めでたく月読に任命されてから一時間後、私と杏樹は綺麗に整えられた林の中を歩いていた。


「えへへへっ、これからはずっと杏樹と一緒なんだよね?」

「まあずっと……かはわかりませんが、今のところはそうですね。好きに使ってください」

「じゃあさじゃあさ、相棒ってことだよね!?」

「ん……?いやそれはまたちょっとちが」

「やったぁ、よろしくね相棒っ!いやぁ嬉しいな〜、『背中は任せた!』『おう!』とか言ってみたかったんだよね〜。あと相棒ってことで尻尾触らせて」

「いえ僕はあくまで側近というか主従というか……まあいいか」

 杏樹は諦めたように前に向き直り、「着きましたね」と呟く。私が尻尾に向けて伸ばした手はさっと上手く躱された。ちぇ。


「え?着いた、って……どこに?」

「かがり様の私邸です」

「してい……って家、だよね?」


 あたりを見渡すけど、家らしい家は見当たらない。あるのはさっきの盈月城の程じゃないけど、十分大きい木製の門と塀だけ。その向こうにすっごい大きいお屋敷みたいなのがあるから、旅館とか、お金持ちの別荘とかなのかも。あとはあだひたすらに綺麗な自然が広がっている。


「あのー、杏樹?家とかどこにも見当たらないんだけど……」

 きょろきょろと周囲を見渡す私を他所に、杏樹は門の方へ歩いていき、その取手に躊躇なく手をかけた。

「え、あ、杏樹?なにを……」

 そこは旅館じゃないの?

 

 杏樹はそのままぎいっと門を内側に開き、重たそうなそれを片手で開けたままにして門の傍らに立った。

「どうぞかがり様。お入りください」

「ちょっ、ちょっと待って!?ま、まさか『ここが家でーす』とか言ったりしないよね!?」

 否定の言葉を待つ私の期待を、杏樹は次の瞬間発した「そうですよ」の一言で見事なまでにへし折った。


「ここがこれからかがり様が暮らす家です」



「に、庭だ……」

「そうですね」

「池だ……」

「そうですね」

「橋だ……」

「そうですね」

「こ、鯉が泳いでる……」

 敷地の中に入ると、そこには豪華過ぎて広大過ぎる日本庭園が広がっていた。


 大きな池には赤い太鼓橋がかかっていて、透き通った波紋が月光に煌めく水面の下を錦鯉が優雅に舞っている。私はいちいち感動しながら地面に点々と続く飛び石の上を歩いていく。


 普通の家の十個分以上はありそうな大きさの豪邸に足を踏み入れると、ずらりと二十人近くのひと達が並んでいた。


「お待ちしておりました家主様。私どもはこの屋敷で働かせて頂く使用人でございます。諸々の用意は整えておきましたのでなにか至らぬ点があればなんなりとお申し付けください」

 使用人さん達は揃って頭を下げる。


「ありがとう。下がっていていいよ」と杏樹が言うと、使用人さん達は「承知しました」とどこかへ引っ込んでいった。


「うわぁ、使用人って仕事ほんとにあるんだ、初めて見た……!」

「調理、掃除、洗濯、その他諸々の家事は一通り使用人達が請け負ってくれます。任務は明日からなので今日はひとまず家を回って間取りを把握しておきましょうか」

「うん!!」

 私は食い気味で答える。だって人生初の自分の家で、しかもこんなとんでもない豪邸だ。嬉しくないわけがない。

「よーし、探検だね!しゅっぱーつ!」

「……そっちは厠です」


 

「ここがかがり様の自室ですね」

「ふおおおおお!!布団だぁぁぁ!!」

 部屋に入って真っ白な布団を目にするなり、私はすぐさま駆け寄っていって勢いよく倒れ込んだ。


「ふっかふか……くぅぅ、幸せ……こんなところで寝れるとか幸せ過ぎる……今日はせっかくだし後で寝よっかな」

 ちなみに妖には寝る必要がない。夜の闇に生きる妖怪の魂を宿しているからか、体質的に睡眠を必要としないのだ。でもずっと動いてると普通に疲れるから休憩は必要だし、寝ると体力も妖力も回復するから二、三日に一回は寝るってひとも多い。


 人生初の布団を噛み締める私を見下ろし、杏樹は「……一体どんな過酷な生活してきたんだ」と呆れたような驚いたような苦笑を微かに浮かべて呟く。


「もうじき夕餉ができると思うので、食べて入浴を済ませてから眠っては。……ああ、ちょうど準備ができたみたいですね」

 部屋の外から使用人さんが声をかけたみたいだ。さっきからお出汁のいい匂いがしている。

「ご飯!!」

 私はがばっと跳ね起きた。

「部屋まで運んでもらいましょうか」

「うんっ!」

 楽しみだなぁご飯。お店でしか食べたことないからこういうの初めてだ。私が机の前に座って待っていると、やがて料理が運ばれてきた。


 綺麗に盛られたお刺身。揚げたての天麩羅。湯気を立てるお吸い物。色とりどりな野菜の煮物。ほかほかの白いご飯。香り高い緑茶。


「うわぁぁぁ……ほ、ほんとにこれ一人で食べていいのっ!?」

「はい。まだまだあるので沢山召し上がってください。食後に甘味も用意しております」

 使用人さんが一礼して部屋を出ていく。


 私は「い、いただきます……!!」と手を合わせ、あまりの豪勢さに恐る恐る箸を口に運んで……思わず俯いた。


 杏樹が私の反応に驚き、珍しく焦り出す。

「……かがり様?どっ、どうされました!?お口に合わなかったなら……」

「……お」

「お?」

「美味し過ぎて泣けてきた……」

「そっち!?」

 私はだばだばと滝のように涙を零していた。


「うううう、だって美味しいんだもん……」

「……良かったですね」

「杏樹も食べなよ、絶対泣くから……うううう、美味しいぃぃ……!!」

「僕は後で頂きます」

 杏樹は小さく苦笑し、私を琥珀の瞳に優しい色を浮かべて私を見守っていた。



「ふわぁぁぁ、沁みる……」

 かぽーん、とお湯の音が静かに響いている。

 夜ご飯を食べ終え、私は今お風呂に浸かっていた。二階の外にある露天風呂は眺めがとても良く、星屑の散りばめられた夜空と周囲を取り巻く自然が見下ろせた。


 今日は色々と急展開の連続だった。急に猫又二つ結び無気力系美少女が現れて、盈月城を訪ねて、月読に任命されて、豪華が過ぎる豪邸に住むことになって。起承転結どころか転転転転だ。


「……あれ?」

 今日一日の出来事を思い返していた私はふと思い立ち、指を折って数えてみる。


「自分の家でご飯食べて、お風呂入って、布団で寝る……って、私やりたいこともうほぼ全部できちゃったじゃん」

 こんなに幸せでいいんだろうか。まあいいってことにしようと決めて、私はうーんと大きな伸びをする。


 確か明日から任務が始まるんだっけ。月読として認められたからにはちゃんと期待に応えなきゃだよね。


「よ〜し、明日から頑張ろっと」

 澄み切った五月の夜空を見上げて、私はそう呟いた。



「えーっと、これが浴衣で。帯はー……あ、これかな」

 うっかり着替え持ってくの忘れてた。私の部屋の箪笥を漁りながら着替えていると、部屋の外から「かがり様。入ってもよろしいでしょうか」と杏樹の声がした。


「うん。いーよー」

「失礼しま……ッ¢£%#&□△!?」

 襖を開けて入ってきた杏樹は着替え中の私の姿を見るなり尻尾を踏まれた猫のような声を上げて襖をピシャッ!!と凄まじい勢いで閉じた。


 ややあって、

「……かがり様、僕今入っていいか訊きましたよね?」

「えー、別にいいじゃん。女の子同士なんだし。なんならお風呂も一緒に入りたかったのに。あ、次一緒に入ろうよ!」

 裸の付き合いって言うよね〜と私が呑気に考えていると、「……は?」と杏樹が間の抜けた声を上げた。流石に会ったばっかりで一緒にお風呂は急かぁ。


「あの、かがり様?」

「んー?」

 微妙な沈黙の後、杏樹は呆れたように言う。

「確かに勘違いされてるような気はしてたんですけど……」

「?」





「僕、男ですよ」





「……は?」



「とにかく、そういうことなので。――おやすみなさい」

 杏樹が廊下を歩き去っていく。





「はあああああああああああああ!?」

 私の絶叫が家全体に響き渡る。最早お風呂上がり特有の眠気なんてすっかり醒めてしまっていた。

 

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