第八話 追放聖女のぼっち旅
「3日くらいは凌げるかな」
父が使っていた小屋を早々に荷物をまとめて引き払ったフュリスは、街道で立ち止まって手元の食べ物と路銀を確かめ空を仰いだ。
「急いで出てきたから用意できなかったし、食べ物が買えるところまでは急がないと。
そういえば村長さんに頼まれていた薬、わかってもらえたら良いけれど。
伯父さんの様子だと難しいかも」
元から荷物も少なく村の暮らしも間もなかったことは、旅立つにあたっては幸運だった。
小屋には村長に頼まれていた薬などと一緒に手紙を残してきた。彼の手元まで届くかはわからないが、村に住まわせてくれた恩を少しでも返したいと感じたのだ。
「村長さん、湿布薬が無いと腰が痛いって言ってたのに。でも、もうどうしようもないし」
村の中では調達できずにいたので、手渡した時には喜んでもらえた。
彼の顔を思い出して心が痛んだが、村に帰ったらどんな目に遭わされるかわからない。
今まで会った人々との縁は切れてしまった。まさしく独りぼっちだ。
「王都も村も居られなくなっちゃった。
だったら、反対に行こうかな。
確か、南には魔族の国に接していないところに開拓地があるって習ったわ」
フュリスはとりあえずの目標を定めると、右手を見て意識を集中した。
濃緑色の光が柊の葉を型取って手の周りを舞う。
「この力があれば、魔物に襲われても何とかなるし……悪いことだけでもない……わ……」
諦め半分に呟いたフュリスは荷物を担ぎ直し、とぼとぼと歩き始めた。
「村長、あいつの小屋にこんなものがあったんで、持ってきました」
ドニーをはじめとした男たちがフュリスの小屋から戻り、村長に包みを手渡した。
「いつもの薬か……む?」
手早く包みを開き、中から手紙を取り出す。
「村長さん、それは?」
すかさずジェイクが話しかけたので、村長は手紙を後回しにして包みを見せる。
「あの子が作ってくれていた湿布薬です。
よく効く薬でね。重宝してはいました」
「ほほう?
失礼ですが、見せていただけますかね。仕事柄、薬には興味がありまして」
「ああ、森で取れる薬草から作ったと言っていたよ」
村長から湿布薬を受け取ったジェイクは瓶の蓋を開け、煮詰められた薬草の匂いを嗅いでから顔を顰めた。
「おい、見てくれ。こいつは魔女の膏薬じゃないか?」
「うん? ああ、この色と臭いは間違いないな」
2人の言葉に村長の顔が青ざめ、村人たちは驚きの声をあげてから静まり返る。
「村長、こいつは魔女の膏薬ですよ。奴らは毒で悪さをするんだ。
試しに、これをその辺の池にでも放り込んでみればわかりますよ。すぐに魚が暴れて浮いてくる」
「南方の村で実物を見たことがありますから、間違いないです。
長い時間をかけて害を与える毒ですよ。
湿布に混ぜていたに違いない。使い続けていたら、どうなっていたか」
さらに畳み掛けられて村長はよろめき、隣にいた村人が支えた。
「馬鹿な、それでは、私が受け取っていた薬は確かに効いたぞ……」
「毒で感覚が鈍れば、肩や腰の痛みも軽くなったと錯覚するでしょうね。
騙されていたんですよ。お気の毒に」
「……念の為に、魚を捕まえて薬を試してみてくれ」
衝撃を受けジェイクに説き伏せられながらも、村長はフュリスへの疑いを晴らそうとした。
それはフュリスのためではなく、自身の安全を確かめたいという気持ちからだったが。
しかし、準備された桶に薬が投げ込まれると中にいた魚たちは狂ったように暴れ出し桶の外に飛び出して、やがて動かなくなった。
「ほらね、言った通りだったでしょう」
重苦しい空気の中ジェイクが、さも残念そうな態度をとりながらも項垂れる村長を慰めて、村人を信じていた老人に同情したように顔を伏せた。
だから、彼が袖に忍ばせた毒薬のことも、彼が満足げに笑みを浮かべたことも、誰も気付かなかった。
数日の後。
フュリスは人目を避け、街道が見える程度の森の中を南へと歩いていた。
「こんなことになるなんて。
村で、私が出ていけば騒ぎが収まるなんて考えたのが間違いだったのかしら。
諦めないで、話し合った方が……でも、あの人たちは、とても嫌な感じがしたから」
王都で聖女を騙っていた魔女のことが、その魔女が小さな村を手中に収めようと村長を毒殺しようとしていたことが、その魔女の頬には柊の形のアザがあることが、徒歩の彼女よりも足が速い馬車や騎馬の旅人たちの噂として追いかけてきたからだ。
街道の村で立ち聞きした噂に慌てて隠れたので誤魔化せたが、憎々しげに語る人々に魔女と思われたならどんな目に遭わされるか。
「こんな風に隠れながらの旅じゃ何が起こるかわからないし、食べ物も何とかしないと」
旅の歩みは予定よりずっと遅く、野宿は身体に堪えて疲労が溜まっていた。
食べ物は途中で買ったが、それも残り少ない。
喉の渇きは道中に川や池があって凌いではいた。
しかし、飲めるようにするために火を起こして沸かす手間は大きく、それが更に歩みを遅らせていた。
「今日は、この辺にしないとダメね。焚き木と休める場所を探さなきゃ」
まだ日は高かったが、フュリスは辺りを見回して横になれそうな場所を探し始めた。
すると、かさり、と少し離れた茂みで何かが動いた。
(魔物?)
咄嗟に身構えて茂みを見つめるフュリス。
じっと動きを止めて気配を窺うと、今度はがさりと大きく茂みが揺れる。
姿を現したのは、いつか村に現れたものとよく似た、狼のような姿の魔物だ。
爛々と目を赤く輝かせ黒い霞のような瘴気を纏った獣は、フュリスをごちそうでも見つけたかのように口から涎を滴らせて近付いてくる。
(ミアズマ・ウルフ、獲物を群れで狩るから、他にもいるはず)
神学校で学んだ魔物の知識からちらりと周りを見渡してしまった。
背筋に冷たいものを感じ、すぐに目の前の獣に視線を戻す。
獣はフュリスが目を離した僅かな間に二歩近付いていた。
目を離せば襲いかかられるという恐怖がフュリスを縛り付け、彼女は両肩を縮ませる。
(あと2匹いる? 間違いなく、いるわ。
それから、もう1匹?
遠いし小さいし動く様子が無いし、まずはこいつらを何とかしないと)
なぜかフュリスには、周りに潜む魔物の姿を見えていた。いや、直感的に魔物の気配を把握できていて、それが大雑把な影のように「見えて」感じられた。
(もう囲まれている)
残る2頭はフュリスの斜め後方を押さえ、すでに彼女は包囲されていて逃げ場はない。
(相手は魔獣、この力を使って倒すしかないわ)
だから、フュリスは戦う決意を固め、背筋を伸ばして顔の前で両手を広げた。
じりじりと近付いてきていたミアズマ・ウルフが足を止める。
フュリスの周りに深緑の光が舞い踊り、それらは刺々しい木の葉の形を成して増え渦を巻いて広がる。
魔獣は異変に吠えて飛びかかってきたが、遅かった。
光の群れが鋭く斬りつけ、瞬く間に魔獣の毛皮も体も引き裂いていく。悲痛な叫びを上げた口も裂かれ牙を削り折られ、ずたずたな肉の塊と化した狼は地面に落ちた。
それは背後から襲いかかってきた2匹も同じで、獣たちの身体から漂い出た瘴気も光に切り散らされて消えた。
「前より、強くなってる」
自分の力の威力に驚いて呟いたフュリスは、風に吹かれるように周りを舞う光の葉に恐れの目を向ける。
「この力はいったい、何なの?」
神学校でもこんな力を学んだことが無い。
自身に宿った未知の力への恐怖に身を竦ませていると、光の群れは舞い散って薄れて消えた。
森の中に静けさが戻る。
にゃーん
か細い声がフュリスの耳に届いた。
にゃーん
また聞こえた。いや、茂みの奥に隠れている小さな生き物の苦しみを察知して、それが聞こえたかのように感じられた。
(猫の声? すごく弱っているみたいだけど)
10メートルほど離れた茂みの向こうから聞こえてくる鳴き声は、彼女がゆっくりと近付くと止まる。
(猫だとしても、なぜこんなところに?)
すでに人里を離れて随分経つ。街道の近くではあるが猫が人がいないところで生きていけるように思えず、フュリスはそっと茂みをかき分けた。
かき分けながら奥に2歩進んで、一番茂った枝葉を押し除けると、黒くて小さな足先と尻尾。
尻尾はゆるりと茂みに隠れたけど、足の方はピクピクとしているだけ。
(子猫ほどは小さくないわね。でも、どうして逃げないの?)
思案しているうちに、足も引きずられるように茂みへと隠れてしまう。
「にゃーん」
思わず鳴き真似をしてしまった。
(似てない……)
我ながらと眉を寄せて口元を手で覆う。茂みが一度がさりと揺れて、また静かになった。
「に……にゃーん、にゃー、にゃーん」
返事は無く、フュリスはなぜ自分はこんなことをしているのかと困り果ててしまった。野宿の害にならないなら、野生の猫だとしても放っておけばいいものを。
(何か、胸騒ぎがする。仕方ないわね)
それでもフュリスは鳴き声の主が気になってしまい、思い切って茂みをかき分けた。
「う……酷い……」
小さな生き物が見えて、その姿の痛ましさに声を漏らす。
茂みの中には黒く艶やかな毛並みに長く細い尾を持つ猫が身を横たえていて、獣に襲われたのだろう、深く裂かれた腹からはみ出した内臓を引き摺りながら、フュリスから遠ざかろうとしていた。
「瘴気を帯びている。さっきのミアズマ・ウルフに襲われたのね。
でもこの猫、本当に猫?」
紅と翠のヘテロクロミアは大きく見開かれていて、しかし、弱々しく揺らいでいる。
そして、額には虹の7色に煌めく透き通った宝石。
明らかに猫ではない。
なーん
先ほどより弱々しい声で、目の前の生き物が何かを訴えてきた。
(まるで、静かにしておいてって、諦めているみたい)
その姿にかつての、神学校で虐められ聖女の道を諦めるしかないと心を折った自分の姿が重なった。諦めて村を追われることを受け入れたために魔女の汚名を着せられたことを思い出した。
「まだ、諦めないで。
私があなたを、助けてあげるから」
だからフュリスは、王都で馬車の事故に遭った少年を救った時のように己の力を心の中で見定めて、目の前の小さな生き物を救うのだと決意した。
深緑の光が刺々しい柊の葉の形を成して群れとなり、舞い踊った。
にゃーんごろごろごろ
「くすぐったいから。やめてよ」
フュリスは頬を擦り寄せてくる猫から逃げようと顔を逸らした。しかし、相手は彼女の肩に乗っているのだから、逃げようもない。
にゃーんにゃーん
しかも、相手はフュリスが嫌がっているのを面白がっている節もある。
しつこく擦り寄られ続けてバランスを崩し、両肩の重みもあってフュリスはぺちゃりと潰れ土の上にうつ伏せになった。
猫はその直前にひらりと跳んで、倒れた目の前に優雅に着地。恨めしそうに睨み上げる彼女の頬をペロンと舐めた。
ざらざらした感触が頬を撫ぜる。
「そんなに元気になったんだから、もう何処にでも行けばいいのに」
文句をつけてもどこ吹く風。猫は起きて座り込んだフュリスの膝の上から背中を通って肩に上り、フュリスの頬を額でぐいぐいと押してくる。
「どうしてこんなことに」
フュリスは頭を抱えた。
傷を治してあげたからだろうか。
猫のような生き物に懐かれたフュリスはすでに良いおもちゃ扱いで、お湯を沸かして食事を用意するのも一苦労。
それでもなんとか火を起こしてお湯を沸かして飲んで一息ついたのだが、猫もどきはゆっくりさせてははくれなかった。
しきりに服を咥えて引っ張ったり袖で爪研ぎをしようとしたり頭をぐいぐいと押し付けてきたりと悪戯を仕掛けてくるので、落ち着く暇もない。
「もう、離れてよ。ご飯が用意できないでしょ」
とうとう堪忍袋の緒が切れた。フュリスは猫を捕まえて引き剥がそうと両手を振る。
だが相手はさっと逃げ出して焚火の近くにしゃがみ込む。
にゃーん
「あなたもご飯、食べるって言うの?」
にゃーんにゃーん
その鳴き声は、まるでフュリスを急かしているみたいだった。
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