異変

 人里離れた神社の境内。妖々ひとびとに忘れ去られた鳥居が月明かりに寂しく照らされている。


 ――そんな夜のしじまを切り裂く悲鳴。

「ぎゃあああああ!!隊服焦げる!!」

「この状況でよく服の心配できるね……」

 無論、私である。


 私と杏樹は任務でこの神社を訪れた。本部の報告によるとこの神社には多数のモノノケが居て、私達の前に送られて来た隊士達は例の如く一人も帰って来ていないとか反応が途切れてるとかなんとか。

 月鬼隊一人も帰ってこない率ちょっと高過ぎると思う。絶対に労働環境見直した方がいい。


「っわ、危なっ!」

 私はモノノケがまた放ってきた炎系の妖術を今度はのけぞって回避、ごめんなさいと心の中で謝りながら素早く刀を振るう。

 頸を切断されたモノノケが灰燼となってさらさらと宙に掻き消えた。


 これで三十六、いや七だっけ。もう数えるのも面倒になってきた。


 私は周囲に視線を走らせる。

 ぞろぞろと際限なく境内のどこからともなく現れる十体程のモノノケ。今まで私と杏樹が倒したのを含めるとその総数はとうに八十体を超えているだろう。


「流石にちょっと多過ぎじゃない?前の廃墟のとこでも精々五、六体くらいだったよね?」

 数十体とか言うからちっちゃいのがわらわら居るのかなぁとか思ってたけど、全然世間一般的な大きさのが本当に数十体居るだけだった。


「……そうだね」

 杏樹も妙だと思ったのか、いつもの平坦な声に若干の戸惑いを滲ませて答える。


「ここのモノノケ、最近すごい早さで数が増えてるみたいだ。それにほとんどが妖術を使ってくる。一体一体はそれ程じゃないけど、ここまで数が居ると面倒だね」


 そう、ここのモノノケ、何故かほぼ全部妖術を使えるのだ。等級自体は三等以下くらいだと思うけど、こうも四方八方から色んな妖術が飛んでくるとちょっとやりづらい。


「杏樹、前の猫ちゃんで一気にどかーんってできないの?」

「そうしたいところだけど、このくらいなら自分でやった方が早いかな。式神は温存しておきたいし」

 杏樹は言いながら圧巻のクナイ捌きで的確にモノノケを仕留めていく。


「確かにそうかも、っと!」

 地面がどろりと崩れ、泥でできた数多の手が私の足を掴もうと伸びてくる。


 私は上に跳躍してそれを躱し、一体を回し蹴りで蹴飛ばして近くに居たもう一体にぶつけた。


 二体のモノノケが折り重なって倒れるのを視界の端に捉えつつふと下を見ると、一体のモノノケが巨大な口を開け、鋭い歯をガチガチと鳴らして私が落ちてくるのを待ち構えていた。


「うわっ!?」

 咄嗟に振り下ろした踵がずむっとモノノケの顔面にめり込み、衝撃でモノノケ自体も地面に軽くめり込んで動かなくなった。


 危ない。食べられてお腹の中でじっくり消化されてくとか嫌な死に方番付上位三つには入る(個人の感想)。


 動かなくなったモノノケの脇に着地すると今度は別のモノノケが近距離から無数の斬撃を飛ばしてきた。


 低くしゃがんでそれを避けた私は低姿勢からその顎らしき部分を蹴り上げる。

 宙に浮いたところをすかさず左手で掴んで地面に叩きつけた。

 大地が地震のように揺らいで抉れる。モノノケはしばらくピクピクと痙攣していたけど、やがてがくりと力尽きた。


 もう生き残りは居ないかと周りを見回していると、背後から飛んできた四本のクナイが私が倒したモノノケ四体の脳天をストトトトと正確に貫いた。

 完全に事切れたモノノケの体がさらさらと崩れ始める。


「かがり様、とどめを刺すのも忘れないようにね」

 近くのモノノケを一掃し終えた杏樹がクナイを投擲してとどめを刺したのだ。


「あっ、そうだった」

 生身で戦うのに慣れ過ぎててつい刀があるのを忘れてた。私も月鬼隊になったんだから前と違ってちゃんととどめ刺さなきゃだよね。気をつけよう。


「これでこの辺のは全部だよね。それにしてもモノノケってこんなに一箇所に集まるものなんだね、前の廃墟もだけど」

 モノノケって一体で暴れ回ってる印象があったから意外だ。私が今まで発生したのが分かったらすぐに向かってたからかもしれない。


「……モノノケは基本、モノノケになった場所からそんなに動かないって言われてる。暴れる中で動くことはあっても、どこか目的地に向かって長距離を移動したりはしないって」

 杏樹は消えゆくモノノケを見つめながら口を開く。その端正な顔からは今、微かな戸惑いと猜疑のようなものが窺えた。


「それに、モノノケとモノノケの間には別に仲間意識みたいなものがある訳じゃない。ここまで多数で群れることなんてありえないんだ。星屑夜街みたいな瘴気の濃い場所なら別だけどあんな場所は滅多にないしね。まああそこも別に群れてるんじゃなくて、ただ瘴気に引き寄せられて来てるんだろうけど」


 でも、と杏樹は顔を上げ空気に溶けた何かを見定めるようにじっと薄闇に目を凝らす。


「ここの瘴気はそれ程濃くない。この場所自体は何の変哲もないただの神社なんだ。なのにこんなにモノノケが湧いてるってことは……」

「……この神社でモノノケになったひとがいっぱい居るってこと?」

「多分ね」

 杏樹は頷いた。


「え、だってそんなのおかしくない?この神社、そんなに大勢お参りに来るようには見えないんだけど……」

 私は広い境内を見渡す。あちこちに雑草が生えていて手入れなんてされてそうにないし、そもそもこんな辺鄙なところにある神社なんて誰も存在すら知らないだろう。

 こんなにここでモノノケ化するひとが居るなんてちょっと信じられなかった。


「それだけじゃない。報告だと四月の中旬にここで二体のモノノケが感知されて、この一ヶ月でここまで増えてる」

 二又の尻尾がゆらゆらと所在なさげに揺らぐ。暗がりに居る猫のそれのように鋭く光る目は、少しの油断も許さないとばかりに辺りの闇を見透かしている。


ひとはちょっとやそっと怒ったり悲しんだりしたくらいじゃモノノケにはならない。怒りとか絶望とかの負の感情が限界まで膨れ上がって抑え切れなくなって、自分の中に眠る妖怪に呑み込まれる……ある種の精神崩壊みたいなものなんだ。たった一ヶ月でこんな人数がモノノケ化するなんて明らかに異常だよ」


 段々と何の変哲もない神社の風景が異様なものに見えてきた。

 神様の棲む神聖な場所のはずなのに、何でこんなにも気味が悪いんだろう。

 そこここの暗がりに何かが潜んでいるような気さえしてくる。嫌な予感にじっとりと冷や汗が滲んでいく。誰かに耳元で囁かれた気がした――もう戻れないぞ、と。


「――この神社では、確実に何かおかしなことが起こってる。気をつけて進もう。もう境内にモノノケの妖力はそんなに感じられないけど、何が起こるか分からないからね」

 杏樹がちらりと一瞥すると、モノノケが消滅した後の地面に散らばっていたいくつもの魂晶とクナイとがふわりと浮いて杏樹の元へ集まってきた。


 杏樹はそれらを回収して粗末な石畳の参道を歩き出す。私も腰に佩いた刀の柄に手を添えていつでも引き抜けるようにしてその後ろを歩く。


 さっきまでとは打って変わって静まり返った境内に、かつんかつんと石畳を踏む私達の足音だけが響いている。


 手水舎の横を通り過ぎ、首から上が欠けた狛犬の像に見送られてしばらく歩く内に、本殿らしき建物が見えてきた。

 参道の両脇に並んだ紅い灯籠に一本ずつふっ、ふっと火が灯っていく。


「?」

 その時、本当に僅かにだったけど、私はぴりりと肌に嫌なものを感じた。

「……ねえ杏樹、なんか変な感じがしない?見られてるっていうか……」

「かがり様、上っ」

「へ?」


 ――チッチッチッチ、と言う奇怪な音が頭上から降ってきた。かと思うと、何やらきらきらとした粉のようなものが天から降り注ぐ。私は上を見ようとして――


「!?」

 体が動かなかった。古椿のモノノケの時みたいに時間が止まっているわけじゃない。なのに何で――


 弦の鳴る音。矢尻に焔を纏った矢が眼前に迫る。避けられない――


 瞬間、身体が動き出す。私は神速でのけぞってぎりぎりのところで矢を躱した。ばっと頭上を仰ぐと、醜く溶けたような見た目をした一米いちメートル程の巨大な蛾のモノノケがばさばさと宙を舞っていた。


 途端に赤と金の火花が弾け、モノノケが炎に包まれる。モノノケは燃え盛りながら地面に墜落し、やがて消し炭になった。


「……鱗粉がかかった妖の動きを数秒止める妖術だろうね。タチの悪い術だ」

 杏樹が焼き払ったみたいだ。矢を放ってきた方のモノノケも抜かりなく燃やされている。

 杏樹は肩口にささった矢を微かに顔を顰めて引き抜いた。傷口から血が流れる。


「杏樹、大丈夫!?」

「流石に全部は躱し切れなかった。このくらい何ともないよ、ほら」

 妖力で再生を早めたのだろう、傷は見る見る塞がっていき一瞬にして完治した。


「それにしても驚いたな。武器を使ってくるモノノケなんて初めて見たし、さっきの連携も息が合い過ぎてる。かなり理性が残ってたみたいだけど、何か理由が……」

「……」


 杏樹は弓矢の方のモノノケについて何か言っていたけど、私は黒焦げになって朽ちていっている蛾みたいなモノノケの方を見ていた。何故か目が離せなかったのだ。


 このモノノケ、どこかで。どこかで見たことがあるような――――


「きゃははっ」

 突然耳朶を打った嘲るような高い笑い声に、私と杏樹はばっと振り向く。


 一人の女の子が雲のようなものに腰かけ、上空から私達を見下ろしていた。

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