最強の妖

「……で、」

 杏樹は呆れたように嘆息する。


「何で薬買いに行くのに怪我してる本人が着いてくるかなぁ……」

「いい匂〜い! おじさん、串焼き一つ! あ、杏樹も食べる?」

「大丈夫」


 私と杏樹は常に夜市で賑わう紅宵郷の通りを歩いていた。杏樹が帰り際に薬屋に寄ると言うので着いてきたのだ。


「言っておくけど、薬だけ買ったら帰るからね」

「はーい、分かってまーす。ん〜、やっぱり屋台で食べるご飯って美味しいよね〜」

「ほんとに分かってるんだか……」


「ひっ、あ、あれ、“角無し阿修羅”だぞ……」

「月鬼隊に入ったって聞いたんだが」

「嘘だろ」「いや、でも肩に紋様が……」

「あんなのが正義の月鬼隊か」

「化け物が化け物を狩ってどうする」

「横のは猫又か?」「初めて見た」

「何故妖獣系の種族が月鬼隊なんだ?」

「“角無し”と一緒に居るんだ、どうせろくな奴じゃねぇよ」


 角を曲がって路地裏に入ると、道行く妖々ひとびとの喧騒と延々と繰り返されるお祭り囃子の音とが一気に遠ざかった。


 紅宵郷は裏路地やら階段やらが溢れた入り組んだ妖しい街並みをしていて、こういうところを散策するのも私のかつての趣味の一つ、っていうより暇潰しだった。その後どこから入ってきたのかもどこから出ればいいのかも分からなくなるまでがお約束である。


「そういえば薬を売ってるお店なんてあるんだね。普通のひとなら妖力で何でも治せちゃうんじゃないの?」

 階段を下りつつ杏樹に訊いてみる。


「妖力を消耗してて回復ができない時とかに一時的に使うんじゃない? あと別に傷薬だけじゃなくて風邪薬とか特定の病気に効く薬とか、薬草なんかも売ってるんじゃないかな」

「えっ、風邪とか病気って妖力で治せないの?」

 初耳である。普通のひとは何でもかんでも一瞬で治せちゃうんだと思ってた。


「怪我を治せるのも、あくまで自分の妖力で自然治癒力を高めて再生を早めてるだけだからね。同じ種族の妖力でもそれなりにできないことはないらしいけど……あ、ここかな」


 杏樹が一軒のお店の前で足を止めた。扉の前に赤地に白で『薬』の一文字が書かれた布が提がっている。このお店で間違いなさそうだ。


 杏樹が格子戸に手をかけて横に引くと、それはがたぴしきしっと悲鳴のような音を立てて開いた。からんからんと来店を知らせる小さな鐘が暴れる。

 

 橙の灯が揺れる店内に足を踏み入れると、香炉から漂う青い煙がふわりと鼻先を掠めた。


 左右の壁の備え付けの棚では、奇怪な形をした動物の角やら何かの宝石の原石やら、色んな妖しげな物達がひしめき合っている。


 杏樹が入ってきた戸を閉めようとすると、

「ああ、閉めなくていい」

と前から響いた声がそれを制した。


「どうも立て付けが悪くてな。どうせまた開けるんだ、そのままにしてくれて構わん」

 巨大な百味箪笥を背に、一人の男のひとが勘定台に肘をついてゆったりと佇んでいる。


 お札やら鈴やらが沢山ついた奇妙な笠を被っていて、その顔はほとんと見えない。


 男のひとが居住まいを直すと、ちり、と笠についた鈴が微かな音を立てた。


「――いらっしゃい。どんな薬がご要り用で」

 杏樹が半歩前に出た。

「傷薬が買いたいんだけど、置いてるかな」

「ないことはないが、珍しいな。使うのはそっちの嬢さんか」

 男のひとの視線が私に移るのが分かった。


「随分と新しい傷だな。まだ二、三十分ってところか。……へぇ」

 一瞬、笠の向こうの瞳と目が合った気がした。何でか分からない――何でか分からないけどちょっとぞっとして、私は思わずじりっと半歩後ずさる。五月の夜、たいして暑い訳でもないのに何故だか冷や汗が止まらない。


 男のひとがふっと視線を外すと同時に、嫌な感じはしなくなった。

「二人とも月鬼隊か。若いのに御苦労さん」

 男のひとは「ちょっと待ってな」と立ち上がると背後の百味箪笥の引き出しの一つを開け、取り出した小さな紙の袋を杏樹に手渡した。


「ありがとう」

 杏樹が代金と引き換えにそれを受け取る。

「……はい、確かに。お勤め頑張れよ」

 笠の鈴がちり、と揺れた。


 店の外に出て引き戸を閉める。からんからんと鐘が暴れて客の退店を知らせた。


 しばらく歩くとすぐに元の大通りに出た。

「かがり様、やけに静かじゃなかった? やっぱり傷が……」

 杏樹が控えめに顔を覗き込んでくる。

「あっ、ううん、大丈夫!」

 一瞬のことだし、気のせいだろう。これ以上杏樹に心配かけるのも申し訳ないし。


「よ〜し、帰ろ帰ろ〜! あ、見て見て杏樹、このお店可愛い!」

 私は杏樹を安心させようと元気二割増しくらいで歩き出す。

 指差す先には煌びやかな櫛や簪が並ぶ装飾品のお店。店先では綺麗な鬼の女のひとが「簪ー! 簪はいらんかねー!」と呼び込みをしている。


 そういえば茶々ちゃんも可愛い髪飾り付けてたなぁと思い出しながら杏樹の方を振り向くと、杏樹は何やら思案顔で並んだ商品を見ていた。


 へー、杏樹もこういうの興味あるのかな。確かに私よりも全然似合いそうだけど、なんて思っていると杏樹はすたすたとそのお店の中に入っていき、ややあって「毎度〜!」の声と共に戻ってきた。


「え、杏樹何か買ったの? 見せて見せて!」

「ん。かがり様、ちょっと動かないでね」

「?」

 杏樹が頭に手を伸ばしてきたかと思うと、ぱち、と音がして何かが髪に留められた。


「はい、いいよ。あそこに鏡あるから見てきて」

 頭の上に疑問符を浮かべつつ、言われた通り骨董品屋の店頭に掛けられた姿見に自分の姿を写す。

 

 鏡の中では驚きに目を丸くした私。その肩までの赤みがかった茶髪には今、小さな彼岸花の髪留めがちらちらと赤く煌めいていた。

 繊細に形作られた彼岸花と揺れる小さな赤い宝石が綺麗な髪留めだ。


「え、これ……」

「かがり様が欲しいのかなと思って。似合いそうなの選んだつもりだったけど、気に入らなかった?」

 杏樹は何気ないことのように言う。

 感激のあまり肩がぷるぷると震える。

「めっ、滅茶苦茶嬉しい……!! 家宝にします!!」

「髪留めなんだから髪に付けなよ……」

 杏樹が呆れたように笑う。


「えへへ、どう杏樹、似合ってる?」

「うん、僕は似合ってると思うよ」

「んふふふふふふ」

「何その笑い方」


 思わず足取りが弾む。唇がにやにやと弧を描く。

 初めてありがとうって言われたり、初めて心配されたり、初めて贈り物を貰ったり。

 月読になってからの私の生活は、沢山の『初めて』でいっぱいだ。その何気ない一つ一つが途方もないくらい嬉しくて幸せで、こんな日々がずっと続けばいいのにって、本気でそう思ってしまう。


「――杏樹」

「何?」

「杏樹が相棒で良かった!」

 隣を歩く杏樹にそう伝えると、杏樹はその口元を少しだけ綻ばせた。

「……それはどうも」

「あ、いつもみたいに『あくまで側近』って訂正してない!さてはやっと相棒って認めたね!」

「……めんどくさ」

「あー、今めんどくさいって言った!側近のくせに生意気な!」

「さっきは相棒って言ってたくせに……」

 

 私達は並んで言い合いながら歩いて行く――私達の家に帰るために。


 紅宵郷の夜は今日も紅く更けていく。


         ◇◆◇


 からんからん、と退店の鐘の音。

 薬屋の男は小さく嘆息し、ぽつりと言葉を零す。


「……月鬼隊、か」

 本当に、御苦労なことだ。

 斬っても斬っても沸く胡乱な化け物と来る日も来る日も死闘を繰り広げる。正気の沙汰じゃないなと男は思う。


 それにしても、と男は先程の二人の客の姿を思い返す。


 猫又の坊主の方もかなり特殊な部類だが、あの妖力を全く持たない赤目の娘。


 今までかなりの数の妖を見てきたが、妖力零の妖なんて見たことも聞いたこともない。そもそも存在するのさえ知らなかった。

 男の勘が告げている。――あれは厄災だ、と。


 加えてあの肩の紋様。月鬼隊の階級は紋様の月の月齢で分かるようになっている。

 あの娘の紋様は完全に満ちた丸い月。

 ――月鬼隊の最高位、つまりは紅宵郷最強の妖。月読の証だ。


「……さて。如何どうしたもんかな」

 男の笠の下から覗く瞳が鋭く光った。



 ――一方、盈月城にて。


 一人の妖が廊下を歩いていた。

 高い位置で一つに結った蒼い髪。髪と同じ色をした氷のように澄んだ瞳。くの一の如き風体と尖った長い耳が印象的な覚の妖。

 三代目国主・鬼灯酔の付きびとである氷崎郡だ。


 どこへ向かっているのかというと、例の如く主人の元である。いつもなら自室でぐーたら酒に溺れている(ように見える)主人だが、ここ数日は(酒浸りなのは変わらないが)城のとある一室に篭りっきりなのだ。それは――


 郡は一つの部屋の前で足を止めた。厳重に封印がかけられその上鎖と錠前まで付いた重い木の扉。その外から声をかける。

「氷崎です。ご報告に参りました」

「ん、郡か。入って良いぞ」

 扉越しのくぐもった声と同時に封印が解かれる気配。鍵穴のない錠前ががちゃりと外れ、郡は扉を押し開けて中に入る。


「失礼します」

 そこは巨大な書庫だった。夥しい数の巻物や書物が貯蔵された、間違いなく紅宵郷最大と言える書庫。


 その巻物やら書物やら酒の空き瓶やらが大量に散乱する床の上で、五歳程に見える白髪の少女がごろりと寝転び何かの文献を熱心に読んでいた。


 この少女こそが郡の仕える御仁、三大悪妖怪と名高い鬼の頭領。今代の酒呑童子である。


「かがり隊士と杏樹隊士が一等の討伐に成功したそうです」

「やはりな」と少女が顔を上げずにふふんと笑う。

「二人とも儂が見込んだだけある。言った通りじゃろ?儂の目に狂いはないとな」

「そうですね」


 正直、郡はこの知らせに驚いていた。何人もの十六夜などの高階級の隊士を葬ってきたあの山の一等を、杏樹隊士がついているとは言えどまさか本当にあの妖力のない少女が倒してしまうなんて。

 加えてあの二人は“星屑夜街”の掃討や魂晶強奪の常習犯の捕縛など、就任してからたったの二週間で目覚ましい戦果を上げている。やはり主人の目は本人が言う通り確かなのかもしれない。


 それはそうとして。郡には主人に訊きたいことがあったのだ。

「……酔様。まだお調べになられているのですか。――かがり隊士について」

 そう、主人が最近この書庫に籠ってありとあらゆる文献を読み漁っている原因。それはあの妖力零の少女なのだ。


「うむ。かがりにはここ二年間の記憶しかないらしくてな、出自が全く分からんのじゃ。年は肉体の成長具合からして十四程度だと思うが、目立った特徴もない上に妖力がないから水晶も使えんと来た。手掛かりが少な過ぎて何の妖なのかなかなか判断がつかん」

 主人は文献に目を落としたまま言う。


 水晶、というのは盈月城の妖具庫で保管されている妖具の一つで、妖力から何の妖なのか判別するための道具である。主人はあの少女がなんの妖なのか調べているのだ。


 それにしても、何故主人はそんなにあの少女に執着するのだろうか。郡はお目見えに来た際のかがりの様子を思い出す。


 郡は覚の妖だ。近くの妖の心を読むことができるのだが――あの少女は、驚く程心の声と話すこととが同じだった。あそこまで素直でまっすぐな妖は滅多に居ない。思わず応援したくなる気持ちは分からないでもないが、それでもここまで入れ込むとはどうしたことか。


 相変わらず主人の考えていることはさっぱり分からない。何故か覚の能力を以てしてでもこの老獪な幼女(に見せかけた嫗)の心は全く読めないのである。


「あ、今ババアって思ったじゃろ。許さん」

「思ってませんが」

 逆にこっちが心を読まれる始末。恐ろしいひとだ。


「まあとっくに見当はついてるんじゃがな」

「!……左様ですか」

「ふふん、儂の頭脳を以てすればこのくらいお茶の子さいさい、一晩で焼酎を七本空けるよりも簡単なことじゃ」

「空けたんですか?七本」

「そっ、そそそそんなことしてないが?」

 目を泳がせる主人の周りに散らかる大量の空き瓶が動かぬ証拠である。


「いくらなんでも呑み過ぎです。これは没収させて頂きます」

「そんなぁ!」


「それで、かがり隊士は結局何の妖なんですか」

 まだ口の開いていない瓶を回収し、「ううう……郡の人でなし……」といじける主人に尋ねると、主人は嘘泣きをやめて(やはり嘘だった)意味ありげな微笑を浮かべた。


「――郡。お主は“最強の妖”とは何の妖だと心得る?」

「……最強、ですか」

 会話が飛躍し過ぎていて理解が追いつかない。いつも通りのことである。主人の頭の中ではいつだって自分には到底理解できないような思考が巡らされているのだ。


「酔様のような三大悪妖怪ではないのですか」

「そういう考え方もあるな。最強とは一つに限らん。各人が思い浮かべた分だけ“最強”は存在する、というのが儂の持論じゃ」


 主人はすっと目を細め、文献の挿絵を撫でる。郡もつられてその古びた絵に目を落とした。あれは確か、この世界・彼岸の歴史をまとめた秘蔵の巻物だ。


 この角度からではよく見えないが、そこに描かれているのは白い女の絵のように見えた。


 月を背景に佇む、この上なく美しい一人の女。風に靡く白い長髪、纏うのは彼岸花があしらわれた純白の――かつては純白であっただろう、悍ましい量の返り血を浴びて赤く染まった着物。その目はこの世ならざる赫色に輝いている。


 その横には掠れた筆文字でこう綴られている――『曼珠沙華の変』と。


「――その理屈でいくなら、かがりは間違いなく“最強の妖”じゃよ」

 主人の口元がくくっと愉悦に歪む。

 書庫の小さな窓から望む月は、巻物に描かれているそれと同じぐらい美しかった。

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