懲悪

「舐めんなよクソガキが……! 後悔させてやるぜ、【疾風迅雷しっぷうじんらい】!」

 鬼の男のひとが翠緑の風を纏い、目にも止まらぬ速さで杏樹に突っ込んでいく。振り下ろされた金棒を杏樹が片手に握ったクナイで軽く受け止めた。キィィンという甲高い金属の衝突音があたりにこだまする。


「ぎゃはは、止めるんじゃなく躱すんだったなぁ! 【裂葉風れつようふう】!」

 途端に杏樹を囲うように風が渦巻き、鋭利な刃となって杏樹に襲いかかる――と思うと、暴風が杏樹を中心として吹き荒れ、風の刃が一つ残らず吹き飛ばされた。


「妖術の精度が低いね。僕の得意分野じゃない風系の術で防げるなんて」

 どうやら杏樹が妖術で妖術を打ち消したらしい。


「っ……!? っへへ、こんなのまだ攻撃の内に入らねぇよ」

 大きく一歩退いた男のひとが笑う。しかし、その顔は少し引き攣っているように見えた。


 荒れ狂う風が頬を叩き、ぽかんと口を開けて見ていた私ははっと我に返った。

「ちょっ、ちょっと! 道端でいきなり襲ってくるとか危ないじゃん!」

 あんな金棒当たってたら怪我してたよ!?


「くはは、そっちのお嬢ちゃんは怖気付いたかぁ? だったら魂晶おいて帰ってもいいんだぜ? 散々馬鹿にしてくれたそっちのクソ猫又の方は帰らせねぇけどな」

 男のひとはそう言って金棒の先を杏樹に向ける。しかし杏樹は全く動じずに私を振り向き、

「かがり様は家に帰っていて下さい、すぐに片付け終わるので。来た道を辿れば帰れます」

なんて信じられないようなことをのたまった。


「なっ、杏樹のことおいて一人だけ帰れるわけないよ!! 魂晶も渡したくないし!」

 ついでに来た道とか全然覚えてないし……っていうのは胸の中に秘めておこうっと。

「来た道覚えてないんですね」

「なんで分かるの!?」

「顔」

「顔!?」


「チッ……だったら二人まとめて死ね!! おい“あれ”やるぞ!!」

「わかった、【紅蓮炎輪ぐれんえんりん】!!」

「【疾風怒濤しっぷうどとう】!!」

 輪入道のひとが無数の炎を纏った車輪を放ち、鬼のひとが凄まじい烈風を起こす。車輪の炎が風に煽られて更に勢いを増し、予測不可能な軌道で私達に向かって飛んで来る。


「風で炎をデカくして車輪を加速させる!! 車輪の軌道はこっちの思うままだ、今までこれを躱せた奴は一人もいねぇ!! ほら精々逃げ惑え!! ぎゃははははは!!」

「うわわわわわどうしよう杏樹!?」

 このままだと確実に死ぬんだけど!?


「……だから精度が低いって言ってるんだけど」

 そう零し、杏樹が何かを取り出した。よく見ると掌に収まるくらいの小さな人形だった。猫を模った真っ黒なそれを、杏樹は緩やかに上へ放る。


「――【六道猫神りくどうびょうじん餓鬼道がきどう】」


 次の瞬間、私は自分の目を疑った。小さな猫人形が一瞬にして通りから見上げる夜空を覆う程巨大ななにかに変貌したのだ。よく見ると、その何かは動いている。その全貌を見上げた私の口から「え?」と思わず声が漏れた。


「ねっ、ねねねねね、猫っ……!?」

 尖った耳。二又に分かれた長い尻尾の先には燃える火の玉。爛々と輝く三つの目。顔に浮かんだ紋様。

 それはまさに巨大な化け猫としか言いようのない生き物(生き物なのかすら怪しい)だった。三米さんメートルはある巨軀は痩せて骨が浮いていて、下に行くにつれて半透明になっている。


「喰らえ」

 杏樹が言うと、化け猫はぐあと真っ赤な口を開けて、襲い来る無数の車輪を――ぱくんと呑み込んだ。


「え」

 燃え盛る車輪を一つ残らず呑み込み、化け猫はうるるると満足気に喉を鳴らす。杏樹の「戻れ」の一言で一瞬にしてその巨体は消え失せ、元の小さな人形がぽとりと地面に落下した。


 数秒してやっと止まっていた思考が動き出した。


「ええええええっ!? あ、ああああ杏樹、今の猫ちゃんなんだったの!?」

「あれは僕の固有妖術の式神の一体。さっきのが〈餓鬼道がきどう〉で全部で六体いる」

「し、しきがみ……!! 滅茶苦茶かっこいい……!!」

 妖術で生き物?みたいなの使えるとか初めて聞いた。固有妖術すごい。


「ってそれより、思いっきり火ついた車輪呑み込んでたけど!? すっごい消化に悪そう!」

「〈餓鬼道がきどう〉はなんでも呑み込むし、一度呑み込んだ物はいつでも呑み込んだ時の状態で吐き出せるんだ。荷物運びにも重宝してる」

「えええ……」

 よく分からないけどとりあえずあのもふもふに全身で埋もれてみたい。杏樹に頼んだら埋もれさせてもらえるかな。


「お、おい……!! あんなでけぇ生き物を作り出す妖術なんて聞いたことねぇぞ……!? しかも俺らの妖術が……!!」

 鬼の男のひとが切羽詰まった声を上げ、私は現実に引っ張り戻された。


「――後悔、させてくれるんだっけ?」

 瞬間、ぶわあっと杏樹の纏う妖力が膨れ上がった。透き通る妖力が路地を包むように溢れ、二つ結びにされた黒髪が暴れる。


「っあ、あああああ……ッ!!」

 杏樹の式神を目の当たりにして既に腰を抜かしていた輪入道のひとは声にならない震えた声を上げ、辛うじて立っていた鬼の男のひとも唖然として膝から崩れ落ちた。


 妖力零の私でも尋常じゃない圧みたいなものを感じるのだから、妖力のある普通のひとがこれに中てられたら、それはもうとんでもなく恐ろしいんだろう。


「……う、嘘、だろ……?……嘘だ、間違いに決まってる……!! だってそんな、そんなのもう、化け物じゃねぇかっ……!!」


 男のひとは這うようにして逃げ出そうとしたが、獲物を追い詰めた獣のように静かに歩み寄って来た杏樹が目の前に立っていた。


「お、お前、十六夜だったのかよ!! よくも俺を騙しやがったな!! 卑怯者!!」

「卑怯なのはそっちじゃない? 今までもこうやってモノノケとの戦闘後で消耗している隊士達から魂晶を奪ってきたんだね。道理で居待月にしては弱いわけだ」

 杏樹の双眸が、星よりも月よりも冷たく昏い金色に光っているように見えた。


 「ははっ、」と乾いた笑い声が男のひとから零れた。

「どいつもこいつも馬鹿ばっかなんだよ……! バケモンを倒したらそれで終わりだと思って油断しやがるから悪りぃんだ。そんな雑魚が強え奴から奪われるのは当然だろうが……!」

「――なるほど。じゃあ僕は君から奪うことにするよ」

 杏樹がクナイの切先を男のひとの首にあてがう。

 男のひとの顔から血の気が引いた。


「ひっ……な、何する気だ、ちょ、ちょっと待てよ、違う、違うんだ! 今のは言葉の綾っていうかなんていうか建前ってやつ? ほらさっきも言っただろ、俺には病で床に臥してる母親が居るんだよ今にも死にそうで俺からの仕送りがないと」

「病弱なのは妹じゃなかったっけ」

「間違えた妹!! なあ許してくれよもう他の奴から魂晶奪ったりしねぇからさ! なんなら酒もやめるし博打もやめ」

「三」

「おい本気かよ殺人なんかしたら故郷の家族が悲しむぞ!! いいのか俺のために罪を犯して!! 絶対に後悔」

「二」

「お願いだ助けてくださいまだ死にたくな」

「一」

 男のひとが泡を吹いて気を失った。


 杏樹は立ち上がり、軽く袴の塵を払う。

「よし、これであとは縛って適当なところにおいていきましょう」

「す、すごい……杏樹ほんとにひと殺しそうな目してた……!!」

「それ褒めてます?」


 よーし無事初任務終了……って、あれ?そういえばなにか忘れてるような……。

「あ」

「?」

「もう一人のひと、どこ行った……?」

「……さあ……」

 ひゅ〜、と夜風が私達の横を通り過ぎていった。


         ◇◆◇


 男は駆けていた。

 “星屑夜街”を抜け、闇の中をただひたすらに駆けていく。闇雲にがむしゃらに、どこまでもどこまでも、あの猫又が追いつけないぐらい遠くまで。頭はそれだけでいっぱいだった。


 ――あの妖力。息も詰まるような、あの圧倒的な物量と威圧感。


 自分は強いんだと、ずっとそう思っていた。輪入道という種族妖術に恵まれた妖に生まれたことで、今までずっと思い上がっていたのだ。


 猫又なんて劣等種族と、何だかよくわからない妖二人、しかもガキ。

 負けるわけがないと、そう思った。


 だがそれは間違いだった。

 自分はあの猫又の足元にも及ばない。


 男は足を止めずに後ろを振り向く。誰かが追って来ている様子はない。

 男は少し安堵する。それもそうだ、輪入道の種族妖術【夜廻紅輪やかいこうりん】を発動し、車輪が付いているような凄まじい速度で走り続けているのだから。

 男は足から紅蓮の炎を迸らせ、地面に火の轍を刻み込んでなおも駆けていく。


 緊張の糸が緩んだためか、思わず誰に聞かせるともない愚痴が零れた。

「くそっ、大体俺は最初から他の隊士から魂晶を奪うなんて乗り気じゃなかったんだ……あいつが言ってきたから俺は仕方なく」

「へー、さっきの鬼のひと?」

「そうだ。あいつが言い出し…………」


 当たり前のように右の耳朶を打った声に、男は思わず横を向く。


 猫又と一緒にいた赤い瞳の少女が男の横を並走していた。


 男は前に向き直る。


 いやいやいや待て待て待て。冷静に考えてみよう。自分は今加速系妖術の中でも一、二を争う速度を誇る妖術を発動して走っているのだ。妖力で身体強化したところで追いつける速さではない。そもそも右から妖力を全く感じない。つまりさっきの赤目の少女が隣を走っているなどありえないのだ。幻が見えるとは相当疲れているのかもしれない。


 男はそう自身を納得させて再び右を向く。


 やっぱりあの少女が並走していた。


「……は?」

「う〜ん、なるほど。さっきのひとに言われてやってたのかぁ。それは確かにちょっとかわいそうかも……」

 少女は悩むような仕草を見せながら平然と男と並んで走っている。というかなんならちょっと追い越されている。


「でもやっぱりひとの手柄とか奪るのってよくないよね!」

「ぐべっ」

 何がなんだかよくわからない内に、男は鞠のように蹴り飛ばされていた。


 最後に見たのは少女の肩に浮かんだ紅い満月の紋様。月鬼隊最高位である月読の証。凡人には到底辿り着けない領域。つまりこの少女もまた化け物だったということだ。


 ――お袋。俺、月鬼隊なんか辞めてちゃんと実家継ぐよ。


 男は遠のく意識の中で、ぼんやりとそんなことを考えていた。


         ◇◆◇


「よーし、一件落着!」

 私は縄でぐるぐる巻きにした男のひと達二人を前に軽く手をはたいた。“僕達は他の隊士の手柄で出世してました”の札を首から提げておくのも抜かりない。


「“星屑夜街”のモノノケの掃討に加えて功績強奪の常習犯捕縛……とても就任初日とは思えないな」

 杏樹は呆気にとられたように力ない笑みを浮かべている。


「いやぁほぼ杏樹のお陰だよ〜。……あ」

 私はさっきから薄々思っていたことを思い出す。思わず口角が緩んだ。

「むふふ」

「何その顔……」

「べっつに〜? 杏樹が普通に喋ってくれて嬉しいな〜って」

「普通……?」

 杏樹は一瞬戸惑った後、心当たりがあったのか「……あ」と短く声を上げた。


「っ!! 申し訳ございませんかがり様こいつらと話していた流れでというか何ていうかとにかく月読ともあろうお方に大変失礼な振る舞いを」

 珍しく杏樹が滅茶苦茶慌てている。まだ短い間しか一緒にいないけど、こんなに感情丸出しなところは初めて見た。ちょっと面白いから揶揄ってみようっと。


「ふむふむ、これは大変許し難いですなぁ。許し難いから罰として私のお願い聞いてもらわなきゃいけないなぁ」

「……お願い?」

 きょとんとする杏樹に、私はびっと人差し指を突きつけた。


「これからもそうやって話してよ!」

「……は?」

 杏樹は猫が豆鉄砲食らったみたいな顔をしている。


「だって同い年だし、これからずっと一緒に居る相棒だよ? 片方敬語じゃおかしいじゃん。私敬語とか慣れてなくてなんか居心地悪いし。ってことで今から敬語なしね!」

「敬語外した罰で敬語外すって矛盾してないですか……?」

「そんなことはいいのー。改めてよろしくね杏樹っ!」

 私は手を差し伸べる。


 杏樹は数秒の葛藤の後、「はあ……」とため息をつく。そして仕方ないとばかりに私の手をとった。


「……『よろしく』、かがり様」

 星が騒めく夜空の下、私と杏樹はこうして相棒になった。


「うわぁ走ったせいでお菓子落としちゃってた!!よしっ、三秒以内」

「余裕で三分以上経ってるけど!?」

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