ありがとう

「なんか今回のモノノケは思ってた程でもなかったね。頂きま〜す!んむぅ!」

 私は運ばれてきたあんみつを口に運ぶ。美味しい。流石小豆洗いの妖がやってるお店なだけある。私はこのあんみつを食べるために生まれてきたのかもしれない。


 星屑夜街での初任務から二日。

 私と杏樹は二度目の任務を恙なく遂行。今は帰り道に立ち寄った甘味処の赤い野点傘の下の縁台に並んで座っているところだ。


 今回の任務は市街地で大暴れしていたモノノケの討伐だった。前みたいに頭を働かせる(私にしては働かせた方)必要もなくあっさり一撃。あまりにもあっさりだったのでちょっと拍子抜けしてしまった。


「あそこのモノノケが強過ぎただけだよ」

 杏樹が葛餅に黄粉と黒蜜を絡ませながら言う。敬語を外すのも結構慣れてきたみたいだ。よしよし、私が何回も敬語使おうとする度に注意してきた甲斐があるってものだ。

「さっきのは四等。普通ってところかな」


「へー」なんて言いつつ私は正直なところ上の空だった。何故って目の前で杏樹のしなやかな二又の尻尾がゆらゆらと揺れているから。いいなあ尻尾。もっふもふだ。触ってみたいけど頼んでみても触らせてくれないから、私はこうやってただひたすらに眺めるしかないのである。

 ゆらゆら。ゆらゆら。ゆらゆ……


「……」

 杏樹が無言で尻尾が私の視界に入らないようにした。ちぇ。


「あーあ、私も猫又の妖だったら良かったのになー」

 私は脱力して天を仰ぐ。そしたら自分の耳も尻尾も触り放題なのに。


 そんな風に嘆いてみても、何の妖か分からないとはいえもふもふの耳も尻尾も生えていない以上、私が実は妖獣系の妖でしたー!って線はほぼありえないのだ。悲しき現実。


「……そんなにいいものじゃないよ。猫又の妖なんて」

「え」

 その小さな呟きに、私は思わず杏樹の方を向く。


 賑やかな通りに面した店外の席。紅宵郷の綺麗な赤い街並みを楽しめるこの席で、しかし杏樹は器の中身をぐるぐると掻き混ぜる自分の手元だけを見つめて淡々と語る。


「かがり様も知ってると思うけど、猫又は年老いた猫が人間みたいに振る舞うようになっただけの妖怪なんだ。生まれつきの妖力量は多くないし、目立った種族妖術があるわけでもない。劣等種族だって見下されることも多い」

 

 そう言う杏樹は別に怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えなかった。硝子玉みたいな瞳は、怒りも悲しみももう全部呑み込んでしまった後みたいに何の感情もたたえていなかった。


 確かにこの世界、彼岸は前も言った通り妖力・妖術至上主義だ。種族での偏見とか差別とかがあるっていうことはよく耳にする。


 「――でも、」と私は思わず首を傾げる。前々から思ってたんだけど。

「そういうのって何の妖かとかで決まるものじゃなくない?だってほら、杏樹は猫又だけど強いじゃん。そもそも強さとかでどっちが上とか下とか決まるのがおかしいよ」


 杏樹は予想外の反応だったのか、驚いたように目を僅かに見開いて私を見る。


 誰がどの種族が優れててどの種族が落ちこぼれ、とか言い出したんだろう。落ちこぼれとか出来損ないとかは妖力皆無の私を見てから言って欲しいよね。


「私から見れば何の妖だってみーんな一緒なのになー。差別なんか全部なくなっちゃえばいいのに」

 私はあんみつのてっぺんに鎮座する真っ赤なさくらんぼを口に放り込みながら言う。甘酸っぱさが口の中に広がった。美味し〜。幸せ。


「…………かがり様」

「ん〜?」

 ややあって、杏樹が改まって私の名前を呼んだ。


「かがり様は、」

 杏樹はそこで不意に言葉を止めた。いつもの仏頂面が徐々に弛み、柔らかい苦笑が口元に浮かぶ。


「…………何でもない」

「? あ、ねぇ杏樹、一口食べる? すっごい美味しいよこれ! はい、あーん」

「いや、大丈夫……だから大丈夫だって。あのかがり様ほんとにいいから口に押し付けないでくれる!?」


「あ、あのっ……!」

 唐突にかけられた上ずった高い声に、どうしてもあんみつの美味しさを分かち合いたい私対断固拒否の杏樹の戦いは一時休戦し、声の方を向く。


 そこには一人の女の子が緊張した面持ちで立っていた。


 瞳と同じ茶色の髪に一房の黒髪が混じっているのが印象的な女の子である。

 頭からはふさふさした触覚が、背中からは茶色い翅が生えている……と言っても鳥の羽根じゃない。どちらかといえちょうちょみたいな感じだ。

 確か夜雀よすずめって妖怪の妖がこんな感じだったような。


 にしても何の用だろう。杏樹の知り合いかなとも思ったけどそんな様子はない。

 女の子はがちがちに緊張しながら言う。

「もしかして、つ、月読様、ですか……!?」


 これには私もびっくりした。何で知ってるんだろう。あそっか、肩の紋様丸見えだからか。


「うん。一応そうだけど……ってもしかして月鬼隊なの!?」

 私は言いかけて女の子もまた左肩の見える隊服を着ていることに気づく。まだ十一、二歳くらいにしか見えないのに、と思っていたら、杏樹が隣で「月鬼隊は入隊試験に受かれば何歳でも入れるんだ」と教えてくれた。


 女の子は恥ずかしそうに赤面する。

「は、はい! 十二歳です。四ヶ月前の入隊審査で入ったばかりですが……」そこで女の子ははっと何かに気づいたように息を呑み、すぐに「すみませんっ!」と勢い良く頭を下げた。


「名乗り遅れました……! つごもり灯入茶々ひいりちゃちゃです……! すみません、最低の階級のくせに頭が高かったですよね……」

 女の子は膝に頭がくっつくんじゃないかってくらい深く頭を下げている。私は慌てて訂正した。

「いや私入隊したの三日前とかだからそっちの方が大先輩だよっ!? ほら顔上げてっ!」

 女の子はおずおずと顔を上げる。


 むむむ、やっぱり月読って肩書きがあると緊張しちゃうのかもしれない。確かに血気盛んってよく言われる鬼の妖の国で最強なんて血気盛ん通り越して最早大量出血だよね。


 こっちから何気な〜い感じの話題とか振った方がいいのかな。やっぱり天気の話?月が綺麗ですねとか?


「――あっ、その髪飾り可愛いね! すっごく似合ってる!」

 私は女の子……茶々ちゃん(『ちゃ』の三連続でかなり滑舌が鍛えられそう)の頭の髪飾りに目を留める。小さくて可愛らしい白い花……すみれとかかな?が模された髪飾りは、お世辞じゃなく本当に茶々ちゃんによく似合っていた。


「あっ、これは弟と妹がくれたもので……!」

 茶々ちゃんは恥ずかしそうに髪飾りに触れる。

「へ〜、いい兄妹だね!」

「はいっ、私にはもったいないくらいいい子達なんです」

 はにかむ茶々ちゃんからは本当に下の子達が大好きなんだな〜っていうのが伝わってきて、私は素直にいいなぁそういうの、と感じた。なんて言うか、家族愛?


 そういえば杏樹の家族についてって聞いてないかもしれない。

 猫又だからやっぱり元は黄昏郷だと思うけど、一家で紅宵郷に引っ越して来たのかな?やっぱりみんな猫耳と尻尾生えてるんだろうな、見てみたいなーなんて思いながら何の気なしに杏樹に視線を向けると、杏樹はいつもの無表情よりも更に感情を押し殺した鉄仮面みたいな顔をしていた。葛餅の美味しさに感動して固まっているのかもしれない。


「あ、あのっ……!」

「あっ、ごめん。それで、何か用があったんだよね?」

「はい! そのっ……」

 茶々ちゃんは再びがばっと頭を下げる。頭下げなくていいって言ってるのに、と私が指摘する寸前で茶々ちゃんが口を開いた。


「あのひと達を倒してくれて、本当にありがとうございましたっ……!!」

「……『あのひと達』?」

「鬼の妖の男のひとと輪入道の妖の男のひとの二人組です……」

「あ〜!」

 あの魂晶奪おうとして来たひと達ね。


「私達も……あ、私、幼馴染と一緒に入隊したんですが……二回目の任務終わりにあのひと達に倒したモノノケの魂晶を全部奪われたんです……。他にも同期のひととか、階級が下の方のひとはあの二人組に魂晶を奪られたってひとがかなり居るみたいで……それでも力の差でどうしようもないから泣き寝入りするしかなくて、あの二人組はずっと好き放題に低い階級の隊士から功績を奪い続けてて……」

 茶々ちゃんは悔しそうにぎゅっと唇を噛んでいた。


 そっ、想像以上に悪いひと達だったんだけど!?あのぐるぐる巻きのままその辺に置いてきちゃったから流石にちょっと可哀想だったかなって思ってたんだけど、それを聞くと当然の報いかもしれない。何なら顔に墨で落書きとかしといても良かったかも。ヒゲとか。


「でもっ、」と茶々ちゃんはそこで私の目を見た。

「偶然見ました。月読様が輪入道のひとを一撃で倒すところ。すごく、すごくかっこよかったです」

 茶色い瞳がきらきらと輝いていた。

「あの後妖ひと達は色んなひとに見られて大恥をかいて、すっかり大人しくなったみたいです。本当にすっきりしました。感謝してもし切れません」

 茶々ちゃんはまた深くお辞儀をする。


「いやあれは杏樹のお陰っていうか、私ほとんど何もしてないよ?ね、杏樹」

「でも、私は見ました。輪入道の妖に追いつけるなんてすごい加速妖術です。それに、身体強化での蹴りもお手本みたいに綺麗でしたし、すごい破壊力でした。あそこまでの身体強化は見たことなかったです。尊敬します」

 茶々ちゃんは興奮した様子で言う。


 ……ん?私加速妖術も身体強化も使ってない……っていうか使えないんだけど。でもこの多分純粋に尊敬してくれてる茶々ちゃんに『私実は妖力なくて全部筋肉なんだよね〜』とか死んでも言えない。ここは隠し通さなきゃ。

「え、えへへ〜、ソ、ソウデモナイヨ〜」

「嘘つくの下手過ぎない?」

 隣の杏樹が小声で呆れている。


「いえ、本当に格が違うってこういうことなんだなって思いました。……実は私の家、両親が居ないんです。一年前に家がモノノケに襲われて……私達子供を逃がすために戦って、それで二人は死にました」

「!……」

 私は思わず絶句する。

 茶々ちゃんはぽつぽつと、その華奢な体が背負うには重過ぎる身の上を語り始める。


「まだ弟も妹も小さいから私がちゃんと働いて稼がないといけないんですが、私みたいな子供を雇ってくれるところなんてなかなかなくて。それで月鬼隊に入隊したんです。月鬼隊はいつも妖手ひとで不足だしお給料も普通の仕事より全然高いし、何より年齢じゃなくて力で評価してもらえますから」

「ええっ、十二歳なのに二人も養ってるの!?すごっ!! 大変じゃない!?」


 茶々ちゃんは私の問いにやるせなさそうに首を振る。

「全然養ってるなんて言えません。私が弱くてなかなか成果を上げられないから、二人に不自由な生活させちゃってるんです。だから私、もっと強くなって、もっと上の階級に上がらなきゃいけないんです」

 茶々ちゃんはそう言うと意を決したように顔をあげ、


「わ、私も月読様みたいに強くなれますか……!」


 茶々ちゃんの曇りない双眸は、まっすぐに私を見つめていた。未来への不安と希望とがないまぜになった、夜空に散りばめられた星みたいに煌めく瞳。


 それに射抜かれた私は、気づけば茶々ちゃんの小さな両手をとっていた。


「うん。茶々ちゃんならきっとなれるよ! 私なんかよりも、もっとずーっと強くね!」

「――!」

 茶々ちゃんの目が見開き、一瞬にして頬が紅潮する。


「あっ、ありがとうございま……!」


「こら茶々ぁっ! 急にどっか行ったと思ったらなぁに他のお客さんに絡んでんのよ!」

 唐突に現れた赤髪の女の子が茶々ちゃんの首根っこを引っ掴んだ。気が強くてしっかりしてそうな、鬼の妖の女の子である。

「任務来てるんだからさっさと行くよ!あんたの種族妖術ないとあたし達じゃ六等にだって勝てないんだから」

「痛たっ、ちょっと引き摺らないでよほむらぁ……あ、お食事中に失礼しました……!焔、自分で歩くから放してってば!」

「あんたが危なっかしいからあたしが昔から面倒見てあげてるんでしょうが!」

「余計なお世話だって!恥ずかしいから放してよ〜っ!!」

 言い争う二人の姿が遠ざかっていく。さっき言ってた幼馴染の子かな。仲が良さそうでなによりだ。


「……危なかったねかがり様。妖力を見られてたらバレて……かがり様?」

 無言で俯く私を杏樹が訝しんでいるけど、私は今それどころじゃなかった。


「……どっ、どうしよう杏樹っ……!?」

「?」

「う、生まれて初めて『ありがとう』って言われた……!!」


 正確に言えば二年前からだけど細かいことはいい。

 両手を当てた頬が自分でもびっくりするくらい熱い。前のモノノケに絞め殺されそうになった時なんかと比べ物にならないくらい心臓がどきどき言っている。


 だって今までずっとやれ化け物だの落ちこぼれだの言われたり石投げられたりしてたんだよ?まあ気にしてなかったけど、でもやっぱり認めてもらえたみたいで嬉しい。美味しいもの食べてる時よりもずっと。最早嬉しさを通り過ぎてなんか今まで感じたことない変な感じだ。何だろうこの気持ち。


「……め、滅茶苦茶照れてる……」

「うわぁ顔熱い……!!人生(二年間)で初めて熱あるかも今……!!って杏樹今何か言った?」

「……何も」

 杏樹は小さく笑みを浮かべる。


「良かったね、かがり様」

「あ、杏樹なんか馬鹿にしてる……?」

「してないよ」

 興奮冷めやらぬ私を、紅い夜空は穏やかに見下ろしていた。





 ちなみにその後私はすっかり油断している杏樹の口に木の匙であんみつをぶち込むことに成功。こうしてどうしてもあんみつの美味しさを分かち合いたい私対断固拒否の杏樹の戦いの熾烈を極めた戦いは私の勝利に終わった。油断大敵。


 杏樹は微妙な表情で白玉をもちもちと咀嚼していた。

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