縊鬼

 しんしんと月光が降り注ぐ閑かな星屑夜街を、私と杏樹は奥へ奥へと歩いていく。もう誰にも使われることのない廃れた家や店は、不気味なのと同時にどこか淋しげにも見えた。


「ねぇ、モノノケってどんな妖術使うの?」

 三等以上のモノノケと戦ったことがないから全然想像つかない。妖力零ゼロの私が太刀打ちできるのかな。


 杏樹は歩みを止めることなく説明する。

「もとがなんの妖なのかによりますが、基本は妖だった頃に使っていた妖術がより強力になったものですね。そもそも妖は人間の器に妖怪の魂を宿し、妖怪としての力や性質を一部受け継いだ言うなれば弱体化した妖怪です。モノノケはより妖怪に近付いた妖なので、必然的に妖だった頃よりも妖力は増加し、妖術は強力になります。一等のモノノケは全ての個体が強力な固有妖術を持っていますね」

「へ〜。固有妖術って?」

 杏樹は一瞬そこからかという顔をしたが、ちゃんと私でもわかるように教えてくれた。


「……妖術には大きく分けて二つの種類があるんです。一つは“普通妖術”。この普通妖術はさらに得意不得意はあれど妖なら皆理論的には使えるという“普遍妖術”と、その妖の種族なら誰でも使えるという“種族妖術”の二つに分けられます。ほとんどの妖が使うのはこれですね」

「ふーん、じゃあ狐の妖の『どろん!変化!』みたいなやつは種族妖術ってこと?」

 杏樹はそんな感じですと頷いて続ける。


「そしてもう一つが“固有妖術”です。固有妖術は自分で編み出す彼岸に一つだけの妖術で、これを使うには生まれ持った才や相当量の修行、莫大な妖力、自分だけの妖術を作り出す創造力などが必要になってきます。この“固有妖術”には自身の魂の形、つまりもとの妖怪の性質と当人の心の在り方が強く反映されるそうです。持っている妖はかなり少ないですね。それこそ月読とか」

「えええなにそれ滅茶苦茶かっこいいじゃん!?杏樹は持ってないの?」

「まあ、一応なくはないですが……」


 するとその時、杏樹が突然懐から素早くクナイを取り出し、私の顔に向かって投擲してきた。反射的に躱すとひゅん、とクナイが空を切る音が耳元を通り過ぎていった。私の顔がさああっと音を立てて蒼ざめていく。


「あ、あああああ杏樹っ!?避けれなかったら死んで、た……」

 言いながら振り向いた私は、杏樹の投げたクナイがどこからともなく伸びた真っ黒な注連縄ぐらい太い縄を上手く壁に打ち留めているのを見て唖然とする。

 蛇みたいに蠢くその縄を目で辿っていくと、一体のモノノケが上空から私達を見下ろしていた。


 瞬間、モノノケは夥しい本数の縄をどっと私達に伸ばしてきた。月明かりが荒れ狂う縄に遮られて視界が闇に包まれる寸前、私は杏樹が琥珀の瞳をすっと細めて、立てた二本の指を口元に持っていくのを見た。


 ごうっ、と杏樹が吹いた紅蓮の劫火が、迫り来る漆黒の縄を全て焼き払った。降り注ぐ微かな火の粉と灰とが地面に落ちる前に宙空で儚く消えていくのを、私はぽかんと口を開けて見ていた。


「……こっ、こここここれが固有妖術……っ!?」

 私が街角での喧嘩で見た炎系の妖術とは精度も威力も明らかに段違いだ。


 あまりの迫力にびっくりし過ぎて鶏みたいになっている私に杏樹は淡々と言う。

「いえ、これはただの普遍妖術です。あとかがり様、後ろ」

「へ?」

 私が振り向くと、眼前でなにかが鋭く閃いた。私は瞬時に大きくのけ反ってそのまま地面に手をつき、後ろ向きに一回転してずざざと滑りながら着地する。


「危なっ!?」

 前方を確認すると、二体のモノノケが暗がりから現れていた。杏樹の方も見ると三体ぐらいがうようよと湧いている。さっきまでどこに隠れてたの!?


 でも、正直言ってこの五体は大して強くないと思う。問題は――


 私は頭上を仰ぐ。黒い縄を手足のように操るモノノケが、縄を足場にして滞空しながら感情の読めない一つ目で私を見下ろしていた。


「杏樹、あれってもとはなんの妖!?」

多分縊鬼いきとか縊れ鬼とか呼ばれる妖です。もとは精神に干渉して首吊り自殺をさせる妖怪ですが、モノノケ化して縄を操る種族妖術で物理的に首吊りを強行するようになったんでしょうね」

「いくらなんでも物理的過ぎないっ!?」


「ここは分担しましょう」と杏樹はモノノケをクナイで適当に捌きながら顔だけ私の方を振り返る。見てないのになんであんな正確に攻撃いなせるんだ……なんて思ってたら私の方もモノノケが襲いかかってきた。しゃがんで回避しながら「どうやってー!?」と返事する。


「かがり様は戦うならこの五等以下五体かあの二、三等一体、どっちがいいですか」

「どっちの方が大変?」

「一体の方ですかね」

「じゃあそっちで!!」


 私の初任務なんだから私が大変な方引き受けて当然でしょ!

 私は言うなり左右の壁を蹴って、縊鬼だっけ、の前の宙空に躍り出た。そうしてぎゅっと握った拳で殴りかかろうとして――


「え」

 気づけば縄に右の足首を捕らえられていた。ぶんと右足の縄が振りかぶるようにしなる。あ、これやばいやつだ――と思った時には時すでに遅し。

 私は縄に思いっ切り遠くまでぶん投げられていた。


「うわあああああああああっ!?」

 上下左右の感覚がなくなる。風を切る音が耳元で唸る。あれ、なんか意外と楽しいかも。杏樹、私達風になって――


「る゛ッ」

 突然の衝撃と破壊音で呑気に風になってる場合じゃなくなった。私は寂れた駄菓子屋を破壊して狭い裏路地にずざーーと顔面から滑るようにして着地する。


「うう、膝擦りむいたぁ……ひりひりする……あああっ、お菓子がぁぁ!ううう、もったいないお化けが出ちゃう……って、あれ?」


 散乱した駄菓子をできるだけ回収して懐に大事に仕舞い込んだ私は、ふと顔を上げてあたりを見回す。

 この廃れた雰囲気は確かに星屑夜街で間違いなさそうだけど、目を凝らしても杏樹の姿が見えないのはおろか戦闘音すら聞こえない。


「私、どんだけ飛ばされたんだろ……」


 とりあえずさっきのところまで戻らなきゃ、と歩き出そうとする私の首筋に、黒い縄が巻き付いた。


 上から強い力で引っ張られて、足が少しずつ地面から離れていく。


「うぐっ……もう、しつこい、なあっ!」

 私は力づくで縄を引きちぎる。やっぱり頭上にはあの縊鬼のモノノケが浮かんでいた。


 何本もの縄が空気をを切って私に向かってくるのを躱しつつ、私は考える。


 そういえば、なんでこのモノノケはずっと宙に浮いてるんだろう。私にずっと姿を見上げさせて首を痛めさせる作戦かもしれない。だとしたらその作戦は結構効果ありだ。流石にちょっと首が痛くなってきてる。


 やっぱり普通に考えて、上から攻撃する方が優位に立てるからかな。本体に殴りかかろうとしても下から行くと絶対叩き落とされちゃうし、攻撃一辺倒でごり押しできる。う〜ん、どうすればいいんだろ……。

「あ」

 その時、天才的な閃きが天から降ってきた。

 上からだと一方的に攻撃されるなら、地上私の土俵に引きずり下ろせばいいじゃん。


 私は襲いかかる縄の一本を両手で掴み、

「……せぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

 渾身の力でそれを引っ張った。


 モノノケの足が縄で作った足場から離れて私の方へ飛び込んでくる。


 だから私はあらかじめ作っておいた拳を、自分から突っ込んでくるモノノケに向かってただまっすぐに突き出した。


 凄まじい衝撃がモノノケの鳩尾と私の拳に走り、吹っ飛んでいったモノノケがドゴォォッと黒ずんだ路地の壁にめり込んだ。


 ぱらぱらと欠けた漆喰の細片が地面に落ちていく。モノノケはぐったりと壁にめり込んだままの体勢で動かなくなった。


 私は刀を抜いてモノノケに歩み寄っていく。紅い刀身を首に当てがうと、どこか十歳くらいの男の子を思わせる輪郭をしたモノノケは、その大きな一つ目の紫色をした瞳だけを動かして私を見た。


 感情の読めない虚ろな瞳が、少し哀しげな色を帯びたように見えた、気がした。思わず刀を握る手にぎゅっと力がこもる。


「……ごめんね」

 刀なんて今まで振ったことないから、上手くないかもしれないけど。それでもなるべく苦しまなくていいように、私は刀を素早く振り抜いた。



「かがり様、大丈夫でしたか……!?投げ飛ばされて吹っ飛んでった先で何回かすごい音がした、気が、したんですけど……やっぱり気のせいかも……」

 帰ってきた私に慌てて声をかけてきた杏樹は、元気にさっき拾ってきたお菓子を食べている私を見て引き攣った笑いを浮かべる。


「いふぁふぉんほにふぁふぇほあふぁえふぁんふぁふぉ?」

「飲み込んでから喋って下さい」

 私は口いっぱいに頬張っていたポン菓子を飲み込んでから再び口を開く。


「いやぁほんとに投げ飛ばされたんだよ?ほら膝擦りむいたし。こういう時妖力あったらな〜」

「あれだけ投げ飛ばされて膝擦りむいただけって……」

 杏樹が心なしかドン引きしているように見える。え、私なんか変なこと言ったかな?


「あ、そうそう」

 忘れてた、と私はさっきからずっと手に持っていたものを杏樹に見せる。


 それは下に行くにつれて透明から紫色に色を変えていく、月光を受けて私の掌に儚い紫の影を落とす綺麗な水晶だった。


「これ、あのモノノケが灰みたいになって消えた後に残ってたんだけど。なんなんだろ、杏樹知ってる?」


 杏樹が驚いたように少し目を見開いた。

「これは――“魂晶こんしょう”ですね。魂の器とも言われる、モノノケの消滅後に唯一残る物です。任務達成の報告の時に、本当にモノノケを討伐した証明として合わせて送るものです。さっきかがり様に伝え忘れていたのを思い出して、僕の方で後で回収しに行こうと思っていたのですが。回収してきてくれたんですね。流石です」


 そう言う杏樹の手にも、五つの結晶が握られている。でも、どれも私が持っているものに比べると形が歪だったり、色がどす黒く濁っていたりするような気がした。


「えへへ〜、でしょ〜?」

 私は褒められて鼻高々になる。ほんとはなんとな〜く綺麗だから持って帰ってきただけなんだけどね。あの時の私よくやった。偉い。


 杏樹は魂晶を手に取ってまじまじと観察する。

「この純度は二等に相当しますね。まさか本当にあれを一人で、妖術も使わずに倒してしまうなんて……」

「えへへへへ、まあ私も月読だからね!これくらい朝飯前だよ!えへへへへ……」


「お〜い、そこのお嬢ちゃん達」

 不意に背後から声をかけられ、私と杏樹は一斉に振り向く。

 二人の若い男のひとが、にやにやとなんだか嫌な感じのする薄ら笑いを浮かべて立っていた。

「ちょっと話があるんだよね〜、時間ある?」

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