命じられた女性の官吏は辟易とした表情を取り繕うことをやめ、規則通りに着こなした制服の襟を正しながら頭を下げたままの侍女を見下している。

「エミリー、気になさらないで。

 貴女はわたくしのためを思ってなさったのだから、貴女の行いを“正さずに”いた、わたくしの責任なのですよ」

 微かに沈んだ穏やかな声で、エミリーを慰める言葉。

 その、わずかなイントネーションの違いが意味するところに気付くのはエミリーただ1人。

「申し訳ございません。

 全て私の過ちでございます。

 ディアナ様が負うべき責が、どこにございましょうか」

 再びひれ伏すエミリー。

「いいえ、あなたはわたくしの侍女なのですから、あなたの行いの責任はわたくしが負うのが当然ですわ。

 ナタリアさんも、そう思われますわね?」

 唐突に話を振られた官吏は公爵令嬢に対して失礼のない表情を取り繕う。

「こほん。

 国に対しては、ヴィルターハウゼン公爵令嬢殿の仰る通りではあります」

 突然だったが、内心の動揺を表情には出さずに当たり障りのない受け答えをした。

(こんな素晴らしい主に恵まれているのにこの侍女は何をやっているのかって思うわ。

 上司は公爵令嬢様への処分にあれこれ言っていたけれど、この方を見習って自分を改めるべきね)

 既にエミリーが謝罪を連呼することに辟易としていたナタリアは心の中で、この面倒な仕事を押し付けてきた上司に不満をぶつける。

 早く仕事を片付けて陰鬱な態度を続ける侍女と別れ、王都へと帰りたい気分となっていたのだ。

「もうしばらくすれば王領の関所です。

 私は関所までの見届けが済み次第控えの馬車で引き返しますが、ヴィルターハウゼン公爵令嬢殿におかれましてはお父上の御領地までの長旅、誠にお疲れ様です。

 護衛の騎士は随行しますが、道中何事もなきよう神のご加護があらんことを」

 だから、関所まではまだ時間があったにも関わらず、教えるはずではなかった先の予定を口に出してしまった。

「ありがとうございます。

 ナタリア様にも神の御加護を」

 陰がありながらも優美な微笑みに、神学校から自領へと謹慎となったにも関わらず極々自然に毅然とした振る舞いで、ディアナが聖印を手に略式で祈る。

 サスペンションがあると言っても馬車というのは揺れるものだ。

 カラン

「あら」

「馬車は揺れますからね。お2人ともそのままで」

 揺れた拍子にディアナの手から落ちた聖印は馬車の床に落ち、ナタリアはディアナに自分が拾うと示すと身を屈める。

「お手を煩わせしますわ」

 ディアナが素早く感謝を伝えた。そして

「けれど“これで”王都から、離れてしまうのですね。

 お父様になんと申し上げたらよろしいのか、申し訳なさに身を“焼かれる”ようです。

 今のままでは、とても“顔向け”できませんわ」

 沈んだ声が続く。

 普段とは異なる微かな声音の違いにエミリーはハッと顔を上げ、主人の視線を受け止めた。

「それでも、あの麦穂のように首を垂れお父様の前に赴くべきですわね」

 それは目の前にいたナタリアが頭を下げているわずかな間のやり取りで、官吏が顔を上げた時には憂いに沈んだ令嬢が窓の外へと憂いを帯びた目を向けて父親への心苦しさを漏らしていた。

 ナタリアはつられて、窓の外を見た。

 街道筋のごくありふれた村の、麦の穂が実って重さを増しつつ風に揺れる風景だ。

「ディアナ様、申し訳ございません!

 私の身をもって、この身でお詫びいたします!」

 突然の叫びに驚いたナタリアが振り向いたとき、ようやく大人と呼べるほどの年頃の侍女は身を起こして、手に美しく形作られたガラス瓶を持っていた。

 瓶の中には黄色味を帯びた透き通った液体。

「エミリー?」

 首を傾げたディアナの、驚きを含んだ声。

 ぱしゃっじゅううううぅぅぅ

「ああああああああああぁぁぁぁっ」

 肉が焼ける音と匂いに、強い刺激臭。

 ガラス瓶に入っていたのは、エミリーがジェイクを通じて入手していた「護身用」と称した劇薬だ。それを自らの顔面に浴びせたエミリーは、激痛に叫びながら顔を両手で覆った。

 覆った両手も劇薬に焼かれて爛れ、エミリーはその痛みに手を顔から離し、しかし再び顔を覆って叫びを上げる。

「ひいっ! 馬車を、馬車を止めなさい!」

 官吏に悲鳴じみた声で命じられた御者が馬車を止めた。

「なんてことを! そこの騎士! 医者を!」

「い、医者? 何事だ?」

「あああぁあっ」

 どん、どさっ

「危なっ……きゃあぁっ」

 ナタリアが馬車の扉を開き助けを求めたところを、後ろから痛みにもがくエミリーが突き飛ばした。2人で投げ出されるように地面に倒れ、ナタリアは痛みを感じて自分の左手を見て、悲鳴を上げる。

 エミリーに突き飛ばされた際に触れた手の甲が火箸でも当てたかのように焼けただれ、しかもそれが見る間のうちに広がっていくではないか。

「誰か、誰か、お医者様を!」

「あぁぁ……ぁぁ……であ……なざ……ま、おぶる……じくだ……ざ」

「こ、これは酷い」

 護衛をしていた騎士たちが、街道の隅に馬車を避けていた旅人たちが、両手を上げ訴えるエミリーの顔を見て後ずさり互いに顔を見合わせる。

 こんな事態は想定外だ。対処できる医者は随行していない。

 だが、

「エミリー、なんと愚かな真似をするのですか。

 あなたを先にするわけにはゆきません、ナタリア様を癒すまでお待ちなさい」

 悲しみに満ちた清らかな声の音が、その場で何もできずにいた者たちの心を打つ。

 馬車から降りてきたディアナの姿は法力の輝きに包まれ神々しく、事件に困惑していた者たちの目には女神の如く写り、騎士たちもそれ以外の者たちも等しく立ち尽くし、あるいはひれ伏した。

 衆目を集めながらディアナはナタリアの傍に膝をつき、焼け爛れた手に己の手を重ねる。

「いけません! あなたの手も!」

 官吏の危惧は現実とはならなかった。

 たおやかな両手に包まれた左手に心地よい暖かさが生じ指に間から白い光が溢れると、歯を食いしばって堪えていたほどの激痛がふた呼吸の間に溶けて消えた。

「あ、あああ、ありがとうございます! 聖女様!」

 自身の手を確かめ感極まり涙を流し、ナタリアはディアナの手に縋り付く。

「わたくしの侍女がこのような騒ぎを起こしてしまったこと、誠に申し訳ございません。

 それでも、彼女はわたくしが幼い頃から付き従ってくれた大切な人なのです。

 ナタリア様、どうかわたくしに、エミリーを癒すことをお許しくださいませ」

「もちろんです。聖女様の行いを止める者が、いるはずがありません!」

「ナタリア様に、感謝いたします」

「なんともったいないお言葉……」

 ディアナは柔らかく微笑み、そっとナタリアの手を解いて立ち上がるとエミリーの傍らで膝をついた。

「エミリー」

 優しく、誰もが赤子を愛おしむ母親を思い出すような声。

「……」

 エミリーの顔は劇薬に冒され既に両目は白く濁り唇も爛れて癒着し震えるだけとなってしまっている。

 肌もその下の組織までも焼けて白いものが見える頬に、ディアナはそっと手を添えた。

 再び白い光が溢れ出し、

「おおおっ!」

 人々が見守る中、少女の顔を光が覆う。

 そして光が消えると、傷一つない元通りの肌が、まだあどけなさの残る顔が現れた。

「ディアナ様」

 滂沱の涙を流す両の目も、主人の名を呼ぶ可憐な唇も、先程までの無惨な有様が嘘のようだ。

 跪く侍女にディアナは両膝をついたまま、元通りに癒された両手を自身の両手で包み込む。

「エミリー、愚かなことをしないでください。

 あなたはわたくしの侍女。

 あなたの替わりになる者はこの世に1人もいないのです。

 あの様な行いは、してはなりません。

 あなたが傷つくことは“耐え難い”のです。

 だから、あのような行いは決して……」

 呼吸半分ほどの間。その意味は、エミリーだけが理解できた。

「許しませんよ」

「ディアナ様、申し訳ございません! 申し訳ございません!」

 無様に惨めに泣き叫び、己の非を詫び続けるエミリー。

 やり取りの本当の意味を理解できたのは多くの目に晒されていて尚ただ2人だけで、彼女たちを囲む人々は、その主従の絆を、その尊さを、感極まった様子で讃えていた。


 馬車は、エミリーの体調を考慮して急遽王都へと引き返すこととなった。

「ナタリアさん、よろしいのですか?

 皆様にとってはキンバリー卿直々の命に反することとなってしまい、わたくしは申し訳なさに胸が張り裂けそうです」

「いいえディアナ様、急の事態なのですからご安心ください。

 エミリーさんはまだお体の具合がすぐれないご様子ですから当然です。

 上には私が説明いたします。

 決してあなた様にとって悪いことにはいたしません!」

 完全にディアナに心酔しきったナタリアが熱弁を振るい、ディアナが安堵の微笑みを見せると、頬を紅潮させながら誇らしげに胸を張った。

 ディアナは官吏の職務を放棄寸前の相手から、隣で顔を青ざめさせた侍女に目線を落とす。

 怯え切って小さく肩を振るわせるエミリーの肩に、ディアナはそっと手を置いた。

 会話が途切れ沈黙が意識されるまでの僅かな間に差し挟まれた手。

 傍目には優しくそっと置かれただけの手に、びくん! とエミリーの身体が震える。

「そんなに怯えられては、悲しいわ、エミリー」

 ディアナは自分の思い通りに、容易く怯え、泣き喚き、嘆いていた侍女の姿に“寂しげな”微笑みを浮かべた。

 エミリーだけではない。

 ナタリアも騎士たちも旅人たちも思うがままに彼女を筆頭聖女だと認めるようになった。

 ならなかったのはただ一度、ただ1人、あの問答をした男だけ。

 寂しげに見えた微笑みはその実、自覚さえ及ばない心の深みで、己の巧妙な支配は誰であっても通じるという自信を取り戻した証であった。

「大丈夫よ、エミリー。

 領地に戻るのは一時の事。

 “すぐに”王都に帰ることができますわ」

 もちろん、その言葉の本当の意味は、エミリーにしか通じない。

「でもエミリー、あなた方がしたことはき アニタさんもフュリスさんも“きっと”許してくださっていませんから、誠心誠意を尽くして“お詫び”をしないといけませんわね」

「はい。もちろんです。

 ディアナ様のおっしゃる通りです」

 震えながらも主人の意向を向けられたことで、自身が主人の役に立てることに縋り付いて、目に輝きを取り戻すエミリー。

「ご安心なさい。

 そのときにはわたくしも一緒に参ります。

 “筆頭”聖女であるわたくしがお願いすれば、きっとあの2人も、わかっていただけます」

 侍女を言い諭すように穏やかな微笑みの、その細めた両目の奥にある剣呑な光。

 同じ馬車の中で2人を見守るナタリアはもちろん、エミリーも、そしてディアナ自身さえも、それが意味するものを理解していなかった。



 フュリスがデリベリック村に来て、1ヶ月が経とうとしていた。

 麦穂が頭を下げきってシサー豆の鞘が割れ始め、村は収穫の忙しさに追われている。

「フュリス、一緒に集会所に来てくれ」

 そんな忙しさの最中に、ロディが小屋までフュリスを迎えに来た。

 手を止めたフュリスが、作りかけの膏薬とロディの顔を交互に見る。

「あぁ、薬はいい。至急の用だ」

「はい。わかりました」

 仏頂面のまま要件を伝え扉を閉めたロディの様子にただ事ならぬものを感じ取り、フュリスは瓶の水で手を洗うと出かける用意を整える。

 3分もかけずに身支度を終え、小屋の扉を開けた

「お待たせしました」

 壁に背を預けていたロディに声をかけると、ロディは「おう」と短く返してから右足を引きずり歩き出す。

「一体何があったんですか?」

 歩きながら話しかけてもロディは前を向いたまま集会場へ向かう。

「おまえさんに客だよ」

 ため息混じりの声には苛立ちが感じられた。

「着けばわかる」

 そして手短に言い切られてしまったため、フュリスは問い直すこともできずに彼の後ろをついていく。

 道すがらに辺りを見れば村人たちが訝しげな目を向けており、フュリスは故郷での出来事を思い出さずにはいられなかった。

(もしかして、また誰かが……ここも、追われてしまうの?)

 一歩一歩積み上がっていく不安と恐怖に耐えながら、集会所に辿り着く。

「入るぞ」

 ロディが無造作に扉を開けた。

「ご機嫌よう、フュリス。久しぶりね」

 中から聞こえたのは、快活さを感じさせる明朗な声。

 顔を上げると、利発さと強い意志に輝く鳶色の瞳と目が合った。

 頭の後ろで結われた癖のない青銀の髪は艶やかに揺れ、黒を基調とした聖女の軍装を纏い伸びやかに胸を張った姿勢は指の先に至るまで凛々しく堂々としている。

「あ、アニタさん? どうしてここに?」

 かつて神学校の寮でフュリスと同室だった、アニタ・ガルトルードの姿がそこにはあった。

 そしてアニタは、神学校での彼女そのままに告げる。

「フュリス、私はあなたに、謝りに来たのよ」

「え?」

 呆気にとられるフュリス。集会所のカウンターの奥には呆れ顔のネリーの姿。

「それが謝る態度かよ」

 ロディのぼやきは隣にいたフュリスの驚きにかき消えて、誰にも聞こえなかった。

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