第十三話 暴露と処罰

 フュリスが退学処分を受けてから10日ほどが過ぎて、エーデルリート神学校は役立たずと言われた聖女の存在をすっかり忘れてしまったように平常だった。

 だが、そうではない者たちもいた。

「これは、間違いのないことか?」

 夜中、明かりを消した王都の夜景が見える執務室の窓辺で呟いたのは、絹のような長い銀髪を持つ男。銀之聖者と呼ばれる英雄は最前線の戦場で法術を振るい崩れかけた戦線を立て直した後、予定を急に変えて神学校へと帰ってきていた。

 その身に纏う白を基調とした法衣は華美ではないが、至るところに刺繍された細やかな紋様と生地の艶やかさ、針の跡ひとつ無い見事な仕立てと見る者が見れば目眩を起こしそうな代物で、月明かりの中で立つ聖者の姿は神々しく輝いて見える。

「バーソロミュー様、全て事実でございます。

 証拠を集め、周囲の者の会話からも確認しました」

 窓際に置かれた本棚の陰から、囁くような男の声。

 バーソロミュー以外には聞き取れないよう絞った報告が意味するところに、銀之聖者と呼ばれる稀代の英雄は目を細めた。

 手にした書類にもう一度視線を落とし、数秒の沈黙の後に顔を上げる。

 王都の夜景。

 その足元には彼が学長を勤めるエーデルリート神学校の中庭がある。

 かつて、あの庭でうずくまり何かを拾い集めていた少女を、彼自身が才能を見出して入学させたフュリスの姿を思い出す。

「アニタ・ガルトルードを内密に呼び出せ。

 私自身が見定める」

「明日の夜には」

「任せる」

 腹心の部下の返事に短く答え、バーソロミューは窓際から暖炉の前へと歩き、書類を熾火の上に投げ込んだ。

「まさかこのようなことになろうとは。

 フュリスを見失うのはまずい。この学舎に取り戻さねば」

 あっという間に燃え上がった紙切れは、部屋を満たす白い照明の中に暖かな光を揺らめかせ、灰になった。


「エミリー、シンディさんたちはまだ、お身体の具合がすぐれないのかしら」

 エーデルリート神学校の生徒寮最上階、成績優秀な数名のみ使用を許される特別な個室のひとつで、筆頭聖女であるディアナは脇に控える女生徒に問いかけた。

「実は、先ほど聞いたのですが。

 皆さん体調が優れず、感染する病気かもしれないとの理由で郷里に向かわれたそうです」

 顔を伏せたままの答えにディアナは窓から降り注ぐ朝日の中、幼い頃からの侍女に向き直った。

「そうなの。でしたら、ご実家でもご苦労なことですわね。

 それに、他の皆さんにも広まっていたら大変なこと。

 わたくしも皆さんのご無事を祈念しなければなりませんわ」

「ディアナ様のおっしゃる通りと存じます。

 その御慈悲はきっと皆様にも届くことでしょう」

 恭しく顔を伏せたまま、侍女はディアナが伸ばした右腕から寝衣を抜き取り、手際よく畳みながら背中側を回り左腕から袖を抜き取った。

 一糸纏わぬ主人の全身が朝日に照らされ、眩く輝いている。その輝きに感極まり目を細めたエミリーは、用意しておいたディアナの衣服を手に取り掲げた。

「御身におかれましては聖女の頂にありて我らが神の祝福が降りたる聖域。

 浄めの御言を縫い止めし筆頭聖女の法衣は貴方にこそ相応しい」

 表情を崩さぬまま法衣を掲げ、主人の手に袖を通す。

 その瞳だけが、彼女のうちにある恍惚を映し出し輝いている。

 侍女の手によって着飾られてゆく間、ディアナは身の丈を超える大きな鏡に映る己が身を確かめる、そして時折垣間見えるエミリーの瞳に、満足げに微笑んだ。

「今日の予定は、どうなっていたかしら?」

 水晶の鈴を思わせる声。

 主人の問いかけにエミリーは、衣服を整える手を全く乱さず答える。

「朝の礼拝の後、貧民街での奉仕活動がございます。

 午前中に神学の講義、午後にはヴァレル教授より法術の指導補助の依頼を受けております。

 夕刻はアンドレア王太子殿下との面会が設けられております」

「そう。殿下はどのような御用なのでしょう。

 楽しみですわ」

「先月は赤い薔薇の花束でございましたね」

 穏やかに話しながら、ディアナはエミリーの手に導かれて椅子に座り、後ろに回った侍女が髪を梳く感触に身を委ねた。

 そこに、呼び鈴の音。

「寮長のスージーです。ディアナ様に至急の通知をお持ちしました」

 声は小さく聞こえたが、ノッカーを使わずに重厚な扉を2枚通してはっきりと聞き取れるほどの声で呼ぶのだから、事態の異常さを感じさせるに十分だった。

「ディアナ様」

「寮長殿を待たせてはいけませんわ」

 主人の許可を得たエミリーは部屋の入り口へと向かい、さほどの間を置かずに戻ってきた。

「学長閣下より通知とのことです」

 侍女は椅子の前に跪き通知の書簡を差し出したので、ディアナは髪が乱れぬよう身を起こし、手に取って封を開いた。

「朝の勤めは免除する。至急学長室に出頭せよ。

 ……出頭?」

 通知に目を通すと、疑念が口に漏れる。

「ディアナ様に対して出頭などと、なんと無礼な。

 御身にそのようなことがあるはずはございません」

 エミリーが眉間に皺を寄せたが、ディアナが封書の封印を検めると押し黙った。

「こちらは間違いなくバーソロミュー様の印ですわね。それに、筆跡も」

「それでは、間違いなく聖者様の命なのでしょうか?」

「それはわかりかねます。

 ですが、銀之聖者様自らお呼びなのですから、お伺いしなければなりませんわね。

 エミリー、よろしいかしら?」

「かしこまりました」

 エミリーは主人の声に頭を下げ、その言葉を真実とするべきために必要な行動について思いを巡らせつつ、法衣の帯を手に取った。


「ディアナ・ヴィルターハウゼン。

 私はそなたに問い質さねばならないことがある」

 扉の前で付き人のエミリーの入室を拒否され一人で学長室に通されたディアナに突き付けられたのは、エーデルリート神学校の長にして稀代の英雄、銀之聖者からの一声だ。

 儀礼を一切配した問いに相応しく室内には緊迫した空気が張り詰めていて、ディアナは居並ぶ面々の表情から、ただ事ならない事態だと察した。

 その面々も普通ではない。

 正面の学長席には当然のことだが、銀之聖者たるバーソロミュー・グレイズヴェルト。

 左右に並べられた椅子の右側には学校長補佐を務めるキンバリー卿とアーノルド卿がいるのだが、アーノルド卿の顔は真っ青を通り越して土気色だ。彼らより末席には見慣れた教師らや寮長の姿もある。

 そして左側の椅子にはアニタ・ガルトルード。

 強い意志を感じさせる鳶色の目が真っ直ぐにディアナを射抜く。

(どうしてアニタさんがここに?

 いいえ、彼女がいるということは、呼び出しの理由はおそらく……)

 だが、筆頭聖女たるディアナの心は揺らがなかった。

 冷静に状況を見極めると、優雅に微笑んで一礼する。

「問い質すとはただならぬお言葉と存じますが、銀之聖者バーソロミュー様がおっしゃるからには謂れのないことではないものと心得ます。

 行き違いを正せますよう真摯にお受けいたします」

 ディアナは学長席に座る銀髪の英雄に恭しく頭を下げる。

 顔を上げるとアニタからさらに鋭くなって殺気とも言えるほどの険しさを向けられるが、意にも介さず学舎の主へ視線を伏せたままに保った。

「よろしい。

 それではディアナ、君はハンプニー村のフュリスを覚えているか?」

 覚えているも何もフュリスが退学となってからまだ日は浅い。

 矛盾混じりの質問の意図は読みにくかったが、しかし彼女に関わることなのは確かだ。

「フュリスさんのことはよく覚えております。

 いつも地道ではあっても大変なお仕事をがんばっていらして、わたくしもその働き方には感心していました」

 落ち着いた穏やかな、しかしわずかな陰りを思わせる口調で、ディアナは答える。

「寂しくも思いますけれど、故郷に帰られて、健やかにお過ごしのことと存じますわ」

 優美な微笑みに教師たちが感銘を受け、張り詰めた部屋の雰囲気が変わった。

 部屋の雰囲気が和やかなものに変わり、彼女は満足した。

「ディアナよ」

 その空気を打ち砕く怜悧な声。

「それがそなたの思う全てか?」

 圧倒的な存在感を放つ銀髪の英雄は背後の窓から差し込む陽光すら霞むほどに眩く感じられ、部屋の中にいた者たちはディアナの発言に緩んだ緊張を否応なく取り戻させられた。

(なんというお力でございましょう)

 ディアナは内心で嘆息する。

 筆頭聖女に相応しい力を持つからこそわかる、圧倒的な法力。神より賜る奇跡の力は、術という形にせずとも人々を平伏させるに足りる。

(この力が、わたくしが仕えるお方の御業)

 彼女は心のままに、さらに首を垂れた。

「バーソロミュー様、貴方様が直々に問い質すことに疑念を差し挟む余地はございません。

 フュリスさんは大変に勤勉ではございました。

 聖女である彼女が規則に反してこの学舎から去ったことは、とても残念に思います」

 ディアナの言葉に教師たちが小さく頷く。

 彼らはフュリスがこの伝統あるエーデルリート神学校に相応しいとは言えない成績であったことも、彼女が自ら退学を受け入れ去ったたことも、納得し直した。

「私も残念に思うよ、ディアナ。

 フュリスが退学となったのはそこにいるアーノルド卿の決定によるものであって本人の意思ではない。

 またその決定についても、本人の責にはよらぬ出来事に基づくものであったと調べがついた」

 英雄の言葉には彼女の発言に対する指摘が含まれ、さらに彼女が知らないことまであって、ディアナの髪は揺れた。

「聞けば、フュリスの勉学や仕事に対して些細な邪魔を繰り返し、悪評を吹聴し、さらに目立たず面倒な仕事を割り当てるよう手配した者がいたようだ」

 銀の瞳が寮長を睨み、彼女は哀れなほどに肩を縮めた。

「また、それを見逃し鵜呑みにしてフュリスに対して不当な評価をつけていた愚か者もいる」

 教師たちが背中を丸めてさらに頭を下げる。

 完全に萎縮してしまった教師たちの姿勢が意味するところは明白。

 だからディアナは、憐れみをもって彼らを横目に見た。

 ディアナは一呼吸置いて続く言葉が無いことを見極めてから、口を開く。

「銀之聖者様がおっしゃるのですから、確かなことと存じます。

 その方々が自らの過ちを認め悔い改めるよう、神の御導きがあることを祈念せずにはいられません」

 嫌がらせをされていた被害者を無能と見做し、噂を鵜呑みにして希少な聖女を退学させたとなれば、それに関わった者たちは処罰を免れない。

 決定を下したアーノルド卿をはじめ何人かは神学校を追われるだろう。

「聖女に相応しい慈悲ある振る舞い、感心する」

 最強の聖者バーソロミューは、声音を和らげた。

 しかしディアナは、伏せた顔を強張らせた。

(“聖女”?)

 自身の呼称から“筆頭”が外されたのは、いかなる理由があってのことか。

「ディアナよ、私が調べたのは教師だけではない。

 フュリスに有形無形の不当行為を繰り返していた生徒たちも、把握しているのだ。

 そこにいるアニタ・ガルトルードよりフュリスが退学となったと手紙で知らされ、戦場からこちらに戻る前から部下を手配して関与した者たちを調べさせ、実行者たちは私が直々に聴取を行なった」

「同じ聖女として学んだ方々にまでその様な行いがあったこと、悲しく存じます」

 沈んだ声で、ディアナは答える。

 誰もが彼女の心痛に同情を寄せるような言葉遣いではあったが、バーソロミューの口調には全く変化がない。

「加えて、フュリスに関する噂を撒いた者たちも同様に確保して取り調べをした。

 連れてこい」

 銀之聖者が中空に命じると扉が開き、2人の男が両手を後ろに縛られ聖騎士に押されて入ってきた。

「そなたもこの者たちには覚えがあろう」

 振り向いたディアナの前にいたのは、幼い頃から用聞きの商人として重用し公爵領から王都に呼び寄せていたジェイクと、その腹心の部下だ。

 部屋のある時に向き直り、返答する。

「はい。

 わたくしもよくお世話になっておりました、ジャスター商会のジェイク様です」

 その声は驚きに震えており、信用を裏切る行いに対する衝撃を表していた。

「彼らは今後神学校のみならず、王都に立ち入ることも禁じられる。

 聖女を失う原因となったことを鑑みれば当然のことと考えるが、ディアナよ、君はどう思うかね?」

「一切の異存もございません」

 神学校の長でありこの国最強の聖者でもある男の判断に異を唱えられる者など、この場にはいない。

「よかろう。

 2人を聖女の名誉を毀損した罪人として追放せよ」

「待ってくれ!

 俺たちは自分からやったんじゃない。正直に話したら罪人の証しは勘弁してくれるって言っただろう!

 ディアナ様、あんたからも何か言ってく……」

「黙れ! 抵抗するな!」

 ジェイクたちが喚きながら連行され、扉が閉じられる。

 閉じられるまで2人はディアナに助けを求めていたが、ディアナは歯を噛み締めたまま沈黙を守った。

「では、次だ」

 怜悧な声。

「私はフュリスに関する噂をよく調べ、その出所となった女生徒らも取り調べた。

 出所は主に4人に絞られた。

 シンディ・デュアメル、イライザ・エゼルレッド、グレンダ・エンデ、そしてシンディの従者であるモナだ。

 4人にはすでに、退学処分を下した」

「シンディさんたちがそのような行いをなさっていたなんて、わたくしは心より悲しく思います。

 フュリスさんはどれほどお辛かったことでしょう」

 ディアナの頬を涙が伝い床に落ちる。

 教師たちは息を飲みアニタの舌打ちが聞こえたが、銀之聖者は一切動じなかった。

「彼女らが噂を流布する拠り所となったのは、ある1人の女生徒と判明した。

 エミリー・フェルステルンだ。

 先ほどより別室で審判法術による聴取を行い先の商人たちの行為も含め、これまでの調べと相違ないことを確認したと報告があった」

 審判法術は罪人を裁くために使われる強力な法術だ。

 本人の魂と思考を法力によって縛り付け、虚偽を口にすれば焼けた針で身体中を貫かれたに匹敵する激痛を与える。

 回答を誤魔化すのは自由だが、激痛に対する反応を隠せる者は皆無。

 故に質問を絞り込めば一切の嘘は通じない。

 ディアナは蒼白になった顔を上げ、学長の椅子に座るバーソロミューを見た。

「エミリーさんの処分は如何様になさるのですか?」

 毅然とした立ち振る舞いは、見かたによっては堂々とした、正に聖女の規範という印象を与えるだろう。

 しかし、返ってくる答えは冷たい。

「もちろん、彼らと同じく王都からの追放だ。

 貴族の子女であっても酌量の余地はない」

 “彼らと同じく”というのは、一介の商人であるジェイクたちと同じ扱いと言うことだろう。

 これはエミリーへの処分だけを見れば王都からの追放だけだが、実際の影響はそれ以上であることを意味する。

「これからが本題だ」

 ディアナが口を開こうとしたが、その隙はなかった。

「ディアナ・ヴィルターハウゼン。

 君はエミリー・フェルステルンをはじめとする者たちの行いを承知していたかね?」

 恐るべき問いがきた。

 肯定否定、どちらに答えてもエミリーの主人である彼女になんらかの処分が及ぶことは防げない。

 しかしディアナは、筆頭聖女として相応しい態度で答える。

「彼女がそのような行いをしていたことは、一切存じませんでした」

「それは、真実か?」

「わたくしのどこに、疑われるところがございましょうか?」

「私は疑いの有無ではなく、真実かを問うたのだ。

 答えよ、ディアナ・ヴィルターハウゼン」

 足元の床がが深く暗い深淵に崩れ落ちる。

 今の彼女は、まさにそのような心情だった。

「わたくしの言葉は筆頭聖女の言葉、神に仕える我が身に、一切の嘘はございません」

「私は嘘がないことを問うてはいない。

 もう一度問う。

 真実か?」

 沈黙

 重苦しい時間が過ぎる。

 彼女が震える拳を握り締める姿などを見た者は、これまで1人もいなかった。部屋の中の教師たちは信じがたいものを見たかのような表情を向けている。

「……存じませんでした。真実にございます……」

 声を震わせながらの答えは、心の底まで届く楔となった。

「よろしい。

 ディアナ・ヴィルターハウゼンよ、この件に汝が関与しなかったと明らかになった。

 だが、エミリー・フェルステルンと主人としての責、ジェイクらを王都に招く際の推薦に対する責がある。

 よって、汝の筆頭聖女の任を解き、自宅での一年の謹慎を命じる。

 キンバリー卿、貴様が処分を執り行え」

 己に下された処分を聞きながらも、ディアナの心は凍りついていて遠い何処の出来事のように思われた。

 しかし、

「わたくしの至らなさに対する寛大な裁定に、感謝申し上げます」

 ただ一つ、筆頭聖女として染みついた振る舞いだけが糸に吊された人形のように彼女を動かし、優美な仕草で完璧な一礼。

「よろしい。

 寮室に戻り速やかに用意を整え、退去せよ」

 怜悧な声にも筆頭聖女に相応しい微笑みで応じ、ディアナは学長室から立ち去った。

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