花園の主

「ななじゅうはちー……ななじゅうきゅー……」

「……かがり様。一応訊くけど、何数えてるの?」

 畳に寝転がって天井を仰ぐ私に裁縫中の杏樹が引き気味に問う。ちなみにさっき訊いたら式神を降ろすのに使う依代?の猫人形を作ってるらしい。妖力の伝達率を高めるために全部髪の毛(!?)で編んでるんだって。だからこんなに髪長いんだ。納得。


「天井の木目の線、何本あるのかなって思って」

「いくらなんでも暇人過ぎない?」

「そう!! 滅茶苦茶暇っ!!」

 私はがばっと勢いよく起き上がる。


「ねー杏樹ー、何か任務ないのー?昨日も一昨日もなかったじゃん」

「かがり様が仕事が早すぎるんだよ」

 杏樹は針を動かす手元を止めずに言う。

 結構ざくざく(良く言えば迷いなく、悪く言えばちょっと大雑把に)縫ってるけどあれで大丈夫なのかな。私がじっと見ていると、杏樹は訊いてもないのに「……こういうのは形になってればいいんだよ」と零した。細かい作業が好きじゃないのかもしれない。ちょっと意外かも。


「任務は数日とか数週間とか、大きいのだと数ヶ月とかかけて遂行するのが普通なんだ。任務が届いた瞬間に家を飛び出してその日の内に終わらせる隊士なんて、かがり様以外ほとんど居ないと思うよ」

「え、そうなの?」

 てっきりそれが普通かと思ってた。


 頷いた杏樹は「それに、」と付け加える。

「月読とかの高い階級に回ってくるモノノケは、大体がそれより下の階級の隊士が誰も倒せなかった相当厄介な個体ってことだからね。発生してすぐに僕達に回ってくるモノノケはたまたま近くに出たのとかだけだよ。ほら、前の四等とか」

「へー。だったら最初から強いモノノケのとこには強いひとを送ればいいんじゃない?」

 そうすればすぐに倒せるから被害とかもかなり抑えられそうだし。


「最初から強いって分かればいいんだけどね」

「?」

 首を傾げる私に杏樹が説明する。

「本部はモノノケの妖力反応が分かる地図で紅宵郷全域を常に観察してて、全部のモノノケの所在を把握できるんだ。でもその力量は断定できない。三等以上のモノノケには知性がある個体も多いからだ」

 巻物といい地図といい滅茶苦茶便利だ。月鬼隊すごい。


「……ん? 何で三等からのモノノケが頭いいと強さが分かんないの?」

「三等以上のモノノケには知性があるものも多いから、四等以下みたいに常にありったけの妖力を全開にしてる訳じゃない。僕達みたいに妖術を使わない時は出す妖力を調整してるんだ。まあ僕達と一緒で妖力を零にすることはできないから所在は分かるんだけどね」

 なるほど〜、だから私は妖力ないってみんな一目で分かるんだ。


「だから、まず妖力反応に合った階級の隊士が送られて、失敗したらまたより高い階級の隊士を送る。その繰り返しだよ。……こんな仕組みだから、晦とか下弦ノ月とかの隊士がどんどん篩にかけられて減っていくんだけどね」

 淡泊に話す杏樹の目が、微かに厭わしげな色を帯びた。


 晦。そういえば茶々ちゃん元気かな。任務頑張ってるかな。今の話みたいに危ない任務先に送らせてないといいな。

 なんか茶々ちゃんのこと考えてたら私が仕事もしないでだらだらしてるのがどんどん情けなくなってきた。


「うー、とにかく働きたいーー!! 働かないでこんないい暮らしさせてもらってるとか示しがつかないーー!!」

 私は畳にびたーんと倒れてじたばたする。


「そんな駄々捏ねられても……」

 不意に杏樹からしゃん、と鈴の音がした。隊服の腰にいつも装備している黒い巻物を開いた杏樹の顔に驚きが浮かぶ。

「……ちょうど任務が入ったみたい」

「ほんとっっ!?」

 私は勢い良く立ち上がった。

「やったーっ! やっぱり日頃の行いだよね!ねえねえどんな任務!? どこで!? 何のモノノケ!?」

 杏樹は巻物に視線を落としたまま淡々と言う。

「……落ち着いた方がいいよかがり様。多分今回の任務、気を抜いたら死ぬから」

「……へ?」

 杏樹につられて私も巻物に目を落とす。達筆な字で綴られた文面の“一等”の二文字がやけに黒々と際立って見えた。



 杏樹曰く、一等のモノノケは二等までとは格が違うらしい。ほとんどが強力な固有妖術を持ってて、十六夜以上の実力がないと太刀打ちできないとか。

「でも私と杏樹って月読と十六夜だし、二人居れば余裕でしょ! 任務任務〜♪」

 私は鬱蒼とした山の中を意気揚々と歩いていく。今回の任務先はこの山らしい。

 辺りは一面真っ暗で、ざわざわと木が風に騒めくのが誰かの囁き声みたいにも聞こえてちょっと不気味な感じだけど、任務でうっきうきな私はそんなこと全く気にならなかった。


「そうだといいけどね」

 杏樹は巻物に描かれた簡略な地図と辺りの景色とを確かめるように交互に見ながら歩いていく。

「今回のは一等でもかなり厄介な部類だと思うよ。ほら」

 杏樹の指が巻物の文面をなぞる。


「十年前、この山でモノノケの莫大な妖力反応が観測された。でもそれは一瞬で、目撃情報も被害の報告も入らなかったし、位置もずっと山から動いていなかった。だから本部は優先順位は低いと見て放置していた」

「へー」

 そんなに落ち着いてるモノノケも居るんだ。暴れてるのしか見たことない。


「だけど、今年になって別のモノノケの討伐でこの山を訪れた隊士からある報告が入った」


『山の中でこの世のものとは思えない花畑を見た。そこには――』


「大量の白骨化した遺体が転がってたらしい」

「何それ怖っ!? 急に怪談話みたいになってない!?」

 五月だというのにぞわっと肌が粟立つ。ついさっきまで高揚してた気分が一気に急降下した。


 杏樹はそんな悍ましい話をしながらも足を止めることなく、平然と山の奥へ奥へと歩いていく。


「今まで報告がなかったのは、目撃した妖も攻撃された妖も誰一人として帰ってこなかったからだったってことだ。それで本部は念を入れて立待月……月読の二つ下の階級の隊士を送った。でも、誰も帰ってこなかった。十六夜の隊士を送っても同じ。等級を一等に繰り上げて僕達に回すことにしたみたいだね」

「『みたいだね』とか言ってる場合じゃなくない!? ガイコツだよ!? 怖過ぎだよ帰ろうよ杏樹〜〜〜!!」

「さっきまであんなに任務任務言ってたのに!?」

「だってガイコツ怖いじゃん! 骨だよ骨!!」

「だからモノノケを怖がりなよ……」


 杏樹は呆れたようにぼやいた後、地図を確認して顔を上げる。

「地図だとこの辺りなはずなんだけど」

「え?」

 私は辺りを見回す。

「花畑とか全然見当たらないけど……?」

「……そうだね」

「こ、これってもしかして遭難ってやつ……!? どうしよ杏樹!? 餓死して自分が白骨化しました〜とか絶対やだ……、」


 不意に私の目の前をふわ、と一匹のちょうちょが横切っていった。大きな碧の翅を煌めかせ、ちょうちょはひらひらと飛んでいく。

「蝶……やっぱり近くにあるのかな……ってかがり様?」

 気づけば私はそのちょうちょを追って駆け出していた。

 

 ひたすらちょうちょを追って走っているとある瞬間に並んだ木々が途切れ、一気に視界が開けた。

 そこに広がった光景に私は思わず息を呑む。


 手を伸ばせば届きそうな満天の星の下、見渡す限り一面に星の数程の花が咲き乱れていた。夜空の雫を受けて夜風に揺れる花々は、確かにこの世のものとは思えないくらい綺麗だった。


「うわぁぁぁ、すっごい綺麗……!! 私花畑とか初めて見た! 杏樹、こういうのって入っちゃっていいのかな? 花潰れちゃわない?」

 でも任務だから入らなきゃかな。うーん複雑、なんて思いながら後ろにいるはずの杏樹を振り向くと、杏樹は無言で花畑を見据えていた。


「……おかしいな」

「?」

「おかしいんだ。この花畑」

 杏樹はそう言うと躊躇なく花畑の中へ踏み込んでいく。仕方ないので私もなるべく花を踏まないように気をつけながら杏樹の後を歩く。……ん?なんか前もこんなことあったような。気のせいかな。


「ねえ杏樹、おかしいってどこが?」

「……僕も詳しい訳じゃないけど、多分自然にできた花畑にはこんなに沢山の種類の花は咲かない。いくら何でも手入れが行き届き過ぎてる」

「それに、」と杏樹は足元の花を見下ろす。

「季節が滅茶苦茶なんだよ。確かその花、秋とかに咲く種類だったと思う」

「えっ、だって今、五月なのに……?」

 綺麗過ぎる花々がちょっと不気味に思えてきた。


 杏樹は満月みたいな瞳に強い警戒の色を浮かべて花畑を見据える。


「ここは花畑じゃない。ここは――」


 杏樹はそこまで言って口を噤む。小高くなった花畑の中心に、巨大な椿の木が生えていた。十米じゅうメートル程の高さに、一米いちメートルはある太い幹。椿の木ってこんなに大きくなるものだったっけ。ぼろぼろの注連縄が巻かれているから、御神木みたいなものなのかもしれない。

 確か椿も冬の花だったっけ。杏樹に訊こうとした私は気づく。


 血よりも赤い真紅の花を咲かせる大木の下、椿が落ちてできた絨毯の上に、白い何かが散らかっている。目を凝らさなくても何なのか分かった。言葉が出なかった。


 骨、骨、骨――

 散乱している白い物体は、夥しい数の妖の骸骨だった。

 大量の白骨に囲まれて、椿の花を体のあちこちにつけた一人の女の子が佇んでいた。私と同い年くらいの女の子。いや、正確に言えば違った。


 それは沢山の植物が集まって少女の形を形成した、妖の成れの果て。モノノケだった。


 杏樹の言葉が耳に蘇ってくる。

『ここは花畑じゃない。ここは――』


「……花園」


 膝に髑髏を抱えたモノノケがゆらりと顔を上げ、私達を見る。太い角のような枝が生えた左目と椿の咲いた右目に見つめられた瞬間、私は理解した。理解してしまった。


 ――元は同じ妖でも、モノノケはもう、私達妖とはどうしようもなく違う生き物なんだ。


 椿の花が一つ、ぽとりと地面に落ちる。


 それを合図のようにして風が花びらをぶわっと巻き上げ、とこしえの花園での戦いが幕を開けた。

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