第四話 退学処分
「あの言葉が無ければ」
反省房の固い寝床の上で、フュリスは膝を抱え込んだ。
銀之聖者バーソロミュー・グレイズヴェルト。
彼はこのガーデール王国が誇る最強の聖者だ。
フュリスも、度々噂話の的となり村に吟遊詩人たちが訪れたなら必ず歌われる、もはや伝説とも言うべき偉人のことは知っていた。
(どうして銀之聖者様は、私を神学校に推薦なされたのでしょうか。あの光をご覧になられたのは一度だけなのに、なぜ私の力だとおっしゃったのでしょう)
フュリスは再び思い出の中に沈み込む。
あの朝の、驚くべき出来事の思い出へと。
村の広場で村人たちが見守る中、神々しい出立ちで膝をつき真っ直ぐに見つめてくる銀の眼差しの持ち主。
その眩い姿にフュリスは己の衣服を比べて恥入り、顔を下に向けた。
(私が、聖女に?)
「わ、私には無理です」
自分にかけられた言葉を理解し、反射的に否定する。
「フュリス、聖者様のお言葉に対して何てことを言いやがるんだ」
伯父が離れた場所から怒鳴りつけてきてフュリスは目をぎゅっと閉じて背中を丸めた。
魔族と魔物がひしめく南方大陸との接点に位置するこのガルデランデ王国は、一千年前に彼らの王、すなわち魔王メルゼアデスを討ち倒した3英雄のうち1人が国を改め領地を拡げてできた国だ。
そしてそれ以来一千年の間、凶悪な敵に対する守りの要となり役目を果たしてきた。
銀之聖者は、この3英雄の1人に与えられた称号でありこの国での実績をもって最強に値する聖者に受け継がれてきた称号でもある。
故に銀之聖者とは北方大陸38カ国最強の聖者と呼んでも差し支えなく、また実際にバーソロミューは若くして歴代の銀之聖者でも比肩する者がない実力を持っている。
最強の聖者の言葉を一介の村娘であるフュリスが否定することは、不遜なことだ。
だが、バーソロミューは穏やかな微笑みを浮かべた。
「良いのです。私が唐突すぎたのでしょう。
しかしながら、昨夜の話からフュリスに聖女としての素質があることは間違いない」
「あれは私がやったことじゃないです」
「聖人の素質に目覚めた者の多くは、自らに賜った力を信じられぬものだ」
銀の髪の聖者は穏やかな声で全く譲らず、フュリスを言い聞かせようとする。
フュリスは言いようない不安を感じ、動揺して押し黙った。そのとき、
「ま、魔物だ! 何匹もいるぞ!」
村の入り口の方から、見張りの叫びが聞こえてきた。
「あいつ、昨日飲みすぎたのか? 昼になってもいないのに魔物が出てくるはずが……」
「ぎゃあああぁぁぁっ」
「マルコ! ひいっ、た、助けてくれ!」
最初は信じていなかった村人たちだったが、すぐに見張りの悲鳴が聞こえてきて、恐怖にざわめいた。
「せ、聖者様」
神々しい姿で立ち上がったバーソロミューに、その場の全員の期待が集まる。
しかし、彼は平静な表情でフュリスを見下ろすと、彼女の手を取り立ち上がらせた。
「フュリス、君が戦うのだ。
昨夜の力は君に授けられたものなのだから、君は傷一つなく魔獣を打ち倒すだろう」
あまりにも過酷な言葉に息を詰まらせ、フュリスは大きく目を見開いて聖者を見た。
「フュリス、さっさとやれ。聖者様のご期待にお応えするんだ」
伯父の声が背中に浴びせられ、フュリスは村の門を前に立ち尽くし、後ろを振り返った。
狼のようでいて身体を薄暗い瘴気に覆われ眼を血走らせた魔物が3匹、彼女を警戒するようにゆっくりと歩いて半円に囲む。
(マルコ、それに、エグバートさんだ)
その向こうには、倒れて呻く村人の姿。
今朝の見張り役だった2人はフュリスも顔見知りで、若い方はまだ物事の良し悪しも知らない幼い頃に遊んだ記憶のある相手だったし、もう1人は時々父親を訪ねてきていた人だ。
一緒に遊んだ情景と父が楽しそうに笑っていた表情が、ひとまとまりになって蘇る。
(あんなに血が……)
2人の周りには赤黒い血溜まりがあって、特にマルコの方は見ている間にも広がっていく。
「フュリス、早くしろ! 聖者様のお役に立て!」
「そうだ! 昨日の話が本当なら魔物なんて簡単に追い払えるだろうが!」
「銀之聖者様に認められたのに、聖女になりたくないの!?」
村人の声が彼女の背中を蹴り付ける。その中にあって彼女には、彼らの後ろで交わされる囁き声まで聞こえていた。
「これであの娘がいなくなってくれれば、うちは楽になるわ」
「あなたの気持ちわかるわ。旦那の姪だからって、あんなろくにものも言わない気味の悪い子どもを押し付けられたんだもの」
「だいたい、親が死んだのだってあの子のせいなんでしょ。さっさと村から出ていってもらわなきゃ」
「聖女だって言うなら、居るべき場所に行ってもらった方がいいわ」
その言葉がざくざくとフュリスの心を切り裂く。その鋭さはまるで、魔物を切り付けるあの緑の光のようでもあった。
(この村には、もう……)
その中に幼い頃に遊んだ相手の声を聞き取り、フュリスは諦めて足を踏み出す。
すでにこの村の中には彼女の居場所が無いと実感したからだ。
(マルコとエグバートさんは、助けないと。あんなに血が出ていたら死んじゃう。誰か……)
3歩進むと、魔物たちが一斉に消えた。違う。
2頭はフュリスを回り込むように走り、1頭は上空に跳んだのだ。
影が落ちて驚き上を見たフュリスに爪と牙が迫る。
(誰か、助けて)
ぎゃうん!
奇跡は2度起きた。
朧げな輪郭を持つ濃緑色の光が舞い散る木の葉のように現れフュリスを中心に渦を巻き、魔物たちを跳ね除けたのだ。
5つに分かれた光の群れは3匹の魔物と倒れた村人2人のそれぞれへと舞い飛んで包み込む。
ギャううぎゃううん!
魔物たちの悲鳴が村に響いた。
太陽の光で瘴気が弱まっていた魔物たちは見る間に全身傷まみれになり、逃げ出そうとした。しかしそれより早く聖なる紋様を穂先に刻まれた槍が投げつけられ、短い悲鳴を上げてから霧散した。
「おお、やったぞ!」
「さすがは聖騎士様だ」
槍を投げたのはバーソロミューに付き従っていた聖騎士だ。
彼らは魔物と戦うために特別な訓練を受けた戦士で、精強にして魔物と戦う使命に己の命を捧げた勇者たち。特に今ここにいるのは、銀之聖者バーソロミュー・グレイズヴェルトに付き従う、国の中でも最も強い男たちだ。
「よくやった」
銀之聖者が魔物を指差していた右手を下ろした。
指一本の指示で正確に魔物を倒した聖騎士たちは、後ろに下がって顎を引き、足を肩幅に開いて待機の姿勢で立つ。
「見ろ、あの光がマルコたちのところに」
村人が声を上げると、彼らが見ている前で濃緑色の光の群れは魔物がいた場所から離れて、倒れている2人の見張りへと舞い飛んで彼らを包む光に加わった。
そして群がる光が薄れて消えると、倒れていた2人の村人は頭を起こし、辺りをきょろきょろと見てからゆっくりと起き上がる。
「ああ、マルコ!」
「すげぇ、あんな大怪我だったのに!」
「フュリスの力だ。あいつはやはり聖女なんだ」
村人たちが歓声を上げる。
数人が見張りの2人に駆け寄り無事を確かめ、また伯父をはじめとした何人かがバーソロミューに話しかけていたがフュリスの周りに近付く者はいない。
彼女が喜びに湧く人々を遠いところを眺めるように見ていると、村人たちを下がらせたバーソロミューがやってくる。
「今の光が、君の力だ」
銀の前髪を透かして見下ろす聖者の声には威厳と自信があって、フュリスは銀の眼差しから逃げることもできずに両手を胸の前で握り合わせた。
「でも、私は何も……」
していません、と続けようとした声を遮り、バーソロミューが片膝をついた。
フィリスの手を、大きな両手で優しく包み込む。
「フュリス、君には聖女たる資格がある。
村人を救い魔物を退けたその力を、この国のために使ってほしい」
頭を下げた銀之聖者に、村人たちが再び驚きの声を上げる。
「銀之聖者様があれだけ頼んでいるのに、断れるはずがねえ」
伯父の言葉の通り、フュリスに選択の余地はなかった。
「あの時は……あの光が現れたのは、あの時だけだったわ。
きっとあれは、他の誰かが賜ったものだったのよ」
フュリスはバーソロミューに連れられてこの神学校へとやってきた日を思い出し、すでにその日から2年の日々が過ぎたことに歯を食い縛る。
「私には、聖女になる資格はなかった」
薄い毛布に顔を押し付けて嗚咽を堪え、自分より早く入学した同級生たちの足を引っ張らないよう必死で勉強し、聖女の勤めに徹してきた。
しかし、聖女の力は全く使えず、「銀之聖者の推薦」という前評判に反した実績に彼女の立場は瞬く間に落ちた。
そして、教義に従い寛容と奉仕の心に従った結果が、この暗くて狭い部屋だ。
(アニタさん、だとは思いたくないけど……)
フュリスが貧民の少年に過度な施しをしていたことは確かに規則違反だ。しかし、それに気づいていたのは同室のアニタだけのはず。
教師に告げ口したとすれば、彼女以外にはいない。
(だって、誰にも言わないって、言っていたもの)
厳しいがフュリスにいつも声をかけて注意してくれていた少女が裏切ったとは思いたくもなかった。だが、アニタが朝食の席で立たされたフュリスから顔を背けていたのはなぜだろうか。
ぐるぐると想いと感情が渦巻き続け、やがてフュリスは疲れ果てて眠りについた。
反省房で3日を過ごしたフュリスは学長室に呼び出されていた。
「ハンプニー村のフュリス、君を退学処分とする。異論はあるかね」
そして、部屋に入ってから前振りもなく告げられた。
この部屋の主は銀之聖者バーソロミュー・グレイズヴェルトではあったが、目の前にいるのは代理のアーノルドだ。
彼は温厚な人物で、誰の意見でもしっかりと聞いて配慮をしてくれると教師だけでなく生徒たちからも人気がある。
実際、フュリスに退学を告げる表情にも、彼女を思いやる気持ちと彼女の評価とに挟まれ悩んだことが現れていた。
「ございません」
これ以上この学校にいることに耐えられなかったフュリスには、一切の抗議も弁明もあり得なかった。
暗く沈んだ顔を伏せた彼女の返事にアーノルドは目を細めて一度首を横に振り、それから口を開く。
「大変に残念に思います。
今日中に荷物をまとめなさい。ハンプニー村までの旅費と馬車は手配させます。
それから、これでお別れになるのですから、私から皆に話をして、最後の夕餉を開きましょう」
アーノルドの言葉は短く事務的だったが最後の一言には温かみが感じられ、その一言の温もりにフュリスは目頭が熱くなり、歯を食い縛って頷くことしかできなかった。
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