柊乃巫女止銀之聖者 (ひいらぎのみことぎんのせいじゃ)〜追放聖女のぼっち暮らし〜
九
第一章 神学校
第一話 役立たずの聖女
「あっ……」
がしゃん
「あーあ、フュリスってば、またやってる」
「大変ね、シサー豆があんなに散らばってしまったわ」
揃いの黒い服を纏った少女たちがさっと散り、抑えた声でくすくす笑う。
彼女たちの視線の先では石造りの建物の前で小柄な少女が身を屈めて膝をつき、石畳の上に散らばる鋭く割れた器の破片に手を伸ばしていた。
「フュリス、何をしているのですか?
あなたはこのエーデルリート神学校の生徒、聖女なのですよ。
早く拾うのです」
少女たちから離れて歩いていた中年の女性が、教鞭を手に取りぴしゃりと鳴らした。
教師と思わしきその女性の周りに先程の女生徒たちが集まり、小声で囃し立てている。
「すみません。すぐに拾います」
癖のない濃いブラウンで肩にかかる長さの毛を後ろに束ねた小柄な少女は、割れた陶器とこぼれた小指の爪ほどの大きさの、シサー豆と呼ばれる主食用の固い豆を拾い集めた。
「早く片付けて仕事に戻りなさい。あなたたちもですよ」
教師はそれだけ言うと用は済んだとばかりに踵を返して立ち去り、フュリスは女生徒たちが遠巻きに眺める中、割れた陶器をまとめてシサー豆を拾う。
カツッ、と固い音が聞こえて、フュリスは自分から2歩ほど離れた石畳を鳴らしたブーツを目に止めた。
「フュリス!」
フュリスが深みのある緑の大きな目を上げると、立っていたのはスラリと背が高く伸びやかに胸を張った少女。
皆が同じ衣装であっても彼女だけ別格に見えるのは、立ち姿全体から指先の仕草にまで現れる堂々とした振る舞いがあるからだ。
「これで何度目よ。夕食に使うシサー豆が台無しだわ。
ねぇ、貴女がヘマをするたびに私たちまで叱られるのよ。
それ神殿への喜捨から買っているのだから、気をつけてよね」
少女はフュリスを辛辣に叱責する。
よく通る明朗な声は周りの少女たちにもはっきりと聞き取れ、周りからは膝をついたままのフュリスにも聞こえる程度の囁きが起こる。
「ノロマな田舎者のくせに王都まで出しゃばるから」
「そうね。それに、あの首の痣」
「気味が悪いよね。朝の礼拝によく来られるわ」
「アニタさんガルトルード伯爵家の1人娘なのに、あんなのと一緒でかわいそうだわ」
嘲りの口調の中でいくつかの言葉がフュリスにも聞き取れ、彼女は背中を丸める。
「鼠みたいに丸まってないで、何か言いなさいよ。
貴女周りに迷惑をかけて何も思わないの?
ここをどこだと思っているわけ?
はっきり答えなさい!」
「王都ガーヴェストンの、エーデルリート神学校……」
萎縮した声はくぐもって途絶え、それが癪に触ったのだろうか、アニタはフュリスに半歩踏み寄った。
高く通る声が夕陽に照らされ石壁と高い建物に囲まれた裏庭に反響する。
「そんなことは聞いてないの!
いい? 当たり前のことなんて言わなくて良いのよ。
私はあなたが周りに迷惑をかけてどう思っているのって聞いたのよ。
それを言いなさい! あなたの言葉で!」
怒鳴りつけられた少女は首をすくめ、何かを言おうと口を開くが、しかし言葉は出てこない。
1分ほど静寂が続き、苛立たしげに息を吐いたアニタは踵を返す。
「早く拾って台所に来なさい。シサー豆の料理には手間がかかるんだからね。
皆さん、行きましょう」
アニタに従って少女たちが立ち去り、吹き込んだ風がその場から刺々しい空気を吹き払ってからようやく、フュリスは絞り出すように呟く。
「ごめんなさい。役立たずで、ごめんなさい……」
それから、少女は己の手が傷つくことも厭わずに急いで割れた器を集め、緩やかな服の袖に溢れた豆を拾い上げると、とぼとぼと建物へ向かった。
「フュリスさん。どうなさったの?」
肩を落として歩く少女に声をかけたのは、彼女と同じ黒い服に白いフードを纏った女性だ。
服装からはフュリスと同じく女学生とわかるが、フードの細やかな刺繍の出来栄え、同じように見えて上質な艶としなやかさのある衣装、そして彼女自身の落ち着きのある立ち振る舞いと微笑みが、立場の違いを物語っている。
「ディアナ様。あの……いえ……筆頭聖女様にお話しするようなことでは……」
か細く消えた声にディアナと呼ばれた女性は優雅に歩み寄り絹のように滑らかな肌の手を服の袖から出すと、割れたボウルとシサー豆を抱え持つフュリスの手にそっと触れる。
「そのようなことをおっしゃらないでくださいませ。同じ学び舎で同じ聖女の務めを学ぶ者同士ですわ」
優しげな声にしかし、フュリスは突然の感触に驚いて後退り、袖からパラパラと小さな豆が溢れ落ちる。
ディアナの手を振り払った自身の動作に固まって、怯えを含んだ目で筆頭聖女を見つめている間に袖の中のシサー豆は半分ほどが石畳に散らばってしまった。
「あっ」
嘆息が漏れるが既に遅く、フュリスは身を屈めて袖を押さえた。
「少し触れただけでそんなに慌てるだなんて、思いませんでしたわ。
驚かせてしまったのなら、ごめんなさい」
「い、いいえ! 私が悪いんですごめんなさい」
神学校でも優秀な聖女しか選ばれない筆頭聖女の、その中でも最も優れたディアナの手を振り払ってしまったという自分の暴挙が信じられず、フュリスは肩を丸めた。
「失礼なことをして、ごめ……すみませんでした」
口早にでた言葉が立場を弁えていないと気付いて言い直し、そのままじっと顔を伏せる。
「気にしなくても良いのよ。
それより、怪我は大丈夫?
さっき転んだ時に膝を打っていらしたわ」
労りの言葉にフュリスは怪我の痛みを思い出し、その直前の出来事まで思い出して歯噛みした。
彼女の足を引っ掛けた女生徒の含み笑いが思い出される。
「だ、大丈夫です」
苦々しい思いを閉じ込めるように絞り出した声は、どこか遠くの誰かの呟きにも聞こえた。
「そう。それならいいわ。
けれど、何か困ったことがあったら気軽に相談なさって。
わたくしは筆頭聖女として皆さんに気を配っているのですから、どんなお話しでも伺いますわ」
優しげな声にフュリスはさらに縮こまり、頭を伏せる。
こうして気を配ってくれる筆頭聖女に自分の惨めな有様を相談するなんて、とんでもないことに思えた。
すると、少し離れた物陰から出てきた女生徒がディアナに声をかけた。
「ディアナ様、もうお時間になります。これ以上遅れますと、夕餉の祈祷に間に合いません」
「あらエミリー、もうそんな時間なのですか?
困りましたわね、
フュリスさん、貴女のことを助けてあげたいけれど、時間がありませんわ。
夕食の用意もありますから、間に合うようになさってくださいね」
「は、はい」
ディアナの言葉に咄嗟に返事をしたフュリスは、優雅な足取りで立ち去る筆頭聖女の背中を見て、それから自分の周りに散らばったシサー豆を眺めて歯を食い縛り、一つずつ拾い始めた。
夜の闇が降りた学舎の最上階、明かりが灯る執務室で長い銀髪の男性が1人書類にペンを走らせている。
「バーソロミュー様」
宙に浮かぶ光球に照らされた重厚な書棚の影から抑えられた男の声。
その囁き声に、ペンを置いた男性は立派な椅子から立ち上がって書棚の横にある窓から夜景を見下ろした。
「王都の明かりは衰え無く国王の御威光は民を照らしておられる。
しかし、戦場の現実は迫りつつあるようだな」
張りのある低い声で語られた言葉は窓の外に向けられていたが、書棚の影からは囁き返ってきた。
「然り。
アルノー将軍が魔族に本陣を急襲され、討ち取られました。
部下を逃すために一騎打ちを挑み、立派な最後であったと報告が来ております」
「白亜の盾が逝った。これでこの王国を守る将軍もあと2人。急がなくては」
「はっ。おっしゃる通りでございます」
姿を見せぬ何者かとの会話は他の者からは独り言として聞こえるだろう。
「前線の意向は、私の出陣を望んでいるか」
「はっ。
ウォルトン将軍とオルタヴィオ様は、銀之聖者なくしてはこの苦境を凌ぎ難いと訴状を送られました。明日の内には国王の元に届きましょう」
「これも天命。
聖者の勤めを果たさねばなるまい。
星々は我らの機運を示し意思を見定めんとしている
皆にも機を逃さぬよう厳命せねばな」
「我らは皆、貴方様のご意志と共にあります。
前線に立つ4人にもそのお言葉、必ずお伝えします」
「私が出陣をするには、この神学校の勤めを引き継がねばなるまい。代理の学長を考えねばな」
話題が変わると、書棚の影からの返事は止んだ。
元より声の主は、主の考えに意見を差し挟むなどという不忠を考える男ではない。
「キンバリーならば周りを従え国からの圧力にも屈さぬ力がある。アーノルドは皆の意見を良く聞いていて貴族たちとも繋がりが太く生徒からの人望も厚い。
しかし、この国を、いやこの世界を守る要である聖者と聖女を育成するのがここだ。
代理とはいえその長を任せるには、どちらも決め手に欠けている」
「お二方については、既に調べを済ませております。
こちらをご覧ください」
かさりと書棚から聞こえて、バーソロミューは本と共に一枚の羊皮紙を取り出した。
「やはり、アーノルドが適任か」
羊皮氏は懐に、本は書棚へと収め、バーソロミューは再び窓の外に目を向けた。
とうの昔に日は暮れ、法術、すなわち聖者と聖女のみが使える神の御業によって灯した明かりが石畳を照らしている。
決して明るいとは言い難い光の合間をトボトボと歩く少女の姿を目に留めたバーソロミューが、数秒黙り込んでから口を開いた。
「フュリスか。
成績は芳しくないと報告にあったな」
「はっ。
座学は兎も角、実技においても勤めにおいても最低の評価を受けております。
バーソロミュー様の推薦で入学した者ゆえ教師たちは口を控えておりますが、退学が相応しいとの噂もあります」
「あの娘は……いや、その評価は仕方あるまい。だが退学となるほどではないのだろう?」
「はっ。
座学では非常に優秀であり、勤勉な態度には好感を持つ者もいるようです」
バーソロミューはフュリスの姿が建物の陰に隠れるまで押し黙り、部下の報告に納得するように頷いてから、再び王都の夜景を見下ろした。
「出陣の手筈を整えねばならんな。仕事を片付けるとしよう」
「御意。これにて」
書棚の影から気配が消え、バーソロミューは執務のため机に戻る。
「フュリス、瀕死の重傷を負った男を救ったお前の力はどうした。
魔物を二度も退けた実力をなぜ隠している?
それとも、お前を見定めた私の目が節穴であったのか」
その呟きはペンを走らせるわずかな音にかき消され、誰の耳にも届かなかった。
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