第121話 お魚くわえたドラ猫

 カータさんと一緒に馬車でパナムの町へ行き、早速冒険者ギルドの支部を訪れた。カウンターの奥には先日カータと揉めたギルド職員の姿もあった。


 彼もこちらの姿を捉えると一瞬驚いた顔をするも、すぐにニヤついた表情へと変貌し、俺たちに話しかけてきた。


「おやおや、これはゼトン支部の……。本日はどのようなご用件で? 何か問題でも起こりました・・・・・・かな?」


 開拓村で俺たちを襲った冒険者の裏取りは済んでいる。ただ、冒険者たちの証言だけで物証がない。


 職員の言葉に俺は白々しい真似をと思いながらも、ここはカータ氏に任せる事とした。


「ええ、大問題です。オースの森深くに未知の魔物を発見しました」


「……へ?」


 大方パナムの性悪職員は、冒険者たちに食糧を狙わせた事に関する案件だとでも思っていたのだろう。


 だが予想外の話の流れに間抜けな声を上げた。


「現地冒険者の鑑定結果では、その魔物はアーススパイダーの亜種で、極めて強力な水魔法を扱う新種だそうです。推定討伐難易度はSランク以上……間違いなく、そいつが近頃起こっている異常現象の要因でしょう。早急に各ギルドに通達の上、統制局にも報告するべきです!」


「ま、待ってくれ! Sランクの魔物だと!? そんな、何を馬鹿な……!?」


 寝耳に水な報告で、性悪職員だけでなく、聞き耳を立てていた他の職員や冒険者たちも驚きを隠せないでいた。


 それも無理はない。何故なら人類観測史上、このバーニメル半島内でSランク級魔物の出現は今までなかったからだ。ダンジョン内は例外だが、野生の魔物だとAランク上位にランクインするデストラムや≪三本角≫のオーガなどがトップレベルなのだ。


「おいおい、その話は本当か?」


 すると背後から野太い男の声が聞こえてきた。


 声のする方へ振り返ると、そこには大男とその連れらしき集団が立っていた。どいつもこいつも強そうな上に装備も充実しており、ベテラン冒険者の風格を感じた。


「≪猛き狩人≫のリーダー、ザップです」


 横でカータが小声でこっそり教えてくれた。


(彼らが≪猛き狩人≫……成程、最前列の二人、それと右にいる一人は強そうだな……)


 クラン≪猛き狩人≫には三人のA級冒険者が在籍しているという話だ。恐らくその三人が件の冒険者なのだろう。実力的にはこの前首都ニューレの支部で遭遇したカインと同程度か、ちょい下くらいだろうか。


 あくまで俺の想像なのだが……


「ええ、事実です。調査能力に長けた冒険者パーティに依頼し、実際にその魔物と交戦もしております」


 カータが説明すると≪猛き狩人≫のリーダーであるザップは少しだけ顔を顰めた。どうやら調査能力云々の下りが皮肉に聞こえたのだろう。元々その調査は≪猛き狩人≫に依頼されたのだが、討伐依頼を好む彼らはそれを蹴ったのだ。調査任務自体も苦手だったという話も同時に聞いていた。


「ちっ、まあいい。だが、そいつは本当にSランクの魔物だってのか? 未知の魔物なんだろう? 一体どこの馬の骨が調べたってんだ? ゼトンには大したランクの冒険者は居ないだろう?」


 馬の骨扱いされた俺は少しムッとしたが、どうやらカータも気に喰わなかったようで、ザップに強気な態度で言い返した。


「こちらにいらっしゃる冒険者パーティ≪白鹿の旅人≫の方に依頼しました。実績も実力も十分にある冒険者ですよ!」


「あん? “しろじか”だぁ? 聞いた事ねえ名だなぁ……。おい、お前。どこの地区のもんだ?」


 連合国は大きく十地区に分けられており、冒険者たちはよく「お前、どこ中よ?」みたいなノリで活動地区を聞いてくるのが通例だそうだ。


 だが残念。俺たちはそもそも連合国の出ではない。


「エイルーン王国から来たB級冒険者パーティのリーダーだ。俺たちが森を調査した」


 俺が名乗りを上げると≪猛き狩人≫を含め、ギルド内にいる殆どの冒険者たちが大笑いした。


「ぶははっ! あんなチビがB級とは、王国はよっぽど人材不足らしいな!」

「田舎者のB級はゴブリン狩りでもしてろや!」

「テメエみてえな自称B級冒険者に、森の調査なんざ十年早いっての!」


 大方予想はしていたが、どうやらニューレ支部以上に東部への偏見は酷いらしい。


「……おいおい。こんなガキに調査させて『S級が出た』だぁ? 大方、そのアーススパイダーの亜種ってのも見間違いか、よくてBランク程度だろうよ」


「いいや、それはない。証拠がある」


 俺はそう告げると、マジックバッグから氷蜘蛛が放ってきた糸を取り出した。


「ギルドなら鑑定できる人はいるだろう? こいつを視てもらえれば分かる」


「では、私が視てみましょう」


 カウンターの中から【鑑定】持ちの職員が現れて俺の手に持つ糸を視た。


「……確かに“アーススパイダー(亜種)の糸”と鑑定されますね」


「……ふん。なるほど。A級の亜種なのは認めるさ。だが、S級だってのは流石に盛り過ぎだろう? いや、そうだな……。何なら、俺たち≪猛き狩人≫がそのS級・・を狩ってこようか?」


 思わぬザップの発言に俺は慌てた。


「待て! あいつを刺激するのは止めろ! お前たちが自殺するのは勝手だが、村や町まで巻き込むな!」


 冗談ではなかった。


 コイツの目論見は分かる。どうせS級は過大評価だとでも思っているのだろうが、その魔物を打ち倒す事で自分たちの名声を得ようと考えての発言だろう。


 だが現実はもっと残酷で、俺はあの氷蜘蛛はS級どころかSS級以上じゃないかと睨んでいるのだ。流石にそこまでの報告は誇張に聞こえるだろうから、S級以上だと言っているに過ぎない。


 挑戦するのは結構だが、迂闊に手を出した挙句、折角山の方に誘導した氷蜘蛛を人里へ引き寄せるのだけは絶対に阻止したかった。


「何だと、この小僧が……!」

「俺たちの実力が分かってねえようだなぁ!」


 向こうも俺の言葉が気に喰わなかったのか、一触即発の空気になる。ならば、これを利用しない手はない。


「だったら俺と戦え。俺如きを倒せないようじゃあ、あの化物相手だと即瞬殺だぜ?」


「……いい度胸だ。表、出ろや!」


 結局穏便には済まなかったが、後は俺が連中を倒すなり善戦すれば、氷蜘蛛の恐ろしさを身に染みることだろう。



 俺たちは多くの冒険者や職員たちが見守る中、ギルドの横にある野外訓練場へと足を運んだ。どうやらリーダーであるザップが直々に相手になる様だ。益々好都合である。こういった手合いはボスを倒せば大人しくなる筈だ。


「おら、さっさと得物を抜けや!」


「流石に殺し合いじゃないからな。素手でどうだ?」


 体格差もあり、まさか無手で挑んでくるとは思わなかったザップは怒りを滲ませていた。


「上等だァ! 殴り殺してやる!」


「だから殺し合いじゃないって!」


 試合開始の合図をするまでもなく、ザップがこちらへと突っ込んできた。


 俺は素手での戦闘はそこまで得意ではないが、別に苦手でもない。寧ろ剣だと加減が難しい分、模擬戦なら全力で戦えるので少しだけ安心だ。


 だが、相手は腐ってもA級冒険者の一人だ。何度か拳を交えるも、やはり体格差が厳しいようで、少々押され気味になる。


「やっちまえリーダー!」

「何手こずってやがるんだ!」

「さっさとぶっ倒せぇ!」


「くっ、うるせぇ!」


 優勢なザップであったが、彼は善戦する俺に驚いていた。どうやら相手の力量を見抜くのが苦手だったのか、まさか俺がここまでやるとは思いも寄らなかったのだろう。


 だが計算外だったのはこちらも一緒だ。


(ぐっ、こいつパワーだけじゃなくて、普通に強いぞ!?)


 人を見る目が無いのは俺も同様だったらしい。


 こちらはスキル【怪力】に【身体強化】と肉弾戦用のスキルが二つもあるというのに、終始押されっぱなしだ。いい加減、頭を防御する腕にも痛みが増してきた。


(ちっ! 魔法有りなら【ヒール】で癒しながら戦うんだが……)


 流石にこの流れで使用するのは無粋だろう。俺は何とか唯一勝っているスピードを活かしてザップに食らいついた。徐々にだが反撃する機会も増えていく。


「くぅ、いい加減倒れろ!」


「そっちがな!」


 こちらの方が相手にダメージを与える回数が増えたが、一撃一撃はあちらに軍配が上がり、劣勢なのは依然変わらない。


 戦況に変化が見られたのは、殴り合いを開始して5分ほどが経過した時だ。ザップが少しばかり動きを鈍らせてきた。


 どうやらダメージはこちらの方が上でも、痛みに対する耐性は俺の方が強かったようだ。俺自身も無自覚だったが、おそらく【ヒール】に頼り過ぎてダメージ無視の戦い方が身に付いたのか、痛みに鈍感になってしまったようだ。


(ううむ、これは逆にいかんなぁ)


 戦いに痛みは余計な感覚だとも思えるが、痛覚が鈍感なのは生物学的にはマイナスである。外部からの攻撃に対して反応が鈍るからだ。人は痛みを感じるからこそ、それを受けまいと必死に努力し精進する生き物なのだ。


 だが俺たちパーティの戦い方は全く真逆で、チート【ヒール】や【リザレクション】があるのをいいことに、少々無茶な戦い方が目立っていた。


 一方でザップは痛みに弱いらしく、技のキレを鈍らせつつあった。実力の近い相手との戦闘経験が乏しかったと見える。まぁ、普通の冒険者であれば、大怪我は即引退にも繋がりかねないので慎重にもなるというわけだ。


 要は何事もバランスが大事ということだな。



 結局、最後まで決着がつかず、俺とザップは息を切らしながらお互いに距離を取った。


「はぁ、はぁ……お前の実力は……分かった……」


「はぁ、はぁ……こっちも……身に染みたよ……」


 流石はA級冒険者だ。これが互いに武器や魔法有りだと一体どうなるのか、鑑定を持っていない俺には想像も付かなかった。


 今の会話で互いに“分け”だと認識した俺たちは二人同時に腰を落とした。その様子を見ていたギャラリーたちはざわついていた。


「まさか、あのザップと引き分けるとは……」

「ザップさんは大剣を使ってねえ! 本来なら勝負はついていたさ!」

「いや、相手も剣が得物のようだし、分からねえぜ?」

「あれで本当にB級か……?」


 外野の言葉に耳を傾けながらも、俺は自身を【ヒール】で癒した後、ついでにザップも癒した。


「おいおい、なんて回復スピードだよ。お前、クルセイダーだったのか?」


 クルセイダーというのは回復職と剣士職を併せた特殊な職業を指す。地球では十字軍の兵士のことだろうが、この世界で自動翻訳を通すとそうなるらしい。


「そんなもんだ。でも、これで理解して貰えたか? 俺のパーティメンバーも同じくらい強いのが後三人もいる。それでも全滅しかけたんだ。ハッキリ言って、あの化物蜘蛛はSS級以上だと俺は思っている」


「…………ああ、分かった。俺たち≪猛き狩人≫はその蜘蛛には手を出さねえ!」


「そ、そんな!?」

「リーダー! イモ引いちまうんで!?」


 俺とザップの模擬戦は大手クランの≪猛き狩人≫側としては受け入れがたい結果だったのか、彼の判断に不満を持つ冒険者が何人かいた。


「うるせぇ! 俺の勝手だ! 文句があるのなら相手になるぜ!」


 流石にザップに正面切って反論する者はいなかったのか、全員黙り込んでしまった。一部恨めしそうに俺やザップを見る者もいたが、どうやらこの場で意見を述べるつもりは無いようだ。


(……これで連中の暴走は止められたか? 後は俺たちだが……)


 今回の一件は早々に手を引こうと決めていた。これ以上この地に長居しても碌な目に遭わないだろう。仮に氷蜘蛛が町に攻めてきたとしても、俺たちに止める術はないのだから……


「カータさん。俺たちも一度村に戻りましょう」


「ええ、そうですね」


 パナム支部への義理立ても済んだ。よもやこの状況で変な気も起こさないだろう。


 去り際にザップが語り掛けてきた。


「あー、そういえば俺の仲間を見なかったか? 冒険者が6人、開拓村に向かったそうだが……」


 恐らく俺たちを襲った連中の事だろう。どうやら彼もギルド職員から依頼された後ろ暗い内容を知っていそうだ。


「あんたの仲間かは知らないが、俺たちを襲ってきた6人の賊は拘束したよ。後始末はゼトン支部に任せるつもりだ」


「……ふん。お前相手なら、そうなるわなぁ……」


 てっきりその件について「仲間を返せ!」とでも言われるかと身構えていたが、ザップはそれ以上関わる気はないのかだんまりだ。俺の実力を認めたからなのか、それとも案外話の分かる奴なのだろうか。


 とにかく、これ以上面倒事が増えないのは有難いので、そそくさとその場から離れた。



「……驚きました。まさかイッシンさんがあそこまでお強いとは……」


「こっちも驚きですよ。流石はA級冒険者だ」


 癒したはずの両腕が未だにヒリヒリするような錯覚を覚える。できれば彼らとは敵対したくはなかった。




 それからは慌ただしかった。


 まず村に戻った俺たちは再び村側と話し合い、このまま一緒に森の外へ避難しないか提案したが、やはり生活が懸かっているのか村人たちは首を縦には振らなかった。


 仕方なく最低限の観測要員である冒険者を残し、俺たち≪白鹿の旅人≫はカータ氏と共に、急ぎゼトンの町へと帰還した。



 カータ氏から報告を受けたゼトン支部は蜂の巣を突いたような大騒ぎであったが、そのくだんの魔物を観測したのが俺たちだけとあって、大きな行動に移せずにいた。


「流石に村人を一斉避難させるには行政の許可も必要です。こちらからも統制局に一報を入れておきましょう」


 生憎ギルド長は不在だったらしく、この件に関しては副ギルド長が早急に対処してくれるそうだ。


「とりあえず、これで調査依頼は完了ですよね?」


「うーん、できれば貴方たちには有事の際に残って頂きたいのですが……」


 副ギルド長は俺たちを引き留めに掛かったが、それを俺は頑なに拒んだ。既に報告すべき内容は全て提供したし、後は氷蜘蛛を刺激しないように統制局とやらが慎重に対応する他ないだろう。


 一番気掛かりな≪猛き狩人≫の暴走は未然に食い止めたのだ。寧ろこれ以上ないくらいに貢献しているので、後は連合国内の問題だ。俺たちも自分たちの命が惜しいので、当初の予定を少しだけ早めて、連合国のダンジョン探索へと励むことにした。








 アーススパイダー(亜種)の騒動が広がりつつある中、連合国の中央部に位置するフランジャール地区でも衝撃的な事件が起きようとしていた。




「今日も何事もなく、平和なもんだ……」


 フランジャールの田舎町にある冒険者ギルドの職員は、独り言を呟きながら日が暮れかけた夜道を歩いていた。



 この町は北部のガーディ公国から続く馬車道と、東の首都ニューレからの大きな街道が交差する要所であったが、それ以外に何か珍しいものがあるのでもなく、ただの宿場町として機能していた。


 ただ、町としてはそれなりの規模でもあるので、申し訳程度にギルド支部も置かれてはいたが、この付近には野盗も出なければ魔物もほとんど棲息していない長閑な平地であった。


 故に冒険者の仕事も少なく、ギルド職員の男は暇を持て余していた。


(なんか、もっとこう……そう、刺激が欲しいよなぁ)


 昔は冒険者稼業にも挑戦した男だったが、自分には戦いの才能が無いと気付いて早々にリタイアした。だが、それでも冒険者稼業に関わりたかった男はギルド職員という新たな道を選択したのだが、数年前に飛ばされたこの町のギルド支部では少々物足りない生活を送っていた。


(前の支部は面白かったんだけどなぁ。偶にとんでもない逸材冒険者を【鑑定】で視たり、Aランク魔物の素材を鑑定したりと……)


 男は戦闘センスこそ壊滅的であったが、幸運にも【鑑定】スキルを所有していたのだ。お陰でギルドにはあっさり就職できたのだが、勤務地変更の嘆願が通り辛いのが玉に瑕だ。【鑑定】できる人材は希少で、おいそれと転勤させてもらえないからだ。


「あーあ。何か面白い事件でも起きねえかなぁ……」


 この町は治安も素晴らしく、犯罪もほとんど起こらない。


 だが今夜の町中は少々騒がしいなと、男は声のする方へ視線を向けた。そこでは猫が一匹、魚を咥えて逃げているのを、店主らしき大男が棒を振り回して追いかけている光景が見えた。


 偶に起こる事件など、せいぜいこの程度だ。


(うん、実に平穏だ……)


 男はため息交じりに逃げていく泥棒猫を【鑑定】した。特に理由はない。ただ何となく、暇つぶしで視ただけだ。それが男の誇れる唯一の特技で、既に町中の人々を全員【鑑定】していたからなのだが…………




名前:ミケアウロ


種別:魔物

サイズ:小型




(……ん? 魔物……?)


 野良猫にそっくりな魔物はいるにはいる。スコットという名の魔猫だ。別名“ラットハンター”と呼ばれ、町中のネズミ対策にペットとして飼われてもいる討伐難易度Fランクの益魔物だ。人への危害がほとんどないことから、連合国内では討伐禁止に指定されている地区もある弱い魔物だ。


 だが、仮にスコットなら名前の部分もそう表記される筈だが――


「――っ!?」


 改めて追われている猫の名前をガン見した。二度、三度見て、それが間違いではないと悟った瞬間、全身に鳥肌が立ち始めた。


「み、み、みけ……ミケアウロ! 赤獅子、だとぉ!?」


 赤獅子ミケアウロとは、この広い世界に七匹しか存在しない、≪七災厄しちさいやく≫と呼ばれる最も危険な魔物の一角だ。


 その中でも討伐難易度EXとされている五匹の魔物はほとんどの国で討伐禁止指定されている。その点では奇しくも魔猫スコットと同じだが、理由は全くの正反対だ。かの五匹の怪物どもは、要らぬ刺激を与えれば町や国が滅ぼされてしまう.


 つまり恐れから手出し厳禁とされているのだ。


 それは誇張でも何でもなく、実際に過去幾度も手痛い目に遭った人類が教訓として定めた法である。赤獅子ミケアウロも、ただの猫と侮ったどこかの村人が暴力を振るおうとした結果、その村が一瞬にして灰になったという伝説がある。


“だから弱い者虐めは止めましょうね”という童話にもなっている、子供でも知っている程の存在なのだ。


 そして今まさにその生ける伝説が、魚屋の店主に棒を振り回されながらこっちの方に追われていた。その事実に直面したギルド職員の顔色は真っ青だ。


「ま、待てぇええ! それ駄目ぇええっ!?」


 大声で叫びながらギルド職員は、近くを通り過ぎようとした魚屋の店主に抱き着いて制止した。


「何だ、お前は!? 泥棒猫に逃げられちまうだろうが!」


「ま、待って! み、ミケ! ミケぇ……っ!」


 いきなりの窮地に立たされたギルド職員はパニックに陥り呂律が回らない。現役時代もそうだったが、この男は想定外の出来事にはとことん弱い性格だったのだ。だから冒険者を引退したのだ。


「ミケぇ? お前が飼い主か! 邪魔をするな! うちの魚を食われちまうだろが!」


「あぅ!?」


 強面の魚屋店主に押しのけられ、ギルド職員は尻もちをついてしまう。悲しいかな、元冒険者のギルド職員は一般人にすら劣る闘力なのだ。


 件の猫は図太いのか、この騒動の間に食べてしまおうと、その場に留まって魚を貪り始めていた。


「このぉ! 舐めやがってぇ!」


 店主が棒を振りかざそうとする。拙いと思ったギルド職員は声を振り絞った。


「そ、そいつはミケアウロだあああっ!!」


 男が叫び声を上げた瞬間――――魚屋店主が振り下ろそうとした棒が突如燃え出し、一瞬にして灰へと変わった。


「……へ?」


 さっきまで持っていた棒を一瞬にして失った無手の店主は呆け、その成り行きを見守っていた通行人たちがざわつき始めた。


「い、今……ミケアウロって、言わなかったか?」

「は、ハハッ! ま、まさかぁ……ただの猫だろう」

「でも、確かに今、棒が燃えた……わよ?」

「もしかして…………本物!?」


 そんな町の住人たちを気にする素振りも見せず、件の猫は器用に魚の身の部分だけ食べ尽くすと、残った骨を真っ赤な炎で焼き尽くした。


「み……み……ミケアウロだあああっ!?」

「本物だああああああっ!!」

「赤獅子が出たぞおおおお!!!」


 静かで平穏であった筈の町は、一瞬にして混沌と化した。




 こうしてバーニメル半島内では初となる討伐難易度EXの魔物、“赤獅子ミケアウロ”の出現が観測された。世界で最も恐ろしく小さな魔物と称される赤獅子は連合国の民を恐怖のどん底に叩きつけるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る