初任務

 夢を見ていた。


 私は暗闇の中に一人立っている。足元には一面に真っ赤な彼岸花が咲いていて、踏み場がないから私は仕方なく花を踏んで歩いていく。素足で茎を折り、花弁を踏み潰す柔らかな感触を感じた。いくら歩いてもこの闇の果ては見えず、ただひたすらに彼岸花が赤く、赤く咲き乱れているだけ。


『…………して』

 誰かの声が聞こえた。幼いその声を私はどこかで聞いたことがあるような気がして、あたりを見回してみるけど、この暗闇の世界には私以外誰も居ない。


『思い出して』


 声が耳元で囁いたその瞬間、私は夢から醒めた。


 まず木目の綺麗な天井が視界に飛び込んできて一瞬思考が停止したけど、数秒してああそっか私の家かぁと気がつく。こんな豪邸に住んでるとかまだ全然実感ない。


「……?」

 そういえばなにか夢を見てたような気がするけど、思い出そうとする内にその淡い輪郭が靄のようにふわりと空気に溶けてしまい、どんな内容だったのか全く思い出せなくなってしまった。まあ夢ってそんなものだよね。


 布団から半身を起こしたまましばらくぼーっとしていると、「かがり様。お目覚めでしょうか」という杏樹の声が聞こえた。

「うん。起きてる、よー」

 眠気覚めやらぬままぼんやりとそう答えると、さーっと襖が開く。


「おはようございますかがり様」

「杏樹おは……。…………」

「な、なんですか……?」

 杏樹の姿を目にした瞬間、私の脳裏に昨夜の衝撃的過ぎる告白が蘇ってきて急激に目が覚めた。そうだこの猫又、寝る前に『実は男でした☆てへっ☆』(言ってない)とかいうとんでもない暴露してきたんだった。私は困惑している、というよりドン引きしている杏樹のことをじとーっと上から下まで眺め回してみる。


「う〜ん……確かに言われてみれば見えなくもない、かも?」

「?」

 指とかのちょっと細くて骨ばった感じとか、女の子にしては少し低めで落ち着いた声とか。顔もすっごく整ってるんだけどよく見るとあんまり女の子!って感じがしないっていうか。意識して見ると確かに男の子っぽくはあるけど、逆に言えば意識しないと完っ全にちょっと気怠げな美少女にしか見えない。


 つまり杏樹は一言で表すと、猫又二つ結び無気力系美少女じゃなくて猫又二つ結び無気力系美少女(ただし男)だったんだ。うーん、要素が多過ぎて最早一言じゃない。どれか削ろうかな。


「……あの、ほんとに何ですか?」

「……ううん。なんでもない。やっぱり二つ結びは外せないよね」

「……はい?」

 相棒って結構男女一組なこと多いし、正直女の子でも男の子でも私みたいな落ちこぼれの側近なんかになってくれただけで嬉しいからどっちでもいいや。

 まあ酔様に命令されて嫌々ついてるのかもしれないけど、なんて思いながら杏樹の方を見たらコイツ頭おかしいんじゃないの?みたいな顔してたからその線が濃厚かもしれない。悲しい。悲しくなったらお腹空いてきた。


「……それより、朝餉の準備ができたそうですよ。それと、早速ですが本部から初の任務が与えられました」

「ほんとっ!? やったーっ!!」

 私はがばっと起き上がる。

「……一応聞きますけど、どっちに対してですか?」

「もちろん両方だよ〜。あっさごっはん♪ あっさごっはん♪」

「絶対食べ物のことしか考えてない……」



 私は顔を洗って歯を磨き、やっぱり最高に美味しい朝ごはん(夜だけど)を食べ終えた今、姿見の前に立って鏡の中の自分と向かい合っていた。


「うん、結構可愛いかも! 大きさもぴったりだし」

 初任務ということで、あらかじめ部屋の箪笥に入っていた新品の隊服に袖を通してみたのだ。


 月鬼隊の証である肩の紋様が見えるようにと左肩が出る白い小袖に、ぱっと見は裳みたいに見える膝上くらいの短い紅袴。

 月鬼隊の隊服は本部が隊士それぞれに合わせて作ってくれるらしいから一人一人見た目が全然違ってて、私のは巫女装束を動きやすくしたみたいな感じ。自分で言うとあれかもしれないけど結構似合ってるんじゃないかと思う。私は弾む足取りで自室を出て杏樹のもとへ向かう。


「杏樹〜っ! 見て見て! どう?」

「似合ってるんじゃないですか」

「だよねだよねっ!」

 ちなみに杏樹の隊服は私と形は結構似てて、上は紺で下が黒と、私と対になってるみたいな色味だ。

 隊服の下にぴったりとした長袖の黒く薄い服を纏っているため肌が見えてる部分は私よりずっと少ない。っていうかよく見たら私と一緒で裳じゃなくて袴だ。女装するのが好きなのかなぁとか思っててごめん。


「それと、こちらがかがり様の刀になります」

「刀?」

 私は首を傾げて杏樹に差し出された刀を受け取る。ちょっと刃を出して見ると鞘から覗いた紅い刀身がきらりと光った。おおお、本物初めて見た……!


 でもなんで急に刀?

 モノノケと戦うための武器ってことなら素手で十分なんだけど、という私の疑問を見透かしたように杏樹が説明してくれた。


「これはモノノケにとどめを刺して消滅させるための刀です。モノノケは体の再生が止まると自然と崩れ、やがて消滅するようになっています。かがり様は刃物をお持ちでならないようなので、酔様が用意したみたいですね。……あ、もちろん素手で胴体を引き千切ったり頭を捥いだりできるなら必要ないかもしれませんが……使います?」

「いや流石にそんなことできないからね!? ちゃんと使わせてもらいますー!」

 コイツならやりかねないみたいな表情をしているので慌てて弁解する。私だってそこまで化け物じゃない。いやできなくはないかもだけどひととしてっていうか乙女として駄目な気がする。


 それにしてもなるほど〜、とどめかぁ。確かに動かなくなったらそのままほっといて後は月鬼隊のひとに任せてたから、何気に消滅させたことはなかったかも。


 私は早速刀を腰に差してみる(袴に刀を差すための作りがあった。流石月鬼隊)。刀の重みがずしりと伝わってきた。

「うわぁこれやるの憧れだったんだよね〜!侍みたい! 『またつまらぬものを斬ってしまった……』とか言ってみたくない?」

「いえ僕は別に……刀は使わないですし……」


 ふと和時計に目をやった杏樹が「そろそろ出発しましょうか」と言う。

 時刻は朝の九時。もちろんこの常夜の国では朝と言えど外は常に真夜中である。

「うん、行こう! こんな暮らしさせてもらってる分ちゃーんと働かなきゃだもんね!」

 記念すべき初任務に私はるんるんで家を飛び出した。もちろん人生初の『行ってきます』は忘れずに。



「ねぇ杏樹〜。今どこに向かってるの?」

 隣を歩く杏樹に問うと、杏樹はすっと隊服に装備していた小さな巻物を取り出して開いた。

 後で聞いたけど、この巻物は隊士に支給されるもので、本部からの伝達とかの文面が浮かんでくるらしい。逆にこっちから書いたものもあっちに伝えられるから、任務完了とかの報告も全部これでできるんだって。超便利。


「今回の任務は廃墟になった通りに棲みつくモノノケ複数体の掃討です。等級は五、六等から三等くらいまでの幅だとと予想されています」

「へ〜。その等級? ってなに?」

「モノノケの強さ別の階級で、上から一等、二等と六等まで続きます。三等以上のものは妖術を使ってきたり、高い知能を持っていてひとを騙したりしてくることもあります」

「えっ、モノノケって妖術使えるの!?」

 じゃあ私が今まで倒してたのって全部半分より下の強さのモノノケだけってこと?ちょっと不安になってきたかも……。


 歩く内に段々と人気がなくなってきて、やがてそれが完全に絶え切った。


 前方では、月明かりだけに照らされたぼろぼろの廃墟がずらりと『立入禁止』の看板が立つ細い道の両脇に連なっていた。空気は澱のように淀んでいて、生温い風がぬるりと首筋を撫でていく。小さな鼠の影が私達の目の前を駆け抜けて行った。


 杏樹は足を止め、通りの奥の闇を見据えて言う。

「……“星屑夜街”。廃れてひとが住まなくなり代わりに暗闇を求めるモノノケが棲みつくようになった、言わばモノノケの巣窟です。定期的に月鬼隊が掃討を行っているのですが、一月もあればまた大量のモノノケが湧く危険な任務先です」

「それ絶対初任務で来るとこじゃないよね!?」

「月読と十六夜二人なら妥当な任務だと思われたんでしょうね。視界が悪くてどこにでもモノノケが隠れられる上に狭くて動きづらいので気をつけてください」

「控えめに言って最悪じゃん!?」


 私は恐る恐る、杏樹は慣れた様子で星屑夜街へと足を踏み入れた。


「……かがり様、もしかしてですが震えてます?」

「こ、ここここれは武者震いってやつだよ、いや〜初めての任務腕が鳴るな〜!」

「顔が真っ青ですが」

「だって怖いんだもん!! 絶対お化け出るよお化け!!」

「モノノケは怖くないんですね……」

「? だってモノノケは殴れるでしょ」

「殴れるかどうかが怖さの基準なのがまずおかしいでしょ……」

 杏樹がつっこんだ。

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