花と輪廻

 土煙が薄れ、私は目を開く。

「かがり様」

「杏樹!」

 私は杏樹に駆け寄る。杏樹は足元を見下ろした。

「……この様子だと、上手くいったみたいだね」


 杏樹の視線の先には、胸から下を木の幹に押し潰されたモノノケが居た。流石の一等でも体を潰されてしまえば最早回復する気配はなく、前の縊鬼みたいに体が少しずつ灰のようになって消えていっている。


 モノノケはしっかり傷を負ってるけど、私にも杏樹にも罰とやらが下ってる様子はない。どうやら作戦は成功したみたいだ。


 安心して息を吐きたくなるのと同時に、消えゆくモノノケを見ていると何だか情みたいなものが湧いてきてしまった。


 分かってる。このモノノケは沢山のひとを傷つけた。可哀想なんて思ってたらこのモノノケの被害を受けた妖達ひとたちが報われない。でも、だからといって『倒してやったぞー!』って喜ぶのもちょっと違う気がする。


 私は複雑な気分でモノノケが朽ちていくのを見つめていた。


「……?」

 ふと、モノノケが何か喋ったような気がした。私はモノノケの前にしゃがみ込む。


『……ゥる゛し、ク』

 モノノケが、弱々しい小さな声で呟く。


『やく、ソ、く』

 モノノケが手を伸ばしてくる。その手には、色褪せてぼろぼろになった花が握られていた。見たこともない花だった。昔は綺麗な蒼色だったのかもしれない、氷みたいな花。

 私はそれをそっと受け取ろうとして、


 ――指先が、その花に触れた。


 瞬間、途切れ途切れの映像が私の頭の中に目まぐるしく流れ込んで来た。


 花畑。誰かが座っている。近くに居るのに、その姿はぼやけてよく見えない。そのひとと約束を交わした。小指と小指で指切りをする。


 場面が切り替わった。

 どこかの集落か何かの入り口。そのひとが大きな荷物を背負って遠ざかっていく。


 また場面が切り替わる。

 滅茶苦茶になった集落の中を必死に走る。地面には積み重なったみんなの屍。訳が分からなかった。死にたくなかった。ただあのひとに会いたかった。


 私は。わたしは――……


「――さま。かがり様?」

「……え」

 気づけば、杏樹が驚いたような顔で私を見ていた。頬を生温い雫が伝っている。


 私は何故か泣いていた。


 見ればモノノケも花ももう跡形もなく消えていた。


 今のは何だったんだろう。さっきのモノノケの記憶とか?もしそうだとしても何でそんなものが見えたんだろう。実はよくあることだったりするんだろうか。


「かがり様、大丈夫?」

「あ、うん。へーきへーき。何でもないよ」

 私はごしごしと目元を拭い、笑ってみせる。


「それなら良かったけど……」

 杏樹は少し戸惑ってるみたいだったけど、ふと思い出したようにモノノケの消えた後に残った魂晶を拾い上げた。椿の花の色をした魂晶は私が今まで見たものの中で一番透き通っていて、中で細かな金色の粒子が星みたいに煌めいていた。


「――間違いなく一等だ。これで任務は達成だね。お疲れ、かがり様」

「……」

 任務を無事に達成できた。しかも一番上の等級のモノノケ。嬉しい。確かに嬉しいんだけど――……


「ねぇ、杏樹」

「?」

「モノノケってさ、今みたいに消えちゃったらどうなるの?その後っていうか」

 杏樹は少しだけ目を丸くした。まあ急にこんな質問されたらびっくりして当然だよね。


「……これは、モノノケに限らない話だけど」

 杏樹はややあって、訥々と話し出す。


「元々彼岸に一つしか存在しない高位の妖怪……“神殺かみそぎ”って呼ばれる妖怪の魂は巡る。酒呑童子、大天狗、九尾ノ狐の三大悪妖怪なんかがそうだ」


 かみそぎ。初めて聞く言葉だ。


神殺かみそぎの魂を宿した妖の肉体が朽ちると、巡り巡っていずれまたその魂を宿した妖が生まれてくる。だから今の国主様は三代目酒呑童子なんだ。っていっても別に前の人格が受け継がれたりする訳じゃないらしいけどね」


 杏樹は掌の上の魂晶に目を落としたまま言う。


「――でも、それ以外の妖の魂は、肉体が朽ちればそれで終わりだ」


 杏樹の鴉の濡れ羽色の髪が、さらさらと夜風に靡く。

「死んだ妖の魂はしばらくその場所に留まるけど、時が経つにつれて風化してやがて消えるって言われてる。……一度モノノケになった妖は、もう元には戻らない。霊魂に直接干渉することができれば違うかもしれないけど、そんなのもう神の領域だからね」

 杏樹は口調こそ淡泊だけど、その目はモノノケに対する確かな憐憫を帯びていた。


 杏樹の慈悲深い月の光のようなまなざしが私に向く。

「かがり様が気に病むことはないよ。モノノケになる妖が居るのは仕方ないことだし。僕達にできるのは、一体でも多くのモノノケを苦しみから解放してあげることだ。……僕はちゃんと役目を果たせてるかがり様は、何て言うかこう、立派だと思うって言うか……」


 杏樹は後半、慣れない異国の言葉を話すようにたどたどしく言葉を紡ぐ。それで私はやっと杏樹が気遣ってくれていることに気づいた。


 いつもはまるで炎使いとは思えないくらい無気力そうで冷淡そうに見えるのに、見かけよりずっと情に厚いのかもしれない。

 思わずぶわぁぁぁっと涙が込み上げてきた。

 

「あ、杏樹〜〜〜!!」と私は杏樹に抱きつく。

「私にはやっぱり杏樹しかいないよおお!!」

「ちょっ、かがり様離れて……いや力強っ!?かがり様痛い!骨折れる!背骨折れるから――って、」

 くっつく私を必死に引き剥がそうとしていた杏樹は、ふと何かに気づいたように動きを止めた。


「……かがり様、顔」

「え、何かついてる?」

「……血が。血が出てる」

 顔を触って確かめる私に、杏樹は豆鉄砲どころか火縄銃を食らった猫のような顔をして呟く。


「へ?」

 私は自分の体を見下ろしてみる。自分では気づいてなかったけど、あちこちが花びらに切られていて隊服もちょっとぼろぼろになっていた。


「こんなの文字通り薄皮一枚だよ、私はいつも通り元気いっぱ」

「そういう問題じゃないから。かがり様は妖力で治癒再生ができないんだから手当てしなきゃでしょ。ほら早く帰ろう。でも薬なんて滅多に使わないから家にも置いてないかな……ああもう、自分の妖力か同じ種族の妖力かじゃなきゃ回復はできないんだよね、そもそもかがり様何の妖なのか分からないし。僕は途中で薬を買って帰るからかがり様は先に、――かがり様?」


 杏樹はこれまでにないくらい動揺していた。そうまくし立てると少しでも早く家に帰ろうというのか早足で歩き出し、背後の私が着いてきていないことに気づいて振り向く。


「もしかして歩くと痛い?良ければ背負っていくけど」

 杏樹の本気で心配している顔に思わず笑みが零れる。


 こんな風に誰かに心配してもらったことなんて、今まで一度もなかった。茶々ちゃんにお礼を言われた時みたいに、胸が幸せでいっぱいになっていく。


 だから私は、弛む口元を抑えられないまま、人生で初めての我儘を口にした。


「えへへへ。……うん。おんぶして!」




 数分後、「見た目の倍くらい重い」という理由で結局自分で歩かされることになるのはまた別の話。


 そういえば私って何の妖なんだろう。不意にそんな疑問が頭に浮かんだけど、すぐに忘れた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る