第五話 三度目の奇跡

 王都ガーヴェストンには人が増えるにつれて元々の城壁の外に乱立した街ができており、それらを囲むように新たな城壁が建てられた経緯がある。

 内側の城壁は王礎の守護と呼ばれる、古いが堅牢荘厳な王都の守りの要だ。

 そして、その北東の城門の外では少女たちが衛兵たちに守られて、見窄らしい身なりの人々に奉仕活動をしていた。

「並んでください。1人にはお椀に一杯だけです」

 よく通る声で人々を並ばせているのは、アニタだ。

 普段の彼女は聖女の力で貧民の怪我などを癒す役割だが、今日は粥の配給に回してもらっていた。

 その声の響きに反して彼女の表情は暗く、時折群衆の中を探るように視線を走らせている。

「聖女様、聞きたいことがあるんだ」

 アニタは遠くばかり探していたため、すぐ近くの声の主が探していた相手だと気付くまで数秒を要した。

「聖女様?」

 少年の真っ直ぐな視線に戸惑いながらも、アニタは貴族としての姿勢を保って微笑みかける。

「どうなさったの?」

「ここに柊の葉っぱみたいなアザがある聖女様は、いないのか? いつも、一緒に片付けをしていただろ」

 自分の首元を指差しながら尋ねてきた少年に、アニタは思わず眉を寄せた。

 言葉遣いの無作法は奉仕活動では当たり前で気にならなかったが、彼が尋ねた相手の話は、彼女に強い後悔と罪悪感を感じさせたからだ。

「きっと、フュリスのことね。

 あの子は、もうここには来ないわ」

 どこまで話すべきか考えていたはずだったのに、不意を突かれたこともあって少年に会った途端にアニタの頭の中は真っ白になってしまった。

 そのため驚く少年に対して思いついたまま話し続ける。

「ここで規則違反をしていたから罰を受けて、あの子、成績が良くなかったのよ。だから、そのせいで退学になったの」

 彼女の話を聞いた少年は目を見開いて真っ青になり、それから真っ赤な顔でアニタに詰め寄る。

「あの人は違反なんてしてない! 母ちゃんはやっと治って歩けるようになったんだぞ。あの人がいなかったら飢えて死んでたかもしれないんだ。

 なんで退学になるんだよ!」

 制服の裾に掴みかかる少年は途中から涙交じりに訴えた。アニタが失言に気付いて少年をなだめようとしたが、それより早く衛兵が走り寄り彼を引き離す。

「このガキが、聖女様になんてことしやがる!」

 少年は引き離されてもがいたので衛兵に殴りつけられて倒れ、人々はさっと彼から遠ざかった。

「やめなさい!」

 人垣に囲まれた真ん中で少年が立ち上がると、アニタはさらに殴りかかろうとした衛兵に叫ぶ。

 毅然とした声に彼らは足を止め、聖女を見てから少年との間に立って壁になった。

 この騒ぎでは、もうきちんと話し合うことはできない。

「フュリスは今朝のうちに馬車で発つと聞いているわ。故郷に帰るはずだから、王都を出るなら南の門よ」

 冷静になったアニタは、この状況でもできる限りのことはと思い最小限の言葉で少年に告げる。

 彼の気持ちを考えるなら、これが正解のはずだと信じて。

「今朝って……もうあんなに陽が高いよ」

 そして少年は、アニタの意図を理解した。

 空を見上げて肩を落としたが、すぐに拳を握り締めると走り出し、群衆の中に消えていく。

「ダグ、待ちなさい」

「お兄ちゃん待ってよ」

 ざわめきの中から聞こえたのは、彼の母親と妹の声だろうか。

 彼らが遠ざかるとすぐに人々は、多少の混乱はあったが衛兵に促され、配給の列へと戻る。

「あのアザの聖女様は、規則違反してたんだな」

「気に入ったガキには粥を余計に配っていたわけか」

「素行不良で神学校を追放されたなら、真面目に見えて碌でもないアバズレだったってことか」

 人々の群れの中から信じがたい言葉が聞こえて、アニタは驚きと共に声の主を睨みつけた。

 だが服装の割に体格のいいその男たちは彼女の視線に気付くとすぐに、群衆に紛れて姿を消し、後には規則破りに対する不満を呟く人々が残った。

「今の人、見覚えがあるわ。確か、そう、学校で……確かめないといけないわね」

 アニタは彼らの顔を思い返し、その記憶が神学校の中での出来事だったと気付くと、奉仕活動をしている女生徒たちに厳しい視線を向けた。


 フュリスはわずかな私物を入れた背負い袋を背負い、トボトボと王都の出口へ向かう道を歩いていた。

 学校には馬車の手配をしてもらってあったから、その話の通り王礎の守護を出たところで学校から送ってきた教師と別れ南門を通り、門を出てすぐの広場にある乗合馬車の停留所までは行った。

 しかし停留所に集まった人々の数に、旅姿の少女に向けられる奇異の目に、今のフュリスは耐えられなかった。

 だから御者に一言告げただけでその場を離れ、引き留める声を振り切って歩いてきたのだ。

「村に着いても、どうしたら良いの?」

 行先は決まっていたが途方に暮れ、それでも歩みは止められず城門に着いた。そして諦めて門を通ろうとした彼女を詰め所の兵士が呼び止める。

「おい、お嬢ちゃん、通行証を見せてくれ」

「通行証? あの、持っていません」

 今までは神学校の生徒として自由に通行できたし、さっき王礎の守護を出るときも呼び止められはしなかった。

 いや、いつもとは違って神学校の教師が兵士に何かを話していたのだが、今までの出来事と村に帰ってからの不安で頭がいっぱいになっていたため、彼らの会話にまで注意ができなかったのだ。

 だから通行証のことは全く寝耳に水で、素直に答えたフュリスを兵士が睨む。

「通行証が無いなら、ここから出すわけにはいかない。通行の邪魔だ、どこかへ行け」

 門を守る兵士は冷たくフュリスを追い払った。

「待ってください。本当は乗合馬車に乗るはずだったんです。許可は出ています」

「だったら何で歩いて来た。嘘も大概にしろ。邪魔をするなら牢に放り込むぞ」

「乗合馬車の御者さんなら話がわかるかもしれません。邪魔はしませんから、ここで待たせてください」

「しつこいガキだなって……おい、あんたのその靴、神学校の……あんたは聖女様か?」

 兵士の問いかけにフュリスは自分の靴を見た。

 革製の丈夫なブーツは神学校の聖女たちに配給されているもの。高価な品物だが、旅にはしっかりとした靴が必要だと言ってアーノルドが持って行くことを許してくれていた。

「いえ、もう聖女ではなくて……」

 そのブーツに目敏く気付いた兵士がバツが悪そうに頬をかき、詰め所の脇を指差した。

「訳ありか。だったらその辺にいな」

 態度を和らげた兵士にほっと息を吐き、フュリスは城壁にもたれかかった。

 ぼんやりと道ゆく人を眺め、馬車を待つ。

 馬車が出るのは彼女より後だったが、フュリスの足よりは確実に早い。それほど待つ必要はないはずだと思っていると、予想通り幌が見えてきた。

 だが、

「待ってくれ! 聖女様!」

 聞き覚えのある声

「何だお前! うわぁ!」

「危ない!」

 ガタンぐしゃり

 水気のあるものが潰された音

「くそっ、事故か。厄介なことをしてくれやがる」

 兵士が仲間に声をかけて詰所から出て、通行を待つ人々にその場で動くなと命令する。

「ダグ? ダグ! いやああああっ」

 そして騒然とした人々の向こうから聞こえた悲痛な叫びに、フュリスはまさかと思って駆け出した。


「ダグ、しっかりして、ダグラス! 返事しなさい!」

「お兄ちゃん、お兄ちゃん」

 フュリスが人ゴミを通り抜けると、道の真ん中で止まった馬車の後ろに女性と幼い少女が膝をつき、倒れている少年に声をかけていた。

 馬車の車輪を叩いていた御者が彼らを一瞥する。

「貧民街のガキが。

 馬車が壊れたらどうするつもりだったんだ」

 その御者はさっきフュリスが話した男で、つまりその馬車はフュリスが乗るはずだった馬車だ。

「その馬車に聖女様が乗っているはずよ。

 お願い、聖女様、ダグを助けてください!」

「やかましい。聖女様がこの馬車に乗るはずがねぇだろうが」

 嘆きながら馬車に縋り付く声。フュリスは声の主に心当たりがあった。

(まさか、轢かれたのって)

 騒ぎを避けている人たちの流れから抜けて馬車に駆け寄ると、信じたくはなかった事実が目に映る。

「ああ……そんな……」

 数日前にフュリスが粥を配った少年が、石畳の上に倒れている。

 腹のあたりにはっきりと車輪の跡があって、彼の身体はそこでありえない形に捻れていた。

 すでに目は虚ろだが、土気色となった瞼とよどんだ紫の唇が微かに動くのを見たフュリスは、よろめいて馬車に手をかけた。

 馬車の点検を終えた御者がフュリスに気付く。

「なんだ? さっきの嬢ちゃんじゃねえか。

 そういえば、あんたのことは神学校から頼まれたって話だったな。聖女様だったのか?」

 御者の話に、少年に縋っていた女性と少女が顔を上げてフュリスを凝視する。

「あの聖女様だ」

「この子が? あんた、聖女様なら、ダグを助けて!

 あんたに礼を言おうとして轢かれたんだよ!」

 救いを求める声が、フュリスを絶望に突き落とした。

「早く! この子が死んじまう」

「お兄ちゃんを助けて、聖女様!」

 急かす声に引っ張られて、少年の横に膝をついた。

(もう、助からないわ)

 神学校で医療を学び頭一つ抜き出ていたフュリスには、少年を救う術がないと一目でわかった。

 聖女が使う癒しの力なら医療では助けられない重症の者でも救えるが、この傷では教師を務めるほどの聖女であっても無理だ。

 そしてフュリスは、どれほど正しく聖句を唱えても真剣に祈っても癒しの力を使えない。

 自分にはどうしようもないと少年から目を離せずにいると、彼の瞳が微かに動き、唇が震える。

『聖女様。ありがとう』

 声にならない声が聞こえて、彼の首から力が抜けて、かくりと顔が傾いて、動かなくなった。

「ダグ!?」

「お兄ちゃん!」

 周りの声が酷く遠く聞こえた。

「あんた! 早く助けて! できないんなら、あんたは聖女じゃない!」

 激しく肩を揺さぶられても、フュリスの目は、いや心は、少年の命を見つめている。

 故郷での両親の死が、2度の奇跡が思い出されて、フュリスは

「離れて、ください」

 嘆く母親を静かな一瞥で引き離した。

「ひっ! なんだい、そのアザ。

 そんなアザなかったはずなのに」

 母親の恐怖も気に留めず、少年の胸に両手を置いた。

(命はまだ消えていない。まだ、助かる)

 なぜかわからないが、フュリスには彼がまだ死んではいないとわかったからだ。

(私は聖女ではない。

 けれど、もし、銀之聖者様がおっしゃった通りにあの奇跡が私の力なら。

 私の力だったら、必ず)

 聖句を唱えようとして、しかし、確信にも似た不思議な実感があって自分は聖女ではないのだと思い直し、それをやめた。

 神様というどこかの誰かの力ではなく、

(私が、助ける)


 光が舞った


 フュリスから生じた光は深緑に輝く木の葉のよう。刺々しく縁取られた光は瞬く間に数を増し、宙を舞う。

「うわぁ! なんだこりゃ?!」

「お、落ち着け! どうっ、どうっ」

 人々が一目散に馬車から離れ、その騒ぎに驚いた馬を御者が落ち着かせようと慌てて宥める。

 その中で少年の母親と妹だけは光の群れの中にいた。

「お母さん、これ、魔除けの葉っぱだよ」

「柊のことかい? そういえば、あの顔のアザも柊の……」

 周りの騒ぎの一切をフュリスは無視、いや、無視以前に意識に上らなかった。

 彼女の心は少年の命を引き裂こうとする自然の摂理、即ち"死"を見つめていたのだ。

(必ず、助ける。

 お父さんやお母さんみたいに、させない。

 あなたは私のために死ぬ人じゃない。

 家族のために生きる人だ)

 少年の命に数えきれないほど群がる"死”の糸。

 柊の葉が舞い糸を切った。

 その一本一本を深緑の群れが断ち切って、すでに捕えられていた命も解き放って少年の元へと運ぶ。

 "死"から解き放たれた命が少年の形をとる。すると舞い踊る光の群れは彼の身体を包み込んだ。一つ一つの光が混じりあって、刺々しい形を失って一つの大きな輝きになる。

 そして一際強く輝くと徐々に薄らぎ、消えた。

「あれ……母ちゃん……」

 戸惑いの声。

「ダグ? ああ、ダグ!」

「お兄ちゃん!」

 目を覚ました少年に母親と妹が泣き縋る。

「信じられねえ。あの傷が治っちまった」

「今の光はなんだったんだ? 聖女様が癒しの力を使っても、あんな風にはならなかったぞ」

「お、落ち着け! 落ち着けって。どうっ、どうっ」

 起き上がった少年は周りの騒ぎに呆然としていたが、意識がはっきりしてきて自分に起きた出来事を思い出した。

「母ちゃん、聖女様は? あの柊のアザの聖女様、いたよな!?」

「もちろんさ。ほら……あら?」

「あれ?」

「おい、あの嬢ちゃん、どこへ行った?」

 フュリスの姿は、見当たらなかった。

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