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 もう少し待ってほしいと言ったのに、結局、僕は、自分が考えていることをカロにほとんど話してしまった。彼女にはそういう雰囲気がある。何でも話しても大丈夫と思わせるような雰囲気だ。彼女は宙を彷徨いながら、僕の話を聞いていた。そんなふうに動いていないと気が済まないのは僕もだが、彼女は一層落ち着きがない。落ち着いた雰囲気ではあるが、いつも動いているイメージだ。常にアイドリング状態にあるのかもしれない。


「根拠は?」


 僕が話し終えると、カロはそう尋ねた。彼女は上からこちらを見ている。


「ないよ」僕は答えた。「すべて僕の想像にすぎない」


「その想像に対する好感度は?」


「好感度?」僕は首を傾げた。「まあ、あるといえばあるかな。それなりに……」


 カロが宙を移動する。僕の上に彼女がいても、影は生じない。この仮想空間に来たときに感じた違和感の正体はこれだと、僕はそのとき気づいた。色も形も見えるから、光の効果はあるのだろうが、それに伴って生じるはずの影がないのだ。計算量が大きいからだろうか。


「そうすると、ここは、君のお姉さんが作った、ということ?」カロが言った。


「お姉ちゃん自身が作ったのかどうかは分からないけど……。少なくとも、彼女が関わっていることは間違いないと思う」


「お姉さんは、どこかの組織にでも所属していたの?」


「たぶん」そこまで話して、僕は思いついた。「いや、そうではないかもしれない。これほどの仮想空間を作ることができたのだから、組織としての実態は薄かったかもしれない。すべて仮想で行うことができたかもしれない」


「君のお姉さんは、何がしたかったの?」


「具体的には分からないけど……。方向性としては、植物を保持したかったんだろうね」


「何のために、この仮想空間が必要なの?」


 しゃがんでいた僕は、土を手の上で転がす。匂いの効果が生じた。


「何のためだと思う?」僕は自分の手に目を向けたまま尋ねる。


 カロは僕の傍に降りてきて、僕と同じように土を弄り出した。途中で彼女の手の上にある土を少し貰った。


「ここで仮想的に作り出した植物を、現実世界に反映させるとか?」カロが言った。


「そんなことができたら、凄いだろうね」僕は少し笑う。「そこまではできないんじゃないかな。現実世界にあるものを、こちら側にデータ化することはできるかもしれないけど、その逆は難しいと思う」


「ポールは、仮想空間から現実世界に来たのでは?」


「彼は、あちらとこちらを繋ぐゲートだから、そういう意味では、どちらにも属するともいえる」


「君のお姉さんは、どこにいるの?」


 僕は顔を上げて、カロを見る。話している間ずっと下を向いていたから、首を動かすと少し痛かった。


 カロもこちらを見ている。いつも通りの赤い目だ。


「君は、彼女はどこにいると思う?」僕は問い返す。


「その方は、ここにはいません」


 突然頭上から声がしてそちらを見ると、シスターの姿があった。大きな黒い翼を広げて、僕たちの上を浮遊している。


「しかし、その姿を最もよく反映しているのは、私です」


「いないというのは、どういう意味ですか?」僕は尋ねる。


「個としては存在しない、という意味です」シスターはカロの隣に降り立った。「その方は、自らをデータ化する際に、個としての存在を失うことになりました。データ化するために必要な情報が不十分だったからです。というのも、身体の一部に欠損が認められました。具体的には、片方の腕がありませんでした」


「どうして、彼女は腕をなくしたんですか?」


 僕が質問すると、シスターは首を傾げた。目に宿る青い光が空中に軌跡を引き、弧を描いた。何かを考えているような表情だ。


「おそらく、意図的なものだったと思います」シスターは答えた。「何らかの理由で、自分のすべてをデータ化するのを避けたのです」


「その理由というのは?」


「私には分かりません。彼女に関するデータが足りないからです」


「彼女は、今、どうなっているんですか?」


「大部分は、この空間そのものになっています」シスターは言った。「その方の目的を遂行するためには、その方の意志をダイレクトにデータ化する必要がありました」


「それは、上手くいったんですか?」


「一応は」シスターは頷く。「しかし、すでにお伝えしたように、この空間は、現状、不安定です」


「それも、彼女の意志ですか?」


「分かりません」


「貴女は、姉に似ています。彼女から引き継いだデータ量が多いということですか?」


「そうだと思います」シスターは再び頷く。「私は、現実世界とこの仮想空間のインターフェースの役割を担っています」


「ポールの活動範囲が広がっているため、この空間を維持するのが難しくなっていると聞きました。それは、どういう意味ですか?」


「分析中です」シスターは答える。「今言ったように、この空間が不安定になっていること自体、貴方の姉の意志である可能性があります。私は、その方のデータを引き継いでいる割合が多いようですが、不明瞭な点も多くあります。その方のデータをすべて引き継いでいるわけではないこと。それに、意志というものの性質にもよります。意志というものは、普通、言語化されていません。されている場合もありますが、それは意志の全体ではありません。そのため、処理が難しく、現段階では、彼女の意志のすべては把握できていません」


「ポールは、今、どこにいますか?」


「変換器の方で作業をしています」シスターは言った。「私たちも行きましょう」


 シスターが軽く手を振ると、宙に浮いていた果実が一斉に移動を始めた。僕たちが歩くのに合わせて果実もついてくる。途中で後ろを振り返ると、さっきまであった畑が徐々に消えつつあった。


 シスターの話を聞いて、僕はなんとなく察しがついていた。現実世界に片腕を残したのもお姉ちゃんの意志だということは、その片腕にも彼女の意志が残っているというのと同義だ。現実世界に残った腕は、それはそれでお姉ちゃんの意志を果たすのだ。


 おそらく、その腕の成れの果てがあの魔法使いだろう。つまり、魔法使いが僕の住む街にやってきたのは、お姉ちゃんが仕組んだことだった。魔法使いはお姉ちゃんの意志によって生み出された。そして、魔法使いは菌類に似た生き物を生み出し、僕が作った人形へ寄生させた。それがカロだ。


 隣を歩くカロを見る。


 今僕が考えたのと同じことを、彼女もすでに考えているだろう。


 僕が人形を作るようになったことも、お姉ちゃんが仕組んだことだろうか? そこまでは分からなかった。人形でなくても良かったかもしれないし、そもそも僕は何も生み出す必要はなかったかもしれない。何らかの形で、魔法使いが生み出したカロが、僕のもとへやって来れば良かったのだ。


 シスターも、ポールも、魔法使いも、カロも、そして、この仮想空間も、すべてお姉ちゃんの意志の一部だから、もはやどれがどれに影響を与えているのか分からない。僕の所にカロが住み着くようになり、それを知って、ポールが僕たちを仮想空間へ導いた。しかし、そうした順序を見出すことは、果たして妥当だろうか。


 お姉ちゃんの目的は、たぶん、カロのような存在を生み出すことだ。カロを仮想空間の中に取り入れることで、何らかの問題が解決される、あるいは、そのためのキーとなると考えていたのではないか。


 ピースはすべて揃っている。僕とカロはすでに仮想空間に取り込まれ、この空間を維持するための作業に加担している。その作業が終われば、何か分かるようになるだろうか。


 残された問題は、ポールの活動範囲が広がっているのはなぜかということだ。ポールもお姉ちゃんの一部だから、結局のところ、それもお姉ちゃんが残した意志の活動範囲が広がっているということになる。


 お姉ちゃんは、何をしようとしているのだろう?


 突然、空間そのものが黒くなった。


 シスターが進むのをやめる。僕とカロも彼女に倣って立ち止まった。


 黒い床の一部が溶けるように変質し、下から卵形の物体が現れた。卵の周囲を金属製の枠が部分的に覆っている。周囲が黒いせいで、卵自体の色は分かりにくい。金属製の枠が赤いことは分かった。色というより、光そのものに近い。一定の周期で点滅している。


「これが変換器です」


 こちらを振り返り、シスターが僕たちを見る。


 彼女の青い目が、それだけ浮いているように見えた。背後にある赤い点滅と、彼女の青い目が呼応しているように見える。


「作業を始めましょう」

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No.3 トルトリノス 羽上帆樽 @hotaruhanoue0908

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