古椿

 夜空に無数の花びらが舞い上がるその幻想的な光景に、私は束の間目を奪われ――不意に、頬に鋭い痛みが走った。

「いたっ」

 何の気なしに頬に触れると、何かぬるりと生暖かい液体が指につく感覚。


「――ぇ?」

 何故か頬から血が出ていた。


 今度はピッと足に痛みが走る。小さな花びらが足を掠めていったのだ。それだけで皮膚に赤い線が走り、そこからつーっと赤い血が流れる。


「え、何、これ」

「下がってかがり様」

 見ると、巻き上げられた花びらが一気にどうっと私達の方へ押し寄せてくるところだった。


 杏樹がさっと手を振ると、夜空を赤く染める炎が花びらの群れを焼き払った。

 それでも星の数ほどの花びらの全てを焼くことはできず、大量の花びらはなおも途切れることなく襲いかかってくる。


 杏樹が吹き荒ぶ花吹雪に掻き消されないように声を張り上げる。

「これじゃ切りがない!一旦退こう!」

「うんっ!!」

 私と杏樹は全力で走って花園にぽつんと生えていた太い木の裏に滑り込む。花びらが幹に突き刺さるのを見て思わずひえ、と声が漏れた。


「花びらって普通こんな刃物みたいに肌が切れるものじゃないよね!?殺傷能力高過ぎない!?」

「……古椿ふるつばき。確か花を操る種族妖術を使う妖だよ」

 杏樹はモノノケから視線を外さずに言う。

「参ったな。こんなに花があるようじゃ完全にあっちの土俵だ」

「うーん、あっ、じゃあ花を全部燃やして更地にしちゃえばいいんじゃない?」

 花を燃やしちゃうのは心苦しいけど、この際仕方ない。

「そうしたいところだけど、それをあれが見過ごしてくれるか――」

 杏樹の猫耳が何かを感じ取ったかのようにぴくりと動いた。


「離れて!」

 本能的に危険を感じた私はすぐさま木から飛び退く。

 瞬間、私達がさっきまで隠れていた木の枝がわっと伸び広がり、地面にズドドドド!!と突き刺さった。


「あっ、あばばばばばば」

「かがり様大丈夫!?」

 ちょっとでも遅れてたら死んでた。あまりの恐怖にまともに喋れなくなっている私に杏樹が声をかける。


 モノノケはと見ると、相も変わらず椿の大木の下にぺたんと座っていた。その周囲からいくつもいくつも新芽が芽吹き、一瞬にして若木は大木になり蕾は花になっていく。まさににょきにょきという表現が相応しい成長速度だ。


「花以外の植物も操れて、いくらでも新しく生やせる……一等にしても規格外過ぎるでしょ」

 杏樹が信じられないというように引き攣った笑みを浮かべて言う。


「そんなの絶対近づけないじゃん!どうすればいいの?」

「……僕が注意を引く。――【六道猫神りくどうびょうじん修羅道しゅらどう】」

 

 杏樹があの猫人形を放ると、一瞬にして前とは違う巨大猫が現れた。三つ目とか二又の尻尾とか透けているところとかは一緒だけど、前の猫ちゃんよりも紅く、毛並みを逆立てて怒っているように見える。


「抗え」

 巨大な猫ちゃんは高い雄叫びを上げ、猛然とモノノケに突っ込んでいく。

 花吹雪が襲いかかっても速度を落とさず、モノノケに向かって一直進に驀進していく。数多の大木が生えて進路を塞ごうとするが巨大な前足で薙ぎ倒してなおも駆ける。


 このままその牙がモノノケの喉元に届くんじゃないかと思ったけど、寸前でわっと広がった植物の蔓がその巨躯に絡みつき、猫ちゃんの動きが止まった。その一瞬の隙に十米じゅうメートル程の高さまで育った巨木がぐらりと傾き、猫ちゃんに降ってくる。猫ちゃんが押し潰されるというその瞬間。


「戻れ」

 杏樹の声に猫ちゃんの姿が一瞬にして小さな人形に戻った。そう、あの猫ちゃんはあくまでモノノケの気を逸らすための陽動。

 本命は――


「こっち!!」

 振り向きかけるモノノケの横っ面に、私の正拳突きが炸裂した。暴風が吹き荒れて花びらを散らし、モノノケの華奢な体が吹っ飛んでいく。モノノケはばりばりと枝を折って鬱蒼とした梢の間に消えていった。


「……?」

 妙な手応えの薄さに私は思わず手をにぎにぎしてみる。あまりに手応えが軽くていつもの二割ぐらいの力しか出せなかった。モノノケが吹っ飛んでいった方をじっと見てみるけど、戻ってくる気配はないし、気のせいかな。植物でできてたからかもしれない。


「杏樹〜、終わったよ〜!」

 私は言いながら杏樹のもとへ向かう。あとはとどめを刺して魂晶を回収するだけだ。


「なんか、一等にしてはやけにあっさりしてたね。……まあ終わったのに変わりはないか」

 杏樹は自分を納得させるように呟く。


「前来たひと達は一人だったとかで私達みたいな倒し方ができなかったんじゃない?」

「そうかもね」

「えへへっ、結構いい連携じゃなかった?さっすが相棒!」

「だから、僕はあくまで側近……」


 その瞬間、ざわりと全身が総毛立つ感覚があった。とてつもない悪寒が背筋を這い上がってくる。


 私は思わずばっと背後を振り向いて気づく。


 ――椿の木の下。落ちた椿と白骨の絨毯の上に、またあのモノノケが佇んでいた。

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