第二章 旅路

第六話 故郷にて

 翌日。

 フュリスは故郷ハンプニー村へ向かう街道を歩いていた。

 王都での事件の直後、少年を救ったフュリスは自らが呼び出した光の群れが発した輝きに紛れてその場を離れ、城門を通り抜けた。

 あの奇跡が自分の起こしたものだとはっきりしただけでなく聖女の力とは違うものだと理解したフュリスは、あの場に留まって聖女として扱われ、再び神学校に呼び戻されることを恐れたのだ。

 城門を守っていた兵士も事故のために滞った通行に加えて彼女が起こした騒ぎで詰所を離れていて、彼女を見咎める者は1人もいなかった。

 そうして王都を出たフュリスは、街道を1人で歩き10日ほどかけて故郷に向かうことにしたのだ。

「村に帰ったら、なんて話したらいいんだろう」

 フュリスが聖女となったため、ハンプニー村にはエーデルリート神学校から多額の補償金が支払われている。退学となれば当然支払いは止まってしまうのだから、フュリスは村にも迷惑をかけてしまったのだと感じていた。

 途方に暮れながらも他にあては無く、フュリスはトボトボと足を進め、それから立ち止まって左の頬に触れた。

「それに、この顔も……」

 旅の間に数組の旅人とすれ違い、その全員が彼女の顔を見た途端に表情を変えた。ある者は露骨に顔を顰め、またある者は目を逸らし、別の者は好奇の眼差しでフュリスを覗き込んできた。

 その物好きな男に

『お嬢ちゃん、ほっぺたに面白いアザがあるな。

 いや、首にもあるのか』

 と言われてようやく、彼女は自分の身に起きた変化に気付いた。

 そして街道沿いの小さな川に顔を映すと、彼女の左の頬と顎に、柊の葉の形をしたアザが増えていた。

「あの力も、このアザも、何なのよ」

 昔から村ではアザのために、魔女だなどと心無い言葉を浴びせられてきた。あの頃より目立つ場所に増えたアザを見た村人たちの反応が、否応なく思い浮かぶ。

「それでも、他に行ける場所もないし」

 力無く呟くと、フュリスは村へと足を進めた。



 エーデルリート神学校の荘厳な校舎の片隅、聖堂で行われる祭事の道具が置かれた宝物庫で、アニタが1人の女生徒を呼び止めた。

「エミリーさん、少しお話しよろしいかしら?」

「アニタさん、このような場所で、どのような御用でしょうか」

 表情は変えずに首を傾げて不信感を表したエミリーに、アニタは宝物庫の扉を閉めてから返事をする。

「貴女はディアナ様に付きっきりだから、話ができる機会は今しかないと思ってついてきたのよ。

 貴女が懇意にしていた商人の方がいらしたでしょう? 背が高くてブロンドの髪をきちんと分けていらっしゃる方、確か、ジェイクさんとおっしゃったかしら」

 エミリーは自身が貴族の生まれであるだけでなく、公爵家の長女で筆頭聖女を勤めるディアナの付き人でもある。

 そのため、彼女らと個人的な付き合いのある商人などが神学校に立ち入ることも多く、アニタは彼らの顔も覚えていた。

「ええ、ジェイクさんには大変お世話になっておりますけれど、それがどうかなさいましたか?」

「その方、何を商っていらっしゃるのかしら。

 できるなら用立てていただきたいものがあるのよ。

 あまり大きな声で言えないものだから、貴女方のお力添えをいただけると嬉しいわ」

 本心を外交的な笑顔に隠しながら、アニタはエミリーの反応を探った。貴女「方」と言えばアニタが求めているのはディアナの協力だと気付くはずだ。

 予想に違わず、エミリーの目が鋭く細まった。

「先日、意外な場所で彼の顔を見かけたのよ。

 それで、お願いできたらと思いついたの。

 けれど、奉仕活動の配給を受けるために集まった皆さんの中にいらっしゃるなんて驚いたわ」

 アニタの追撃にエミリーが顎を引き、真正面に向き合う。

「アニタさんは目がよろしくないのかしら。そんなところに……」

「ありがたいことに、空を飛ぶ小鳥を見分けられるくらいには良いわ。人の顔を覚えるのも得意よ」

 皮肉げな声をアニタが断ち切ると、エミリーは続けようとした言葉を飲み込んでから咳払いひとつ。

 それから

「改めて、御用のほどを伺ってもよろしいですか?」

 警戒心を露わにして尋ねてきた。

「貴女方のお知り合いが、奉仕活動の場で変装してフュリスのことを噂していたのよ。良くない噂をね」

「何かと思えば、退学になった偽物の話ですか。

 火の無いところに煙は立ちません。噂が立つのも、それが事実だからです」

「世の中には他人の家に火をつけて喜ぶ不埒者もいるものよ。貴女たちだとは思わないけれど」

 首を傾げながら冷めた目線で突き立てた一言は、思った以上の効き目だった。

「アニタ、あのお方を侮辱するのは許さない」

 敵意を通り越して殺気を含んだ声は、それまでの淑女然とした振る舞いからは想像できないほどに冷たい。

 それでも、アニタは臆さない。

「私は、『思わない』と言ったわ。

 エミリーは冷静になるべきね」

「そんな戯言で誤魔化せると?」

「それは、こちらの台詞よ」

 エミリーがアニタの非を責めようとしたところをきっぱりと叩き返し、それから両の手のひらを上に向けて肩をすくめた。

 その仕草で会話の間を外し、それから自身の確信とは違う推測を口にする。

「もう良いわエミリー。貴女がジェイクたちと関わっていることは確実だとわかったから。

 貴女、筆頭聖女様にゾッコンすぎるわ。少し話に含めたらすぐに顔に出るんだもの」

 エミリーは筆頭聖女であるディアナを崇拝していると言って良いくらいで、彼女のためなら何をするかわからないところがある。

 だから、敢えてディアナへの言及は彼女の動揺を誘うための釣り針だったと示すことで、結論からディアナを外したと仄めかすと同時にエミリー自身に判断の誤りがあったと指摘した。

「アニタがフュリスを庇うつもりなら、相応の覚悟をすることね。ガルトルード領は、この国の中では南の端ですわよ」

 対するエミリーの反応は、明確ではないものの脅しめいたものなった。

(確かにディアナのお父上、北方を束ねるヴィルターハウゼン公爵なら陛下の信頼も厚いわね。私の家をどうにかするくらいはできるわ。

 だけど、この場でそこまで言ったなら、フュリスのことはディアナの意向だったと認めたようなものじゃないの)

 エミリーの意図を察しつつも、アニタはかすかに眉を寄せて首を傾げた。

 この国では魔族との戦いが続く南方ほど危険が高く、国土の南側の領地を治める貴族たちは王家や北方の貴族からの援助を必要とする。

「あら、今までの話の“どこかに魔女が隠れていた”のかしら。意味がわからないわ」

 アニタはそんなことは百も承知の上で、エミリーが仄めかしたことを完全に無視した。

 無視したついでに裏切り者や策略を意味する諺を会話に含めてから、にっこりと微笑んだ。彼女らの足元にもそれらはいるのだぞ、と仄めかしたのだ。

 エミリーの表情が固くなる。

「引き止めてしまってごめんなさい。

 知りたいことはわかったから、もういいわ」

 冷たく睨んでくる相手に反撃の余地を与えず一方的に会話を打ち切り、アニタは宝物庫の扉を開けた。

「どうしてフュリスを怖がっていたのかまで、聞くつもりはないから」

 冷たく言い残して部屋を出て、扉を閉じる。

(フュリスが退学になったのも、ディアナ様の差し金かしらね。エミリーの様子からは確実に思えるけれど)

 廊下を足早に歩きながら、アニタはこれまでの経緯を思い返す。

(慎重に事を運ぶ必要があるわ。

 お父様なら前線へも顔が効くはずだから、手を貸してもらわないと。領事館を通して早馬を飛ばしてもらうのが一番ね)

 アニタの家は南方に領地があって魔族との戦いの最前線。それは今の彼女にとって有利な点だ。

(私はあの子に強くなってほしいと思って厳しく接してきたけれど、間違いだったのかもしれないわ。

 しっかりと調べて確証を得なければ……)

 そこまで考え、アニタはぴたりと足を止めた。

(確証を得て、私はそれから、何をしたいのかしら)

 講義の予鈴が鳴り始めてもアニタはその場で立ち止まったままで、辺りに静けさが戻ってからようやく、小走りで教室へと向かった。



 フュリスは村に帰るなり見知った村人に呼び止められ、そのまま連れて行かれた村長の家で、家の主をはじめとした4人の男たちと向かい合っていた。

「神学校を退学になったそうだな」

 正面に座っている村長が、重苦しい声で尋ねてくる。

 フュリスは既に知らせが届いていたことに驚いて顔を上げた。

 上げた途端に目の前の男たちが嫌悪感を露わにしたので、フュリスは自分の頬にまで浮かび上がったアザを思い出して顔を伏せる。

「はい」

 それでも以前のようにオドオドとせずに答える声に村長たちの表情が変わった。

「知らせの通りか。仕方あるまい」

「村長、しかし……」

「神学校を卒業できる者は半分以下と聞く。

 元から学のない村娘だ。2年間続いただけでも良しとせねばなるまい」

 村長はフュリスの答えを聞いてから、隣にいた男の言葉を遮って、難しい顔で目を伏せる。

「フュリスのお陰でこの村はだいぶ潤った。

 来年の補償金まで当てにしていたのは村の都合だ。

 だからフュリスが帰ってきたなら、住むことは認めてやらねばならぬ」

「それは、そうですね。しかし、本当に住まわせてもいいものか」

 男がフュリスの顔をジロリと睨みつけ、他の3人も彼女の顔を、左の頬を見つめた。

「まるで魔女じゃないですか」

 フュリスは思わず左手で頬を覆い、そこに新たに浮かび上がったアザを隠す。

 村人たちは首筋から胸元まであったアザを理由に幼少の頃から彼女を蔑んできた。

 銀之聖者に認められ王都へと厄介払いをしたはずなのに疎んじる理由が増えて帰ってきたのだから、面倒ごとになるのは間違いがない。

「アザはアザだ。

 それに、神学校からの手紙には全く法術を使えなかったとはあったが、勤勉で学業優秀だったと書かれていたのだぞ。

 魔女であるなら、神学校に勤める聖人の皆様方が気付かぬはずがない」

 ため息混じりに村長が呟いた。

「ご期待に応えられず、申し訳ございません」

 フュリスは曖昧に答えて頭を下げる。

 既にあの力はフュリス自身の力だと確信はあるが、しかし聖女の力とは違うこともわかっている。だから、迂闊な発言は自分の居場所を失う結果になると慎重に言葉と態度を選んだのだ。

 部屋の中に気まずい静けさが訪れ、村長が居心地悪そうに咳払いをした。

「仕方あるまい。だが、お前が住む家をなんとかせんとな」

「え? あの、伯父さんになにか……」

「ドニーは元気にやっておるが、お前の退学の知らせが来て話をしたら、もう納屋は壊したからお前を住まわせる部屋はないと言ってな」

「……」

 唯一の肉親に拒絶されたのだと絶句したフュリスに、村長は目を細めながら話を続けた。

「あやつは、お前の力が恐ろしいと言っておった。

 魔物に殺されかけた恐怖が忘れられず、あの力のせいだと思い込んでおるのだ。無理も無かろう」

「そんな。あれは偶然なのに」

「心の底まで根を張った恐怖に、理屈は通じん」

 呆然と呟いたフュリスに、村長は沈んだ声で言い聞かせる。

「ドニーの生活は昔と変わらんから、会わぬようにした方が良いぞ。

 今日はもう夜になる。

 ひとまずわしの家に泊まりなさい」

 村長が気遣って勧めたが、フュリスは俯いて黙り込んでいる。

「村長がこうまで言っているんだ。言われた通りにしとけ」

 村人が急かしてフュリスの肩を掴もうとしたが、それより早く彼女は顔を上げた。

 自分の意思を感じさせる真っ直ぐな視線に村人は手を止め、村長は息を飲んで彼女の答えを待つ。

「お父さんの狩猟小屋は、まだ森の中にありますか?

 私、そこに住みます」

 あまりの答えに村長は目を剥いた。

「残ってはおる。

 だがな、時々村の者も使っているらしいが、ろくに手入れもされておらず、かろうじて雨風を凌げるくらいだそうだ。

 お前のような娘が一人で住めるものではないぞ」

「だけど、あの小屋なら村から離れているから、他の人と会うのも少なくて済みます。

 神学校では山野での生き残り方も学びましたから、屋根があれば十分です。

 それに、あの小屋にはお父さんやお母さんと一緒に泊まったこともあるから、だから、あの小屋が良いです」

 フュリスが左の頬のアザに触れながら説得したので、村長は彼女の生い立ちを思い出して黙り込んだ。

 あのアザがある以上は村人たちは彼女を疎むだろうし、それは村長にとって面倒なことになりかねない。

 しかしフュリスが銀之聖者に見出され聖女候補となったことで得られた補償金は小さな村の問題を幾つか解決してくれたから、村長としては彼女が厄介ごとの種になるのは心苦しいものもある。

「わかった。

 あれは元々お前の父親のものだ。ドニーにはわしから話をしよう。

 だが、村に近くても日が暮れた森にお前を一人で行かせるわけにはいかん。

 今夜はうちに泊まりなさい」

「ありがとうございます」

 村長の決断にフュリスが素直に礼を言い頭を下げたので、他の男たちも話が収まったと胸を撫で下ろした。

「今日のところは話は終わりだ。

 皆の者、ご苦労だったな」

 話を村長が締めくくって村人たちも解散し、そのまま夜は更けていった。

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