ゆびきりげんまん
花びらが宙空でぴたりと動きを止める。風が止む。葉擦れの音が聞こえなくなる。
物理的に時間が止まっているのだ。指一本動かせず、私と杏樹は立ち尽くす。
――いたい。いたいよぉ。
頭に直接語りかけてくるような気味の悪い声だけが、止まった世界に響いている。
――いたくしないで。
――ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます。
ゆびきった、と声が耳元で囁いた。
止まっていた時間が何事もなかったかのように流れ出す。花びらが動き出し、風が隊服の裾を揺らし、葉擦れの音が鼓膜に戻ってくる。
「な、何今の……!?っていうか、何であんなに元気そうなの!?あんなに飛んでったのに」
モノノケの植物でできた体は枝の間を飛んでいったからか折れた小枝が刺さっていたりとちょっとボロボロになってるけど、たいした傷じゃなさそうだ。なんて観察してる間に元通り再生した。
「かがり様に殴られる寸前に蔓で自分を強く引っ張って飛んでいくことで直撃したように見せかけたんじゃないかな。それとかがり様、右手を見て」
「手?」
杏樹に言われて自分の右手に目を落とすと、小指に真っ赤な細い糸がくくりつけられていた。
「何これ!?」
掴もうにも実体がないのか触れない。ぶんぶんと手を振ってみてもとれない。糸の先はモノノケに繋がってるみたいだ。
杏樹は私と同じ小指に絡みついた糸を見下ろす。
「やられたね。僕達はあのモノノケに何かしらの妖術をかけられたんだよ。この感じは固有妖術だろうね。この糸は術にかかってるっていう目印ってことみたいだ」
「固有妖術ってどんな!?」
「それが分からないのが固有妖術の面倒なところなんだよね……でも、ある程度の予想はできる」
杏樹は顔を上げてその瞳にモノノケを映した。
「指切りは約束の儀式。僕達に約束……何かの条件を課すものだと思う。でもどんな……!」
そこで杏樹が何かに気づいたように目を僅かに見開いた。杏樹の唇の端がみるみる吊り上がっていく。
「……そうか。なるほど。これはまずいな」
「分かったの!?」
「かがり様。多分僕達はもう、あのモノノケに攻撃することができない」
私は思わず息を呑む。
「それって――私達はもうあのモノノケに攻撃することができないってこと?」
「だからそう言ったんだけど!?」
「ごめん、よく分かんない! えへっ!」
杏樹はため息を一つ吐いて説明し出す。
「確証はないけどね。さっきの『いたくしないで』っていうのが僕達に課せられた“条件”だとすると、僕達はあのモノノケに痛みを与えない……言い換えれば攻撃しないっていう約束を結んだってことになる。ここまではいい?」
「うん。何とか」
「そして、」と杏樹は赤い糸を結ばれた小指を立てた。
「指切りには約束を破ったら針を千本呑ませるって言葉がある。僕達が約束を破って攻撃したら強制的に罰が与えられるってことじゃないかな。どこからが攻撃って判定になるのかちょっと微妙だけどね」
「え、じゃあ攻撃したら針千本呑まされるってこと!?」
杏樹はゆらりと顔を上げ、モノノケに視線を送る。
「……針千本で済めばいい方じゃない?」
赤と琥珀の四つの瞳を向けられ、モノノケは微かに首を傾げた。そのまま傍らの髑髏に手を伸ばし、無表情に撫でる。無垢で、無知で、純粋な残虐さ。確かに針千本以上の罰があってもおかしくはなかった。
「攻撃しちゃ駄目って……え、だってそれじゃ倒せないじゃん……!」
相手を自分の好きなように縛る桁外れの異能。あまりにもタチが悪い。
「そうだね。まあここは、」
杏樹は懐からクナイを二本取り出して両手に構えた。
「一度攻撃してみて罰がどの程度のものなのか確かめるのが手っ取り早いかな。当たらなかったら攻撃には入らないのかとかも気になるし」
「え?」
そう言うと杏樹は大地を蹴って駆け出そうとし――
「ちょっ、杏樹待って!!」
「ふぎゃッ」
寸前で私が尻尾を掴んで止めた。
「かがり様何してるの!? 神経に直に衝撃が来たんだけど!?」
杏樹の尻尾の毛はぶわっと逆立ち、猫耳はきっと横を向いている。(※猫の尻尾には神経が通っていて引っ張ると内臓の病気になることもあります。絶対にやめましょう)
「ごっ、ごめん……でもそれはこっちの台詞だよ! 攻撃したらどうなるか分かんないって話だったのに何で攻撃しに行くの!?」
「依代はさっき陽動に使った一体しか持ってきてなかったからね。自分で行くしかないよ」
杏樹は当たり前のように言う。
「だからそうじゃなくて! 怪我するじゃん!」
「妖力ですぐに回復できるから大丈夫だよ。かがり様はここで待ってて」
「でも、痛いものは痛いでしょ!」
「……は?」
杏樹は驚いたように猫みたいな目を丸くする。
「杏樹が怪我するのは杏樹が良くても私が許さないから! とにかく攻撃は絶対にしないで! 命令!」
「…………分かったよ」
ぽかんとしていた杏樹は、ややあって仕方ないという風にぽいぽいとクナイを地面に放り捨てた。
「でもどうするの? 罰を承知で攻撃する以外であれを倒す方法、僕には思いつかないんだけど」
「うーん、確かに私もッ!?」
その時突然地面からにょきにょきと伸びてきた巨大な蔓が、鞭のようにびたあああん!!とさっきまで私達が立っていた地面を叩いた。地面が蔓の形に凹む。
考えてみれば私達が作戦会議してるのをモノノケがのんびり見守っていてくれる訳がなく、そこから怒涛のような猛攻が始まった。押し寄せる花吹雪、倒れてくる大木、暴れ狂う太い蔓。
「うわわわわわどうしよう杏樹!?」
かけられている固有妖術のせいで避けることしかできず、私は必死で飛んだり跳ねたりして襲いくる大木や蔓を回避する。足元から伸びた植物が足に絡みついて邪魔してくるけどただひたすらに避ける。もう滅茶苦茶だ。避けようがない花びらは杏樹が私を囲うように展開してくれた炎の渦で防いでくれてるのがせめてもの救いだけど、このままじゃジリ貧っていうやつだ。
混沌の渦の中で杏樹がぽつりと呟く。
「……あのモノノケ。かがり様に殴られて吹っ飛んだ後、何で体が傷ついてたんだろう」
「何でってどういうこと!?うわっ」
私は蔓を躱しながら杏樹に聞き返す。
「植物を好きに操れるなら、木々の中に突っ込んだからっていっても、枝とかで傷ができて体がボロボロになるなんてことはないと思う。木を操って緩衝材みたいにするなり何なりできたはずだからね」
確かに。戻ってきてまた椿の木の下に座っていた時、(すぐに回復してたけど)モノノケの体は枝が刺さってたりと少し傷がついていた。植物が操れるのに植物で怪我を負うなんて妙な話である。
「可能性があるのは――」
杏樹は驚いたことに自分の体を囲う炎の渦を一瞬だけ解除し、自分から花吹雪を浴びた。再び渦を展開し、杏樹は握った手を開く。そこには数枚の花びら。どうやら花びらを回収するために少しだけ花吹雪を食らったらしい。
「この花びら、初めから硬化されてるみたいだ。それに単体じゃ攻撃してこない。多分この花吹雪は、まず咲いている花の花びらを硬化してよく切れるようにした後で、風の普通妖術で飛ばしているだけなんだ。別に花びらを操っている訳じゃない」
「!ってことは――」
杏樹は頷く。
「このモノノケの植物操作の妖術は、地面に根を張っている植物じゃないと操れないんだ」
ぴかっと頭上で稲妻が閃いたような気分だった。
「そっか、だからずっと座ってるんだ」
「うん。地面に触れていないと妖力を流せないからだろうね」
花びらは咲いている時に妖力を流して花びらを硬化して風で操る。地面に触れていなかったから木を操ることができず枝が刺さる。
点と点が線で繋がったとはこういうことを言うんだろう。
「なるほど、そういうことかぁ。で――結局どうやったらあれを倒せるのぉぉぉっ!?」
私は必死に身を捻って巨木を回避しつつ叫ぶ。
あのモノノケが植物が地面に生えていないと操れないにしても、今私達が一方的に押されているのは変わりない。こっちは攻撃できないのに、どうやったらあのモノノケを倒せるんだろう。さっぱり分からない。
「その性質を利用する策を、一つ思いついた。倒せるかどうかは一か八かってところかな。……かがり様」
杏樹の紅宵郷の十六夜の月みたいに煌めく瞳が私を射抜く。いつもの仏頂面とは打って変わって、不敵な微笑みを口元に浮かべた杏樹が言う。
「――手を貸してくれる?」
つられて私も口角が上がるのが分かった。
「――もっちろん!!手でも足でもどんと来いだよ!」
だって私は月読だから。紅宵郷を守る月鬼隊の一人だから。例え上手くいかない確率が九割九部だって挑んでいかなきゃいけないのだ。一か八かの二分の一を怖がってなんて居られない。
「それは良かった。かがり様には、――――――。無茶なのは承知の上で頼みたいんだ。出来そう?」
杏樹の語る策は、確かに危うい作戦だった。もし予想が当たればあのモノノケを倒せるかもしれないけど、外れたら私達は攻撃をした罰を食らうことになる。
「うん。やってみよう」
それでも、私は迷いなく頷いた。
「かがり様。もしかしてだけど、震えてる?」
杏樹が小さく笑いながら言う。私の握った拳は、確かに小刻みに震えていた。
「ううん。――これは、武者震いってやつ!!」
私は言うなり、抉れるくらい強く地面を蹴って高く高く跳躍した。同時に杏樹が私を守ってくれていた炎の渦をふっと消し去る。
モノノケの近くの地面から何本もの悍ましいぐらい巨大な蔓が生え、わっと広がって私に手を伸ばしてくる。空中に居て逃げることのできない私は――その内の一本を踏んでその上を駆け出した。
何本もの蔓の上を飛び移り、私はモノノケに向かってひたすらに駆けていく。花吹雪が吹く方向を変えて私の背後から迫っているけど、今は私が走る速度の方が速い。
ある程度走ったところで、私は蔓の上から斜めに飛び降りる。このまま行けば上手くモノノケが座る椿の丘の上に落ちるだろう。
モノノケは天から降ってくる私を見上げながらも、防御はしようとしない。もし妖術にかかっている私が攻撃すれば罰を受けることになると分かっているからこその無抵抗なんだろう。でも、それが杏樹の狙いだった。
『かがり様には――』
私は落下しながら宙空で身を捻って、杏樹に言われた通り、モノノケ――の傍らにそびえる椿の木の幹の中程に、全力で後ろ回し蹴りを決めた。
「そいやっ!!」
『あの椿の木を折って欲しい』
でも、これでいい。折れた木の幹は、吹き付ける花吹雪に押され――ぐらりとモノノケの方に傾いて落下していく。
根に繋がっていない折れた木なら、植物とはいえこのモノノケは操ることができない。
私が折った椿の木。でも、モノノケの方に傾けたのはモノノケ自身。これが私の攻撃になるのかどうかは賭けだ。そして、この作戦に賭けはもう一つある。
モノノケは降ってくる椿の木を見て、咄嗟に地面に妖力を込めようとする。蔓や木を生やして防御するつもりだったのかもしれないけど、それは叶わなかった。
モノノケが座る地面はいつの間にか凍てつき、薄く氷が張っていた。モノノケの地面と接している部分も全て凍っている。
「……やっぱり炎系以外は苦手だな。使えないことはないけど」
杏樹が氷系の普遍妖術で、モノノケにバレないように少しずつ地面を凍らせていたのだ。植物の体では冷たさに気づけなかったのかもしれない。
「まさか、これが痛いなんて言わないよね」
杏樹はモノノケと目を合わせて言う。モノノケの一部を地面ごと凍らせるのは、例えモノノケの体が傷つかなくても攻撃になるのかどうか。これが二つ目の賭け。
一か八か。
月光を遮る椿の木の影が大きくなっていく。モノノケは身じろぎすらせず、それをただ空虚に見上げていた。
そして。
ドゴォォォォォン!!!!という重い衝撃音。
地面が大きく揺れ、凄まじい土煙が立つ。頬を叩く風に私は思わず目を瞑った。
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