第七話 追及

 エーデルリート神学校の女生徒が暮らす寮は4階建てで、その最上階の部屋は特に身分の高い出自であったり、聖女として際立って有能だったりする生徒だけに与えられている。

 他の学生に比べて広く華美ではないものの立派な家具が揃えられた部屋のうち、特に優れた者のために用意された3つの部屋のひとつに、ヴィルターハウゼン公爵家の長女にして筆頭聖女でもあるディアナの姿があった。

「その話は、どれほど広まっているのでしょうか?」

「貧民街と下町にはかなり。他は旅人が多く、その場にいた者の半数以上が王都の外へ出てしまったようです」

 エミリーは背筋を伸ばして顔を伏せ、優美な仕草で日記を記すディアナの問いかけに回答した。

「そうですか。

 けれど、フュリスさんがその様な奇跡を起こしたとは、容易には信じられませんわね」

 自身の報告に筆頭聖女が疑念を抱いたのは当然だとエミリーは思った。信頼できる知人から噂を聞き確認までしてもらってなお、彼女自身もその話を信じ切れてはいないのだ。

「おっしゃる通りと思います。

 彼女の実績を鑑みれば癒しの法術を使えるはずがありません。

 瀕死の重傷者を癒すとなればなおさらです」

「“たまたま通りかかった高位の聖女”が貧民の子供を救ったのだと考える方が、自然ですわね」

「はい。私もその様に思います」

 ディアナの考えはエミリーの中で、真実として受け入れられていた。

 彼女は敬愛する主人のために誰に何を言い聞かせるべきなのか、どうすれば真実が真実であると、神学校に、この王都に、王国に、流布できるのかを考えた。

 そして真実を人々に伝えるべきだと確信していた。

「明日にでも、奇跡を起こした聖女の行いを確かめてまいります」

「そうね。それほどの力のある方なのですから、名誉は守られるべきですわ。

 それから、フュリスさんも身に余る噂は重荷となるでしょうね」

「ディアナ様の御慈悲はハンプニー村にも届くことでしょう」

 頭を垂れたエミリーに、ペンを置いて顔を上げたディアナは満足げに微笑んだ。



 ハンプニー村での一週間が過ぎた。

 フュリスは父親が狩猟のために使っていた森の中の小屋で寝起きして、少しずつだが生活を整えて過ごしていた。

「薬ができたから、村でパンをもらってこよう」

 1日の仕事を終えたフュリスは、森で採った薬草から作った薬をバッグに入れ水を運ぶ桶を抱えると小屋を出た。

 彼女は神学校で医療を学び薬になる草花についても詳しくなっていたから、森の中で積んだ薬草を加工した薬を村長に売り、対価として食料などを受け取っていたのだ。

 村から少し離れた場所に居を構えたのは正解だったと思う。

 彼女が村に住み着くと村人たちは彼女の顔を、頬にまで現れた柊の葉のような形のアザを見て顔を顰めた。

 しかし村人たちはフュリスを疎む様子は見せても拒絶まではせずに受け入れてくれはした。

 そんな彼らに迷惑をかけるのは嫌だったから、フュリスは今の立場での生活で満足していたのだ。

 だから、明日の水と食べ物のため村の中へ来たフュリスは、広場の騒がしさに気付いて不安げに眉を寄せた。

「旅の人が来たのかな?」

 村の中央にある広場は、周りに生活に使う設備が集まっている。井戸もパンを共同で焼く窯もその中に含まれている。

 その広場にいつもより人が集まる理由はいくつか考えられるのだが、そのいずれもフュリスにとって好ましいものではない。

(人目にはつきたくないけれど、仕方ないよね)

 諦め半分にフュリスが広場に足を運ぶと、村人たちが一斉に彼女を見て、すぐに顔を背けた。

「あの子が奇跡を? でも、神学校は退学になったんでしょう?」

「違うわ。奇跡を起こしたのは聖女様よ。やめなさいって、目が合ったら何が起きるかわからないわよ」

 露骨に目を逸らす人影の中から聞こえた囁き声に、フュリスはびくりと肩を震わせた。

(まさか、あの時のことがこんなところまで?)

 極力気にするまいと心に決めて、フュリスは水の桶とバッグを抱えて足を速めた。

 まずは村長の家へと向かおうとしたフュリスだったが、

「フュリス、待ちなさい」

 人混みの中から目的の人物の声がして、フュリスは足を止めて振り向いた。

「村長さん、この方々は?」

 村長の前に集まっていた行商人らしい風貌の男たちを見て、フュリスは恐る恐る問いかける。

(あのブロンドの人と隣の人、見覚えがあるわ。

 でも、どうしてこの村に?)

 不吉な予感から意識を背け、フュリスは村長の顔を見上げる。

「フュリス、こちらは王都から来られた行商人のジェフリーさんとそのご一行だ。

 今、王都では死んだ子どもを甦らせた聖女の噂で持ちきりになっていると聞いてな。

 お前は、そのことについて何か知らんか?」

 疑念の眼差しと共に伝えられた内容に、フュリスは頭から足まで氷水を浴びせられたように青ざめた。

「なんでも、頰にアザのある魔女が子どもに魔術をかけて馬車に轢かせ、その騒ぎの隙に王都から逃げ出したのだそうだ。

 そして通りかかった聖女様が法術で子どもを救い、事なきを得たらしい」

「え? どういうことですか?」

 事実とは違う話に、フュリスは混乱して聞き返す。

 しかし、

「ああ、私が聞いた話では、魔女のほっぺたにはその娘のような柊の葉っぱのアザがあったらしいですよ」

 行商人が口を挟んできて、村人たちは一斉にフュリスから離れた。

 突然のことに何も考えられなくなって、フュリスは村長の様子を伺う。しかし彼もまた、フュリスに対して険しい顔を隠そうともせず、苦々しい声で告げた。

「フュリス、お前はやはり魔女だったのか」

 問いかけというよりは、確認のための一言だ。

「待ってください。私、魔女なんかじゃないです。

 あの子は自分で私を探しにきて、事故にあっただけなんです」

「あん?

 つまり、こいつは事故のことも子供のことも知っていたのに、村には秘密にしてたってことか」

 行商人の横槍で、フュリスの弁明は隠し事の吐露へと意味を変えられた。

「もしかして、あの時の魔物もあの子が呼び寄せたんじゃないだろうね」

「銀之聖者様を騙して神学校に潜り込むために魔物を呼んで倒してみせたってことなら、話は通るな」

 村人たちの中から聞こえた声に、フュリスを取り巻く群集が殺気立つ。

 フュリスには何度も見慣れた情景。

 事実も彼女の意思も関わりなく、彼女という存在の内訳が周りの人々に決め付けられていく。

 彼らの意思がフュリスを覆い尽くして、幾度となく浴びせられた言葉や態度の痛みが記憶の底から湧き上がり恐怖を呼び起こした。

 しかし、

『聖女様、ありがとう』

 あの時の少年の言葉が、腹を轢かれ血まみれになりながらの笑顔が思い出される。

(あの子の言葉を、嘘にさせたくない)

 フュリスは毅然として村長を見返した。

「私は魔女ではないし、皆さんを騙していません」

「開き直ったのか? う……なんだ、その生意気な目は?」

 やはり横から口を挟んできた行商人を真っ向から見据えて、フュリスは村長がジェフリーと紹介した男の顔を指さし震える声で、訴える。

「あなたはジェイクさんですよね。神学校でエミリーさんと話していたところを見たことがあります。

 王都に店を構えている人がどうしてこの村まで来たんですか?」

 名指しされたジェイクが顔色を変えた。

「その人も神学校で見たことがあります。

 あの学舎には王都でも許可を得た人しか入れません。

 みなさん、本当に行商人なんですか?」

「う、うるさい! 話を誤魔化そうとしても無駄だ! お前が魔女だとはっきりしているんだからな!」

 フュリスの追求に、怒気を露わにしてジェイクが詰め寄ってくる。

 しかし、フュリスは震えながらも踏ん張って男の勢いを跳ね除けた。

「それなら、この場には聖騎士様が来ているはずです。

 戦の法術を扱う聖者様もいなければおかしいです。

 第一、あなた方に魔女を裁く資格はない」

「村長、こいつを村に置いておいたら、また魔獣に襲われるぞ。この生意気な態度が証拠だ」

 先ほどとは逆に失言を突いて言い返され、ジェイクが唾を飛ばして村長に迫る。村人たちの中からも不信の声が聞こえて、フュリスは悲しみと共に彼らを見た。

 村人たち一人一人の恐怖に駆られた表情が、不思議とはっきりと見えた。

「フュリス、お前がなんと言おうが、お前が魔女だと思われていることが問題なのだ。

 違うと言うなら、証拠を出せ」

 そして村長は冷静に村人たちと行商人の一団を見据えてから、フュリスを問い詰める。

「どんなものを示したら、魔女ではない証拠になるのでしょうか?

 教会にある聖印に触ってみせればいいですか?

 今すぐ行っても構いません。神学校でいつも聖印や法具の手入れをしていたんですから」

 魔女は瘴気から力を得て魔術を使う。だから、聖なる力が宿った品物に触れれば肌が焼けると言われている。

 それに触れてきたと断言するフュリスに村長の表情は厳しくも落ち着きを見せた。

「それに銀之聖者様が魔女を聖女と見誤るなど、あり得ません。

 私が魔女だなんて、あのお方への侮辱です」

 フュリスはさらに言葉を重ねて抗弁する。

 だが、反撃は村人たちの中から飛んできた。

「銀之聖者様の威を語るとはとんでもねぇ小娘だ。

 お前が役立たずだから退学になったんだろう。

 聖者様の顔に泥を塗ったのはお前じゃねえか」

 伯父のドニーの声だ。

 父親とよく似た顔と声に恐怖と憎しみを露わにした伯父に父の記憶が重なり、そして伯父と同じ表情をした村人たちの姿に、フュリスは息が詰まった。

「お前のせいで弟も死んだんだ。

 お前は魔女だ! 村から出ていけ!」

「そうだ! お前がこの村に帰ってきたからこんな騒ぎになったんだ。出ていけ!」

「厄介ごとはごめんだよ」

 伯父に、村人たちに次々と詰られて、フュリスは歯を食い縛り、村長を見る。

(『心の底まで根を張った恐怖に、理屈は通じん』って、村長に言われたけれど。

 伯父さん、そこまで私のことが……)

 村に帰ってきた日に言われた言葉が脳裏に浮かぶ。

 そして言葉の主である村長も厳しい表情を返すだけだ。

 無理もない。この小さな村で異端となったフュリスを庇えば、彼自身の立場も無くなるだろう。

 揉め事が続いて領主の耳に届き、魔女が関わる話だと広まれば村の存続にも関わる。

 たとえ短い間でも彼女を受け入れてくれた村人たちや村長に、これ以上の迷惑はかけられない。

 フュリスはそう、決断した。

「わかりました」

 まっすぐに伝えた言葉は騒ぎ立てる村人たちの声を通り抜けて彼らの耳に届いた。

 少女の声に、立ち姿に、その身に纏った雰囲気に、村中が静まり返る。

「私は魔女ではありませんから、その証として皆さんの意見を聞き入れて、この村を出て行きます」

 まるで人里離れた森のような静けさの中で、フュリスは村人たちに、礼儀作法の教師が100点をつけるような一礼をする。

「今まで、ありがとうございました」

 彼女を追う者は1人もいなかった。



「シンディさん、その話、本当なの?」

 アニタはエーデルリート神学校の中庭にある物陰から飛び出して、黄昏時の薄暗がりに隠れて噂話に興じていた女生徒たちに詰め寄った。

 王都の中で子どもの命を救った聖女の噂。それに加えて聞き捨てならない話まで聞こえてきて、アニタは黙っているわけにいかなくなったのだ。

「あ、アニタさん? あなたが気になさるような話ではないですわ」

「貧民の子どものことではありませんか」

 言い訳をして距離を取ろうとした女生徒たちに、アニタはさらに一歩前に出る。

「私が聞いているのは、フュリスのことよ。

 貴女たちがあの子に嫌がらせをしていたのは、本当なのね?」

 アニタが物陰にいることに気付いていなかった女生徒たちは、フュリスに対してやっていたことを話しながら、魔女なら仕返しされるかも、と怯えていたのだ。

「人聞きの悪いことを言わないでください。

 私たち、あの子のために教育していただけですわ」

「そうよ。銀之聖者様に推薦いただいたのに法術の一つも使えなかったのですから、厳しくするのは当然よ」

「アニタさんだって、あの子をいつも叱りつけていたじゃない」

 言い訳を並べ立てられたアニタは歯軋りし、そして自分に対する怒りまで含めて女生徒たちを睨みつける。

「ふざけないで。

 ノートを隠すとか、仕事中に足をかけて躓かせるとか、それのどこが教育なの? 貴女たちがやっていたのは間違いなく嫌がらせよ。

 それなのに私は、あの子にあんなことを言い続けていたのね……」

 アニタが声を詰まらせ顔を伏せると、怒りに押されていた女生徒たちは勢いを取り戻した。

「アニタさんはお優しいですわね。あんな役立たず、追い出してあげるのが当然ですのに」

「本当にそのとおりですわ。けれど、余計なことをなさって敵を作るのは得策ではございません」

「退学になった人のことより、ご自身の立場を心配なさる方がよろしいですわ」

 三者三様に畳み掛けてくる言葉に、アニタはゆっくりと顔を上げる。

 その表情に、女生徒たちが凍りついた。

「ご心配くださってありがとう。

 それに、貴女がたには、もっと詳しく話を聞いた方が良さそうね」

 顔を上げたアニタの顔には女生徒たちが期待した怯えや罪悪感は全く感じられず、逆に彼女らを逃すまいとする確固たる意思があった。

 女生徒たちは自分たちの行いがアニタに確信を与えてしまったのだと、脅しをかけたのは迂闊だったと後ずさる。

「もう遅いわ。貴女たち、今から逃げても無駄よ。

 なぜ私が隠れて貴女たちの話を聞いていたのか、その理由を考えるべきだったのよ」

 すでにアニタはフュリスが退学に至るまでの出来事について調べていて、彼女らの行いも把握していた。そして彼女らを確実に追い詰めるため動いていた。

 その確証を得るために隙を窺い罠を張っていたところで、彼女らはフュリスが魔女だという噂に怯えて尻尾を出したのだ。

「貴女たちだけでやったことではないって、もうわかっているのよ。

 今夜は眠らせないから、覚悟なさい」

 アニタの合図で女生徒たちの前に新たな人物が姿を見せる。

 優雅にたなびく銀の長髪に、その持ち主の正体に、女生徒たちは力無く座り込んだ。

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