第二話 奉仕活動

 翌朝。

 フュリスは空っぽの胃袋が訴える不満で目を覚まし、今朝の勤めがあるのだと歯を食い縛って体を起き上がらせた。

「……ありがとうございます」

 ベッドの隣にある質素な机に置かれた皿を見てから、小さく感謝を呟く。

 それから祈りを捧げると、同居人を起こさぬようそっと皿を持って部屋を出る。

 まだ誰も起きてはいない。

 誰よりも早く目覚めて、いくつかの仕事をこなすのが彼女の日課となっていた。

「水汲みをしたら、このお皿を洗って片付けないと」

 手に持つ皿を落とさないよう注意しながら足早に通路を歩く。

(誰かに見られたら、きっと迷惑がかかるわ)

昨夜の出来事を思い出し、フュリスは台所へと急いだ。


 昨夜、シサー豆を拾い終えて台所へ行った彼女の夕食は残されておらず、ただ「豆はここに入れておきなさい」と器を示し冷たく言いつけた女生徒が、フュリスの顔も見ずに忍び笑いを残して立ち去っただけだった。

 水で渇きを癒し空腹を抱えて部屋に戻ると、机の上には少しばかりの粥をよそった皿があって、小さな板切れに「フュリスへ」と書き置きがあった。

 誰が置いたのかは予想はできた。同室のアニタだろう。

 そしてフュリスは感謝の祈りを捧げて粥を食べ眠りについたのだ。


「これで今日の分は汲めたから、お皿を洗ってシサー豆を水に浸して……」

 井戸と台所を何度か往復し水瓶に十分な水を運ぶと、フュリスはテキパキと皿を洗い、豆をザルに広げてゴミや小石を拾い出す。

 手間がかかる細かな作業を終えてから豆をざっと洗い鍋に入れ、水を注いだ。

 それを、鍋の数だけ繰り返す。

 胃袋が鳴って、彼女はお腹に手を当てた。そして、

「今朝は奉仕活動があるから、我慢してね」

 不満を漏らすお腹に言い聞かせるように呟く。

 神学校では聖女の勤めとして、王都の貧民街に赴いて食事を配布するという奉仕活動を行なっている。魔族との戦いが激しくなってきている情勢下では、治安を守るためにも重要な仕事だ。

 今日はフュリスたちがその当番で、彼女らの食事は貧しい者たちへの施しの後なのだ。

 水汲みも奉仕活動と自分たちの朝食に使う豆の仕込みも楽な仕事ではない。体の小さなフュリスには尚更で、昨夜口にした粥だけでは足りていない。

 それでも、

「何も食べてなかったら、もっと辛かったんだから」

 もう一度自分に言い聞かせ、彼女はかまどの隣に置かれた火かき棒とブラシを手に持つと次の仕事に取り掛かった。


 王都ガーヴェストンを守る二重の城壁。その内側の城壁の外側、利便の悪い北東側に寄せ集められるようにできた貧民街の広場。

 広場と呼ぶには粗末な場所だが、それでも今はゴミが片付けられ公共の場所としての体裁を少しばかりは取り戻している。

 そんな広場に面した通行門を背にして馬車と机が置かれ、周りを兵士が囲んで居並び押し寄せるみすぼらしい人々の暗い熱気を受け止めている。

「どうぞ」

 縁の欠けた木の椀にシサー豆の粥をよそい、フュリスは肩を丸めた少年に手渡した。

 アニタのように聖女としての力に優れた生徒は怪我や病気を抱えてやってきた貧民を法術で癒しているが、フュリスはシサー豆の粥を配る役目だ。

「……ありがとう」

 小声で礼を言った少年は椀を大事そうに抱えて小走りに走り去っていく。

 フュリスは少年の後ろ姿が建物の角にさっと隠れていくのを見ていたが、

「聖女様、ご慈悲を」

 彼と同じようにみすぼらしい服を着た人々の列が前に出て、先頭の男性が椀を手渡してきたので、それを受け取って粥をよそおう。

(いけない、仕事に集中しないと)

 シサー豆のほのかな香りが湯気と共に立ち昇りフュリスの鼻腔をくすぐると、胃袋が鳴って空腹を訴える。

 その声を無視しながら粥を配り続け、全ての鍋が空になったと告げられると貧民たちの列は蟻の子を散らすように消えてしまった。

「フュリス、片付けるわよ」

 すぐにアニタが声をかけてきたので、フュリスは鍋の片付けに取り掛かった。

 1人でなんとか運べる大きさの鍋を一つずつ抱えて馬車に運び積み込み、最後のひと組みを積み終えた。

 これで帰れば朝食だ。

「フュリス、待って。聞きたいことがあるわ」

 突然、アニタがフュリスの服を掴んで呼び止めた。

 他の道具を片付けている女学生たちには聞こえない程度の声で、しかも馬車の陰なので、この会話に気付いた者はいないだろう。

 フュリスが驚いて固まっている間にアニタは眉を寄せ険しい表情で睨みつけたまま、背丈が小さいフュリスを引き寄せて顔を寄せた。

「あなたのところに茶色い髪と目の男の子、3回来ていたわよね。最初は小さな女の子を連れてきていたけど、それからは1人で2回」

(気付かれてた?)

 ギクリと身をこわばらせたフュリスは思わず目を逸らし、

「それは、あの、わかりません」

 はっきりしない声で言い訳する。

「とぼけないで。

 あの子、今週の3回全部よ。だから注意していたの。

 1人に椀一杯。それが決まりでしょう?

 規則を守れないなら先生に報告して懲罰を与えてもらう必要があるわ」

 アニタの、声は小さいが毅然とした物言いにフュリスはさらに肩を縮めた。

 彼女の言う通り、フュリスは少年の行為に気付いてはいたが、しかし敢えて見逃していた。

「それは、その……」

 言い淀むフュリスにアニタはさらに刺々しい表情になった。

「あなたね、規則違反よ。わかっているの?

 気付いていなかったなんて言い訳が通じるわけないでしょ?

 言うならもう少しましな理由を言いなさい」

「お母さん、です」

 アニタの剣幕に押されてぎゅっと目を閉じて、しかしフュリスは言葉を絞り出した。

「お母さん?」

「あの子は、いつもお母さんと妹さんと一緒でした。

 だけど今週になってから2人きりで、妹さんの目には泣いた跡がありました」

「だから、何よ」

 冷たい声にヒュッと息が詰まったが、それでもフュリスは言葉を繋げた。

「多分、お母さんにきちんと食べさせてあげたいから、2回来る必要があったんだと思います」

「何が言いたいのよ……もしかして、あの子のお母さんが怪我か何かで来られないって思ったの?」

 訝しげなアニタの問いかけに、フュリスは首を小さく3回、縦に振る。

 後ろで束ねられた肩にかかる程度の濃茶の髪が、仔馬のしっぽのように揺れた。

「そんなの、何の確証もないじゃない」

「最初に、聞きました。『お母さんは元気?』って」

「貧民の子供が正直に答えるわけないわ」

「そしたら、あの子涙を浮かべて困った様子になって……だから私……」

 そこで言い淀んだフュリスは、パッと服を離されて自由になった。なったついでに驚いてよろめき馬車の荷台を掴んでアニタを見る。

「理由はわかったわ。だけど、あなたがやったことが元で、みんなが迷惑するかもしれないのよ。

 あの子に気付いて真似る人が出たら、あなた、どうするつもり?」

「それは……」

「もういいわ。時間もあるからこれでお終い。

 バレたら大事だから、あなた、注意しなさい」

 アニタが、用は済んだとパッと態度を変えて立ち去ろうとした。その間際に、

「あ、私は誰にも言わないから」

 どこか不満げに眉を寄せ囁いてから立ち去る。

 そして、皆が片付けを終えた広場に出ると

「フュリス、早く来て。先生の講話をいただく時間よ!」

 よく通る声でフュリスを呼んだ。


「神よ、我らが祈りを聴き賜え……」

 女学生たちが祈りを唱和する。

 彼女らが並んでいる長いテーブルには固いパンと野菜を煮込んだスープとチーズが置かれ、窓から差し込んで暗い食堂を照らす日光が感謝の祈りを捧げられている聖者の像を照らしている。

 質素ではあるが、フュリスにとってはようやくの食事だ。空腹から意識を逸らし唾液を飲み込みながら祈りを唱える。

 やがて祈りが終わると、普段なら食事の合図をするはずの教師が厳しい顔で像の前に立った。

「ハンプニー村のフュリス! 立ちなさい」

「はいっ」

 顔に見合った厳しい声で呼ばれ、フュリスは反射的に返事をして立ち上がる。

 こういう声の時は間違いなく懲罰の話だ。しかも今まで聞いたことのないくらいに険しい。

 怯えた様子で直立したフュリスに数人の女生徒が顔を見合わせたが、それを気付く余裕はない。

「フュリス、あなたは奉仕活動の中で特定の人に何度も施しをしていたと、匿名の報告がありました。

 これは由々しきことです」

 青ざめたフュリスの周りでざわめきが起きる。

「規則違反じゃない」

「嘘、真面目なことしか取り柄がないくせに」

「いつかはやると思ってた」

「信じられませんが、先生のお言葉ですわ」

「神様の御意志を守れないなら、聖女やめたら?」

 立ち尽くすフュリスに言葉が針のように突き刺さり、弁明どころか考える力さえ奪い取る。

「あなたは3日間の反省を命じます。

 今すぐに席を立ち、反省房へ行きなさい」

 有無を言わせぬ教師の声は、しかしフュリスには届いていななかった。

 彼女の心は隣に座っているアニタの顔を見るのが恐ろしく、完全に凍りついていたのだ。

 カツカツと足音を立てて近付いた教師がフュリスの手首を掴む。

「来なさい。

 みなさんは朝食をとりなさい」

 フュリスは乱暴に引きずられ食堂から連れ出された。

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