開拓村の異変

第十一話 ささやかな居場所

 デリベリック村に着いて10日ほどたった。

「フュリス、これもお願い」

「は、はい……むぐ」

 村の真ん中にある池から流れる小川で洗濯物を踏み洗いしていたフュリスは、ネリーに汚れた服を投げられ両手を伸ばして受け止めた。汗と土の匂いがかぶさってきて、息を止めたままカゴに放り込む。

 受け止めきれなかったものを拾い集めるとカゴに入れ、黙って桶の中身を踏みつける仕事の続き。

 神学校でも良くやった仕事だ。丈夫さが売りの服が相手で気を遣わなくて済む分、楽かもしれない。

「フュリス、あんたは面倒なことでも文句を言わないから助かるよ。でも疲れたらすぐに言いな。レベッカにやらせるからさ」

「姐さんに言わなくたっていいからね。後で何倍も大きく恩を着せてくるんだから、私に言うのよ」

 通りがかりに仕事を投げつけてきたネリーの声に、一緒に仕事をしているレベッカが口を挟んでくる。

 レベッカはネリーの昔からの知り合いで、故郷を出て王都で暮らしていたのだが夫を流行病で亡くし、そこにネリーから開拓村の話を聞いて息子たちと一緒にここに来た女性だ。

「姐さん暇なら、桶の中で踊ってくれない?」

 レベッカはちょっかいを出してきたネリーに言い返しながら、そばかすのある頬から洗濯の水を拭い、頭巾でまとめてあった緩い癖のある赤毛をバサリと振る。

 そして軽やかな動きで、丸太を組んだだけの簡単な椅子に腰かけた。

「アタシは踊り子じゃないから、専門家に任せるよ」

「はいはい、助かるわ」

 ネリーが反撃を返してくるが、レベッカは手をひらひらさせてあしらいつつ

「フュリスは一区切りついたから一息入れなよ。

 それは石鹸入れて漬けといたらネリーがやってくれるってさ」

 と、手近で腰掛けにちょうど良さそうな岩を指差す。

「え、えーと……」

 困ったのはフュリスだ。

 村では中心的な役割で何かとフュリスを気にかけてくれるネリーと、ここに来てからしばらく寝泊まりさせてくれて今も仕事をさせてくれているレベッカ。

 恩人2人の板挟みに加えて夕方からの自分の時間のためにできる仕事は済ませておきたいという考えときつい仕事で休みたいという気持ちもあり、フュリスはネリーとレベッカと洗濯物を順番に見てから固まった。

 したっ

 ふみゃあ

 レベッカに指された岩に飛び乗って欠伸と背伸びをしたのは、朝早くからどこかに行っていたルークだ。

「あ……」

 座席を取られて立ち尽くす。

「えっと、もう少しだから、やってしまいます」

 重労働再開。

 それ自体はどうということではないのだが、休もうかと思っているところをその場の流れに決められたフュリスは小さな溜息をついて、追加された洗濯物の籠を桶の縁にかけてからひっくり返した。

「あーあ、残念だったねぇ」

「続けると決めたなら、がんばりな」

 2人の笑い声を聴かされながら、村で作っている質の悪い石鹸を入れて開拓で汚れた服をギュッギュと踏みつける。

(早く決めてしまえば、どちらを取ってもこんな気持ちにはならなかったかもしれないわ。

 もう、ルークってば狙っていたみたいに飛び出してきて。

 どこにいたんだろ?)

 自分への後悔を相棒への不満にすり替えて、岩の上でくつろぐ黒猫もどきにちらっと視線を向ける。

(ご飯少なめにしてあげようかな)

 悠々とくつろいでいるルークと、同じように和やかに話すネリーとレベッカ。

 彼らの姿に湧いて出た思いつきを、フュリスは洗濯物を力一杯踏みつけ打ち消した。


「やっと終わりました」

「ご苦労さん。それ持って上がっていいよ」

 洗濯物を畳んで集会所の外にある共同の棚に置いたフュリスは、くつろいでいたレベッカに労りの一言と割り当て分の夕ご飯をもらってからお辞儀をして、その場から離れた。

 向かうのはレベッカの家から少し離れた隣にできたばかりの、小さな小屋だ。

 この村に来て、最初はレベッカの家で寝泊まりしていたのだが幼い子どもがいて何かと騒がしく、フュリスは2人の兄妹に振り回されて夜もあまり休めなかった。

 そこでフュリスの家が必要という結論になり、開拓の合間を使って建ててもらったのが、この小屋だ。

 村の中央にある池と北側の森との真ん中あたりに建ててもらった小屋は柱はしっかりしているが造りは粗末で、中を確かめたときには隙間風も感じたくらい。

(だけど、ここが私の家なんだ)

 慎ましいを通り越した小屋の屋根を、屋根の向こうに沈む夕陽を明るい気持ちで見上げて、空が暗くなってからフュリスは扉を開けて小屋に入り、しっかりとした閂をかけた。

 真っ暗な部屋の中だが家具と呼べるのはかまどと水瓶くらい。荷物はほとんど無く、分けてもらった布団と毛布、それからフュリスが担いできた背負い袋が暗がりの中で濃い影のように見える。

 壁の隙間と屋根にある小さな窓から差し込む月明かりを頼りに布団を広げ、寝転んで背筋を伸ばす。

(あ、火をつけないと)

「ルーク、かまどに火をつけないと、寒くなるかも」

 相棒に声をかけながら起き上がってかまどまで歩き、火付の小枝と薪を組んだ。

 にゃー

 めんどくさそうな鳴き声ひとつ。

 布団の上からのそのそと出てきたルーク。

 彼の額に灯った赤い光が短剣の形となり、それが触れた小枝はすぐに火がついてぱちぱちと音を立て始めた。

「ありがとう。

 でも熾になるまで眠れないね。

 お湯を沸かそうかな」

 鍋に汲み置き用の水瓶から柄杓で水を注いでかまどの上に置く。

 炎が立っている間は見張っていないとならないのだから、その間に温めてお湯にすれば、夜半の冷えも多少はマシだろう。

「日記も今のうちに」

 フュリスは背負い鞄から木のカップと革を木に貼った表紙と革紐で紙を綴ったノートを出して床に置く。

 どちらも王都なら比較的容易に手に入る程度のものだが、神学校に入った頃から使い続けている手に馴染んだ品だ。

 鞄からペンとインク瓶も取り出して並べると、フュリスはノートを開いてペンを握った。

 頭上に緑の光が球を描くように舞い、やがて球の真ん中から月のように穏やかで冷たい光が発せられて部屋を照らした。

「前より弱くなったわ」

 自身の力で生み出された光球をペン先で突く。手応えも反応も無くただ宙で光り続ける灯りには旅の間も助けられたが、村に来てからは前より弱々しい光になっていた。

「癒しの力も弱くなっていたから、気をつけないと。

 それにしても、どういうことなのかしら」

 光に問いかけても答えはない。

 フュリスは欠伸をしてから今日こなした仕事を思い出し、手の甲で目を擦ってから日記を書き出した。


 半月ほど経った。

 フュリスは彼女が薬を作れると知ったロディたちから頼まれ、定期的に薬を納めていた。

 今朝はその納品日。

 傷薬を入れたカゴを手に集会所へと歩く。

「おはようございますネリーさん。

 これ、頼まれていたお薬です」

「もうできたのかい? 仕事が早いね」

 集会場の扉を開けてカウンターで爪を磨いていたネリーに声をかけると、彼女は普段よりは開いた目で返事をしてきた。だが、

「持ってきてくれたんなら、入りなよ」

 すぐに眠気を思い出したように目を細めてから、フュリスをカウンターへと手招きする。

「お邪魔します」

 フュリスは手籠を置いて一言会釈すると、持ち直してから中に入る。

「あんたの薬は好評だよ。

 日持ちが効かないから細々と作るのは大変だろう?」

「いえ、お役に立てれば嬉しいです」

「『捨てるのは損だから怪我してこないと』なんてほざいた奴がいるくらいには役立ってるよ」

「え? あの、それは困ります」

「冗談だからね。

 あんた本当に生真面目だねぇ。

 真に受けるなんて思わなかったよ」

「すみません」

 反射的に謝ってから、カゴをカウンターに置く。

「そいつには『そのときには魔女の薬をつけてやるよ』ってきちんと言っといたからさ。

 わざわざ痛い思いしてまで呪われる真似はしないよ」

 魔女の薬をつけるというのは、子どものいたずらを叱るときによく言われることだ。

「魔女の薬」という言葉には、人を呪うためのものだから、よくわからないけど酷い目に遭うという印象が根深い。

 だから子どもたち怖がらせるには絶好のネタなのだが、フュリスにとってはネタ以上に恐ろしく、カウンターに置いたカゴを強く握りしめたまま凍りつく。

「ん? どうかしたかい?」

 首を傾げたネリーに我に返ったフュリスは、慌てて手を離してから両手を後ろにして、カウンターの向こうで寛ぐ聖女に向き直った。

「い、いえ、なんでもありません。

 洗濯の仕事があるので、これで」

 胃の辺りを締め付けられるような息苦しさを堪え、フュリスはお辞儀をしてから外へ出る。

 ネリーは扉が閉まったのを確かめると、カウンターの中で座ったままカゴの中身を手にして何かを唱えた。

 彼女の指先に白い光が瞬いて消える。

「魔女の薬な訳、ないわよねぇ」

 独り言を呟きながらも、眠たげな目は遠ざかる足音を見ていた。


「よう、今から森かい?」

 フュリスが村を出ようとしたところで、出入り口の近くで腰かけていたロディが声をかけてきた。すぐに右足を引きずって近付いてくる。

「はい、薬草を採りに行ってきます」

「どのくらいかかる?」

「そうですね、多分、昼過ぎくらいまで」

 今日集めたい薬草と採れる場所を思い浮かべて答えると、ロディはにっこりと笑顔になった。

「わかった。遅くならないようにな」

「はい、ありがとうございます」

 予定の時間より遅いというのはトラブルを意味する。

 それを含めての気遣いにお辞儀して、フュリスは森へと向かう。

 足元を走るルークは時々ブーツに頭を擦り付けたりしてきて邪魔をするが、言っても聞かないので放っておくことにしている。

「薬の知識が役に立って良かったわ。

 おかげでみんなとも打ち解けてきているもの」

 相棒に構わず呟くと、彼はにゃーんと一声鳴いてから頭をブーツに擦り付けた。今度はかなりしつこい。

「ルーク、邪魔をするならご飯抜き」

 とうとう放置できなくなってフュリスが睨むと、ルークは軽やかにブーツの陰に回り込む。

「ちょっとルーク、言うこと聞かないつもり?」

 反抗的な相棒を捕まえようと手を伸ばす。

 だが自分自身を目隠しに使われて頭を右へ左へくるくるさせて、とうとうその場で回り始めたフュリスは最後にはバランスを崩してすってんころりん。

 尻餅をついたフュリスの肩に、ルークがぴょん、と飛び乗った。

 ごろごろと喉を鳴らし頬に顔を押し付けてくる。

「ご機嫌取ろうとしてもダメ。ご飯がほしいなら仕事をしてね」

 相棒の企みにはもう慣れた。だから彼にぴしゃりと言いつけ、フュリスはゆっくりと立ち上がる。

 にゃー

 めんどくさそうな欠伸

 それからルークは飛び降りて、どこへともなく走って行った。

「今夜のご飯は豪華にできそうね」

 クスッと微笑みながらフュリス。

 ルークは凄腕の狩人だ。自分より大きな身体を持つ獲物を仕留めてきたのは一度や二度ではなく、ロディから「狩り尽くされると困る」と止められたほどだ。

 何を獲ってくるかはわからないが、賢い相棒なら無茶な獲物を選ぶことはないだろう。

「じゃあ、私も仕事を始めましょう」

 ルークを追うのをやめて、フュリスは木々の中にある空き地で目を閉じ心を落ち着けた。

 彼女の周りに緑の光が舞う。

 それらは薄まりながらも広がって、やがて彼女の心の中には森の様子が事細かに映し出された。

(ヤロウとマレインは教えてもらった所が近いわ。

 あら、こんなところにも生えているのね? 次はあちらの方が株を傷め過ぎずに済んでいいかも。

 でも毒蛇がいる。噛まれないように気をつけなきゃ)

 目当ての薬草だけでなく様々な生き物や鉱物の存在を感じ取り、今日の予定に見合った場所を決めて歩き出す。

(あ、ルーク。

 今夜はうさぎのスープができるわね)

 早々に相棒が獲物を捕らえてトドメを刺した。

 フュリスはそれを感じ取りながら、夕食を楽しみに森を進んだ。


「よう、帰ってきたか。

 ずいぶん頑張ったみたいだな」

 半ば呆れたロディの声に、フュリスは肩を縮こまらせて顔を伏せた。

「すみません、獲り過ぎないよう言ったんですけど」

 小柄な彼女にとってはウサギ2羽と穴熊1頭はかなりの荷物で、紐で括って肩に担いできていた。

 それを見咎められ、彼女は獲物を背中に隠す。

「そのくらいなら問題は無いだろうさ。ただ、フュリスだけで片付けられるか?

 なんなら、村で買い取ってやるぞ。

 キムから買い取るときの七掛けならな」

 ロディの申し出にフュリスはさらに肩を丸める。

 キムというのは本名をキンバリーと言って、この村で時々狩りをしている30半ばの男の人だ。

 開拓仕事の合間でも十分な獲物を狩ってくる腕前で、森にも詳しく、フュリスは薬作りを始めるにあたって彼に薬草の場所などを案内してもらっていた。

「あ、あの、それでお願いします」

 か細い了解になったのは、ルークがキムの狩場を荒らしてしまっているのを黙認してもらっていることと、その度が過ぎたことの折衝をロディにやってもらうことへの申し訳なさがあるからだ。

「今頃ならレベッカのところにいるはずだな」

 ニヤニヤしながら顎で行き先を示すと、ロディは村の中へと向かう。

 迷惑をかけたフュリスが顔を出さずにいることはできない。

 にゃーん

 ご機嫌な相棒を恨めしく見下ろすと、フュリスはトボトボとロディの後を追った。

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